第3話「カマイタチの春」

「フッ……フッ……フッ……!」

「ハッ……ハッ……ハッ……!」


 アネモネが花咲く傍を、二人の少女が走って行く。彼女たちは陸上部の先輩と後輩であり、何時も仲良く並んでランニングをしている。小学生の頃から知り合いだった二人は何処までも一緒だ。

 そう、この時までは・・・・・・



 ――――――ビュゥウウウウウッ!



「うっ……!?」「きゃあっ!?」


 二人の前を、一陣の風が通り過ぎる。妙にギラつく、不思議な旋風だった。


「あっ、先輩、血が……!」

「えっ……あ、本当だ」


 後輩の指摘で、初めて気が付いた。何時の間にか、脚に擦過傷が出来ている。ただ、切り口が鮮やか過ぎるせいか、痛みは全くと言って良い程に感じず、血も大して出ていなかった。精々、薄皮が向けた程度の物だろう。


「大丈夫だよ、これくらい――――――」


 だが、先輩の少女が発した言葉は、そこで途切れる。何故なら、


「せ、先輩、どうしたんですか!?」

「あ……ぐ……ぅごぉがががががぁっ!?」


 突如、悶え苦しみ出したかと思うと、背筋を弓なりにピーンと張った姿勢となり、



 ――――――グギギギ……ボギンッ!



「ぎゃああああああああああああああああああああっ!」


 そのまま、Uの字に鯖折りとなって、息絶えてしまった。


「先輩! 先輩! そんな……そんなぁっ!」


 後輩の少女の叫びが、虚しく響く。風はもう凪いでいた。


 ◆◆◆◆◆◆


 閻魔県えんまけん要衣市かなめいし古角町こかくちょう峠高校とうげこうこう


《遺影、遺影♪ メ~ルが来てるよ~ん♪》

「手紙な?」

「今日はどんな獲物が網に掛かったのかねぇ?」

『オビバァ?』


 その屋上に、今日もまた手紙が届く。コトリバコに悩める生贄こひつじが依頼を出したのである。


「差出人は……一年生かよ」


 さぁ、実験開始だ。


 ◆◆◆◆◆◆


 立花たちばな 六華りっかにとって、楠木くすのき 麻実まみは憧れの先輩だった。

 一歳しか違わないのに、とても大人びたしっかり者であり、一度決めた事は例え大人が反対しても決して曲げず、しかも有言実行してしまえる、素敵なお姉様である。

 そんな彼女が、


「死んだ……いや、殺されたんです!」


 昼下がりの保健室で、六華は叫んだ。目の前には里桜と説子、ついでにビバルディが居る。


「保健室ではお静かに。一応、具合が悪いという事になっているんですから」

「あ、すいません……」


 もちろん、保険医も居る。

 彼は――――――否、彼ら・・は、堂本どうもと 鴻太郎こうたろう堂本どうもと 鴿助こうすけ。頭以外が全て一体化した結合双生児の兄弟である。奇怪な出で立ちながら確かな医療技術と人の好さで、生徒からの人気は高い。打撲どころか骨折さえも片手間で治してしまう手腕は、既にオカルトの域にあると言って良いだろう。“救急車を呼ぶくらいなら彼らに任せた方がいい”とは、誰が揶揄した噂話か。

 そんな堂本兄弟にとって、六華はもちろん、屋上のリオだろうが闇色のセツコだろうが、等しく峠高校の生徒であり、分け隔てる事なく受け入れている。

 だから、極々稀にであるが、こう言ったシュールな光景が見られたりもする。仮病を使って保健室でサボるのは、悪ガキの常套手段だ。


「それで、どう言う状況で何をされたのか、改めて話して貰おうか」

「は、はい……えっと……」


 里桜に促され、六華は語る。憧れの先輩とのジョギングデート中に、何があったのかを。


「旋風……「鎌鼬かまいたち」だな」


 六華の話に、説子が答える。


「「鎌鼬」? それって――――――」

『おちゃ』

「あ、どうも……」


 ビバルディはお茶を出す。可愛い、お持ち帰りしたい。


「駄目だからな?」

「はい」


 駄目でした。


「……あっ、それで鎌鼬って何ですか?」

「旋風を起こして人を傷付ける通り魔さ」


 「鎌鼬」。

 その名の通り鼬によく似た姿の妖怪で、目にも止まらぬ速さで動き回って旋風を起こし、出遭った人間を傷付けると言われている。通常は単独だが、時と場合によっては「父・母・子」の三人組で行動する事もあり、父親が人を転ばせ、母親が切り裂き、子供が薬を塗って治すという。親子総出で掠り傷を負わせるだけという辺り、ただの悪戯好きなのかもしれない。


「でも、先輩は殺されたんですよ!?」


 そこだけは譲れなかった。あの旋風には確実に敵意……否、殺意があった。


「さてね。そこは本人に聞いてみん事には……なぁ、里桜?」


 説子が里桜に振り、


「そうだな。荒療治と行こう。屋上に引きこもるのは嫌いじゃないが、科学者は失敗してなんぼさ。かのエジソンも言ってたからな、“天才とは、一パーセントの閃きと九十九パーセントの努力である”ってな」

「……確かそいつ、ライバルを蹴落とそうと電気椅子作ったり、インドぞうをスパーキングしてなかったっけ?」

「そこが可愛いんじゃないか、ククククク……」


 里桜は凄惨な笑みで応えた。


「そろそろ昼休みが終わりますね。ちゃんと授業には出て下さいね」

「「「ほーい」」」『ビバー』


 堂本兄弟の言葉には、全員が適当に答えた。少しくらい空気を読んで欲しい。


 ◆◆◆◆◆◆


「ここがそうか?」

「は、はい……!」


 その日の放課後、六華は説子と共に在った(里桜は後方支援者面している)。言うまでもなく、大体同じシチュエーションで、鎌鼬を誘き出す為である。鎌鼬は決まった狩場を持たないタイプの妖怪だが、敵意を持って排除したという事は、何らかの事情で動けないのだろう。

 だから、似たような状況で走れば、縄張りを侵されたと思って襲って来るかもしれない。その程度の話だ。



 ――――――ビュゥウウウウウッ!



「……本当に出て来ちゃったよ」


 殆ど冗談だったのだが、まさかの釣果が出た。やたらとギラ付く、不自然な旋風。中身は間違いなく、件の同一個体だろう。仮にも妖怪なんだから、阿呆な狼ダイアウルフより簡単に顔を出すなよ……。


「まぁ良い。下がってろ」


 しかし、釣られて出てきたというのなら、丁度良い。さっさと片付けてやろう。


「ブフゥウウウッ!」


 とりあえず、今まさに攻撃を仕掛けようとしていた旋風に、説子が猛烈な吐息を掛ける。竜巻ならともかく、旋風程度なら溜め息(風速三十メートル)で充分である。


『………………!』


 案の上、風は根元から吹き飛ばされ、その正体を現す。


『ギュララララァッ!』


 そこには、全長二メートル程の化け物が居た。

 鼬のように細長い身体と朱色の毛皮を持っているが、耳介が無く腹側が丈夫な鱗に覆われているなど、明確に違う部分も多い。顔付きも哺乳類というよりは爬虫類に近い形をしている。端的に言うと、毛の生え揃った単弓類(※「爬虫類のような姿をした哺乳類の祖先」。ディメトロドンなどが有名)って感じ。

 だが、何よりの差異はその大きさと、尻尾の先端が鎌状になっている事だろう。今までの切り傷も、あの鎌で付けられた物だろうか?

 ……否、それにしては明らかに手数が足りない。たった一本の鎌で、全身を傷だらけにするのは無理がある。他の手段を持っていると見る方が安全だろう。


◆『分類及び種族名称:斬裂超獣=鎌鼬』

◆『弱点:頭』


『キュルァアアアッ!』

「おっと!」


 鎌鼬が細長い身体を上下にくねらせながら、高速で接近して来る。

 さらに、すり抜け様にガチンと噛み付いてきたかと思うと、着地したその場でグルリと回転し、後ろ脚だけで立ち上がり、嵐の如く爪を振るってきた。まるでデンプシーロールのようである。


「……くっ!」


 これ程の高速連撃は流石に避けられず、説子は腕を負傷する。


「この切り傷は……!」


 一発の攻撃で十本の切り傷が出来た。これはおかしいと思い、鎌鼬の前足をよく見てみれば、指の間からもう1対の五連爪が飛び出していて、合計で十本になっている。


「なるほど、敵を傷付ける事に特化した進化か」


 それを観た里桜が、納得と言った表情を浮かべた。観てないで手伝えと言いたい所だが、彼女は基本的に腕組み後方支援者面を崩すつもりが無いので、説子は孤軍奮闘するしかない。可哀想。


「……ぐっ!?」


 しかし、事態は予想だにしない方向へ急変した。説子が突如膝を付き、何故か背筋をピーンと伸ばし始めたのだ。


『ギュラァアアアッ!』


 その上、「何してんの?」と突っ込む間も無く、鎌鼬が身を翻しながらガラス片のような物を説子に打ち込み、症状を悪化させた。今や背筋がピーンとしているどころか、歯が割れる程に食いしばり、背骨をバキボキに砕きながら逆海老反りになっている。


「“バビンスキー反射”か」


 所謂「破傷風」の第三期症状の一つだ。

 という事は、鎌鼬の爪やガラス片には、破傷風菌……もしくはそれに類似する細菌が含まれていて、傷口から侵入感染し、体内で瞬く間に増殖・発症するのだろう。

 ちなみに、ガラス片は彼らの鱗らしく、毛皮の下に仕込まれており、逆立てて発射するようである。特に背骨近くの鱗が顕著で、興奮状態になると背鰭の如く際立っている。さっきはアレを撃ち出したのだ。

 ともかく、解毒が済むまで説子は役に立たない。


「仕方ないなぁ」


 ここで、ようやく里桜が重い腰を上げた。自分さえ良ければOKな彼女は、先ずは説子を生贄に捧げて観察を続け、ある程度の見切りを付けてからしか動かないのである。酷い話だ。


『キシャァォッ!』


 当然、鎌鼬は有象無象の区別なく、敵対する者は許さないとばかりに、ガラス片の雨あられを降らせてくる。


「フム、このヌルヌルした液体は保湿剤か。これで細菌を乾燥から守り、余計な競合相手の侵入を妨害している訳か。ついでに活性作用も含まれているのかな? チカチカ光ってるのは、刺激を与えて症状を悪化させる為の物って訳だ」

『………………!』


 だが、里桜は避けるどころか微動だにせず、ガラスのシャワーを浴びながらも平然と自分の考えを述べていた。今までにない敵の反応に、鎌鼬が思わず身動ぎする。

 無理もない。狂った奴を目の当たりにすれば、人間も妖怪も関係なく、すべからく驚くもの。生物として当然の反応だ。


「うんうん、意味不明だって顔だな。だが残念、当然の結果だよ。……幾らガラス片が鋭くても、金属の装甲を貫いて細菌を感染させるのは、無理があるよなぁ?」


 さらに、今明かされる衝撃の真実ゥ!

 里桜は皮膚を鋼鉄以上のナニカに変換して、ガラス片を弾いていたのである。

 最早、鎌鼬に勝ち目はない。幾ら切れ味抜群の爪や鱗を持っていても、あくまでそれは感染の補助であって、メインに据えるには力不足だ。

 ……まぁ、人間如きはそれでも充分なのだが、里桜は本当の悪魔なので論ずる意味はない。


『グルルル……ギュルァッ!』

「おっとっとっと」


 しかし、逃げられる状況でもないので、鎌鼬は最後の切り札を使う事にした。尻尾をグルグルと高速で回し、風の螺旋を纏ったかと思うと、それを勢い良く突き出して、疾風炸裂弾バーストストリームとして発射してきたのである。


「ぐわばぁあああっ!」


 里桜は余裕を持って躱したが、軸線上にいた説子は動けない為、普通に直撃した。南無三。

 だが、鎌鼬の攻撃はまだまだ終わらない。


『グルァアアッ!』


 さっきと同じ要領で尻尾に風を纏うと、複数の旋風として放ってきた。動きの素早い相手に対抗する為の技だろう。


『ギャォオオッ!』


 そして、反撃の暇を与えず止めを刺すべく、自身も旋風の如く回転しながら尻尾で斬り付けてきた。アレを食らえば、膾斬りは済むまい。



 ――――――GABBBBBBBBBBBBBBBBB!



『グギャアアッ!?』


 しかし、砂塵の向こうから飛んで来た破滅の光が、鎌鼬を空中から叩き落し、そのまま絶命させた。煙が晴れ、風が消え去ってみれば、里桜は粒子障壁バリアでガチガチに守りを固めており、砂埃1つ付け入る隙も無かった。そりゃあ無傷で当たり前だろう。

 それもこれも生贄が居たからこその結果。説子は犠牲となったのだ……里桜が強者ムーヴをかます為の、犠牲にな。


「まだ死んでないぞ」


 まだ死んでなかった。

 しかも、ボロボロでビンビンだった身体は元通りになっており、服以外は何時もの彼女であった。とんでもない再生能力だ。


「フン、朝飯前の依頼だったな」

「今はランチだから昼飯後だけどな」


 こうして、里桜と説子の長い昼休みは終わりを迎えた。


「それにしても、何であいつは逃げなかったんだろうな? 勝てないなら、目晦ましでもしてさっさと逃げれば良い物を……」


 ふとした疑問を抱いた里桜が、鎌鼬が立ち塞がっていた方の叢に探りを入れてみる。


『きゅー』

「あー、なるほどねぇ……」

「子育ての最中だったのか」


 そこに居たのは、鎌鼬の子供だった。大きさは子犬程しかなく、目も開いていない。あの鎌鼬は、子供を守ろうとしていたのだ。伝承に従うなら、幼体の父親が何処かに居る筈だが、見当たらなかった。喧嘩別れしたか、もしくは死に別れたか。何れにしろ、この幼体が天涯孤独の身となった事だけは確かだろう。


「どうするんだよ?」


 鎌鼬の子供を見下ろしながら、説子が尋ねる。


「ま、生きたサンプルは貴重だよな……」


 そんなこんなで、屋上の森林地帯に新たな住人が加わったのであった。


 ◆◆◆◆◆◆


 べつのひ!


「………………」


 六華は何時も通り……とは言い難い、独り寂しいジョギングをしていた。

 思う所は、色々とある。初めこそ鎌鼬は、自分から麻実を奪った残虐非道な化け物ぐらいにしか考えていなかったが、実際は自分の子供を守ろうとしていただけだった。それを己の都合だけで死に追いやった事は、少なからず彼女の心に影響を与えていた。

 端的に言ってしまえば、後悔していた。本当にこれで良かったのか、と。


「おっと……!」

「――――――あら、随分と熱心だ事。ただ、上の空なのは良くないわね。今に足元から掬われるわよ?」

「………………」


 帰宅途中の女生徒とぶつかり、窘められても、この有様。最早、六華は現実が見えていなかった。


「あっ……!?」


 そんな調子で走っていたのが、良くなかったのだろう。足が縺れて転んでしまった。


「いっつぅ……!」


 さらに、転んだ拍子に切ったのか、脚から血がタラリと滴っている。それは偶然にも、麻実が負った傷と場所や形状が同じであり、



 ――――――ビキキキキッ!



「なっ……あ、が……!?」


 大好きな先輩の断末魔と同様に、身体が海老のように反り始めた。

 そこで六華は思い出し、思い至る・・・・。これはあの鎌鼬がばら撒き、説子たちが回収し損ねた、病原体たっぷりのガラス片の一部だと。里桜曰く「病原体の保存期間は数日に及ぶ」そうなので、今になって発症してもおかしくない。

 つまり、六華の命運は尽きたのだ。これが事故なのか、それともわざとなのか・・・・・・は不明だが、今から死に逝く彼女にとっては、全く以てどうでも良い話だろう。


「ぜ、ぜんばい……いま、わだぢも……!」



 ――――――ボキィイイイイイッ!



「逝くぅうううううううううううううううううううっ!」


 とても薄っぺらで小汚い財布が出来上がった。材料はもちろん、人間である。

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