第2話 サマンサ

 おばさんのお店はこの辺りではかなり有名なライブ喫茶で、昔とった杵柄と周りが囃し立てる。おばさん、今では太っていて見る影もないけど結構人気のあったロッカーだったんだ。

最近は、バンド人口も急激に増えて、店にはいつもアマチュアバンドがあふれている。毎日のように何処かのバンドがおばさんを慕って演奏に来ている。

 簡単そうに見えるけど、この店にも一応ライブをするためのオーディションがあって、ある程度の演奏が出来ないと舞台には立てないことになっている。そうしないと店の中が落ち着かないから。

「同じところで何度もとちられたらコーヒー運ぶのにも差し障りがあるのよ」

とおばさんが言っていた。確かにゆったりとしたバラードの上手いグループだとコーヒーも美味しい。

 二階のライブスタジオから下りてくる歌声に聞き惚れてしまうグループもあるから、友達からは良いバイトだと、うらやましがられたりする事もあった。どちらかと言うと歌がうまいのもあるけれど、最近は顔の良いバンドが騒がれる傾向にあるとおばさんが怒っている。

 この頃、中学の同級生だった厚田善昭がようやくオーディションに合格して、時々舞台に上がるようになった。舞台に上がらない日もおばさんに用があるのか毎日のようにいりびたっている。おばさんは人が良いから、誰にも甘い顔をして、学生ばかりなついてしまうんだよね。

 バスを下りると小走りで店の扉を開けた。

「いらっしゃい……あ、晴子。お帰り」

「ごめんなさい。遅くなっちゃって!急いで着替えてくるね」

「いいよ、そんなに焦らなくても。今のところ忙しくないし」

おばさんはそう言うと私のために特製のジュースを作ってくれた。

 いつも日替わりで出てくるジュースは、アロエのジュースがあったり、あした葉のジュースがあったり、時々絶対飲めないひどい味のもあって、実験台にされてるとしか思えない。

…良かった。今日のは美味しい。

「もうじき善ちゃんが来るよ」

ホッとしている私におばさんが言った。

「え~また。なんだってそう毎日顔をだすんだろう」

って、私がうさんくさそうに言うと、

「あら、何で善ちゃんが毎日来るのか晴ちゃんにはわからないの?」

 え?理由があったのってジュースを飲む手を止めておばさんを見ると、

「しかしお客にそういう顔はまずいね」

 と、私の顔を見た。

「だって、甘え過ぎだよ。コーヒーチケットだって半額だし。同級生だからっておばさんに気を使わせているのかなと思って……」

 私が恨めしそうな顔をすると。おばさんはなんて顔されようとゆとりって感じで、

「なあ~に晴子そんなこと気にしてたの? いいのよ、いいのよ、青少年の健やかで健全な精神の育成に私はこの半生を捧げてるんだからね!」

 と豪快に笑った。

 そう言われてみれば、ここに集まる連中はみんな素直で明るい。外見の迫力からは想像もつかない素直な良い奴ばかりで、おばさんの基本方針はまんざら口だけでは無いと思う。本当、青少年が明るく健全に集える場所も今や少ないよね。

「あ、善ちゃん今日はライブだから暇つぶしじゃないよ」

 おばさんは私に釘をさすようにそう言った。

「へ~おばさん善ちゃんには甘いんじゃ無いの?あいつ口が上手いから」

「そういえば晴子、善ちゃんのライブ見たことないんじゃない。この頃決まってるよ~中々。一度のぞいてやりなよ。せっかくなんだから……普通、高校も三年になれば、そろそろ大人になって人を見る目も変わってくると思うんだけどねぇ。晴子はまだまだだな」

 私の話など聞いちゃいない。おばさんはそう言ってあきれて笑った。善ちゃん確かに背は伸びた。だけど顔は童顔でちっとも変わらない。私にして見れば相変わらず見慣れた同級生って感じだった。

 私が皿洗いを初めてしばらくすると、ドアベルをけたたましく揺らして、勢い良く善ちゃんが入ってきた。この勢いで何でも壊す。私なんてどれだけ泣かされたか。

「よう、元気か晴子!」

 大げさに手を挙げて、大きな声で、毎日会ってるのに元気もないでしょ。あ、でもお客さんだったなと思い直して、

「いらっしゃいませ」

 と、ていねいに挨拶した。

「なあ、上の声下にも聞こえる?」

「うん、聞こえるよ」

 私はスピーカーを指差して答えた。

「今日の新曲なんだ。お前の好きなバラードやるからな。ちゃんと聞いてよ」

「OK」

 顔も見ずに手だけ上げて返事をするにはしたけど、スポンジを手にすると、すぐに皿洗いに熱中して善ちゃんの言ったことなどすっかり忘れてしまっていた。

 真っ白な皿がピカピカに光るのが嬉しい。この仕事は結構頭を休める、勉強でたまったストレスの解消になる。

「今日は善ちゃん上だって?」

 常連のお客さんから声が掛かる。おばさんもきげん良く答えて、

「そう、上手くなったよ、みんなも応援してやってね」

 って、おばさんは善ちゃんの才能ていうか、人を引きつける人柄の良さを高く評価している。おじさんは善ちゃんの舌が確かで料理の批評が的確だと高く評価している。とにかく二人に言わせれば、善ちゃんは良い奴で何処までも肩入れしたくなるらしい。

 私は皿を洗いながら山井君のラブレターのことを考えていた。こんなチャンス滅多に無い。チャンスだなんて……だけど、ずっと憧れていた山井君から交換日記を申し込まれたんだから。

 でも、実行に移す勇気が無い。坂上君のこともあるし、北海道のこともあるし色々あるけど、最大の原因は、やっぱり私の意気地がないからだ。こんなこと誰にも相談出来ない。情けない気持ちになった。

「晴ちゃん、晴ちゃん。スピーカー音入ってないよ。善ちゃんの曲聞いてやらないと」

 常連の谷木さんから声がかかった。この人も善ちゃんの後援会だから……いいよな善ちゃんこんなに応援してくれる人がいて、しかもけっこう年配。こよなくロックを愛するこういう年代の人が善ちゃんを応援しているのをみると、まんざら下手でもないんだろうってスピーカーのスイッチを入れた。

 どうもロックってのはよくわからなくて私にはやかましい音にしか聞こえない。善ちゃんおすすめのバラードの曲も、今日は考えごとをしているせいかまるっきり上の空で、頭の上を通り過ぎ、相変わらず頭の中に響いてはこなかった。


 返事を書かないまま何日かが過ぎた。夏休みに入ったら一度こっちに来ないかと親から言われている私としては、学校に来るのもあと残りわずか、もう一週間もすればここにはいないのだった。運良くか悪くか山井君には会わない。 

 私はあの交換日記の件を保留にして、早く北海道へ行ってしまいたいと思っていた。出来れば何の変化もないまま、高校を卒業して北海道の大学へ一直線に進みたいと、それだけ考えている。そんな毎日に、それより難しいことを考えている余裕は無かった。

 目標を見失ったら自分のやりたいことがやれなくなる。器用にどちらもこなす自信が今の自分には無かった。

 机の上の父さんから届いた写真にさそり座が写っている。私はこんなたくさんの星をこの目で一つ一つ辿りながら星座に抱かれて暮らすのが夢だった。それ以外のことに気持ちが揺らいでしまうのは困る。

 おばさんは、

「今更星が見たいから北海道に引っ込むなんてナンセンスよ。この都会であなたが輝く星になりなさい」

 って言うけれど、私は父さんの仕事が好きだった。ずっと田舎の天文台ばかりあっちこっち移動して、いつまで経っても落ち着けない渡り鳥のような生活を嫌と思うこともあったけれど、星を見ている時の父さんの目は輝いて素敵だった。

 私も、母さんみたいに、父さんみたいな人のそばで、食事の世話をしたり身の回りのことをして暮らしてみたいと思っていた。

 だから、どっか面影が父さんに似ている。山井君に憧れていたのかもしれない。

 あの日、七夕の日。私は先生に誘われて星を見る会に参加した。山に登って満天の星を見れたら、もっと自分のやりたいことが現実的になるんじゃ無いかと思ったのに……あいにくの曇りの空は星を覆い隠して、私にほんのひとかけらの星も見せてはくれなかった。でもみんなが口々にこの七月七日が晴れた……雨じゃ無かったことを喜んでいた。

 あの手紙のとうり山井君までも。

 そのくらいここのところずっとあの日は雨だったって、七夕が雨じゃなかったことをこんなに喜ぶ人がいるのが、そのことが、私にはとても驚きだった。


 学期末が終わり、教室は夏季集中講座と新聞社主催の判定テストと、ちょっぴり休み中の楽しみの話題。

 うちのクラスは理数系Iの我が高でも強者ぞろいのクラスだから浮かれた話しは聞こえてこない。夏休みに一度北海道に来いなんて親、家くらいのもんだろうな。

みんなのカレンダーは塾の予定で真っ赤。父さんも母さんも呑気だから無理しないでやれって、そんな親の声に動かされる自分も自分だと我ながらあきれていた。その分集中してやろう、もっと目標をはっきりさせて後半やりきる勢いをつけてこようと、そう思っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る