ふたりのサイン

圭琴子

ふたりのサイン

 聴き慣れた声がして、ノートから顔を上げる。

 田舎から上京して二年目。初めは上手くカスタマイズコーヒーの注文が出来なかったあたしも、今や入り浸って資格試験の勉強をするようになった。

 家だと漫画とかゲームとか誘惑が多いけど、カフェは勉強が捗る。だけど最近は、雑踏に紛れて流れる有線が気になるようになっていた。

 『岸橋 蓮』

 暗記するのに何度も書かれた静脈注射の手順の横に、その名前を小さく書く。


 それは、幼稚園から中学まで一緒だった、幼馴染みの名前だった。

 あんまり一緒に居過ぎて、居るのが当たり前で、『付き合う』なんて感覚もないまま高校は別々になってしまった。

 蓮が行ったのは、芸能人が通うことで有名な東京の私立校。

 曖昧にダンスや歌を習っているのは知ってたけど、本気だったんだ。そう思い知ったのは、有線で彼の歌声が流れるようになってから。

 カラオケにも何度か行ったことがあったから、すぐに分かった。


 あたしは思わずスマホを手に取る。

 ツイッターのアカウントは持ってたけど使うのはインスタばかりで殆ど呟かなかったから、フォロワーは二十人弱だった。そんな誰も観てないようなアカウントに、ぽそっと胸騒ぎを打ち明ける。


『岸橋 蓮くん。好きだったかもしれない。もう、手の届かない存在になっちゃったんだな』


 一度呟き出すと、止まらなかった。誰も観てないし。


『幼馴染みだったけど、高校に行くタイミングで人間関係リセットしたみたいで連絡もなくなっちゃった』


『まだLINE繋がるかな? でも、ミュートされてたらショックだし』


『芸能人になっちゃったんだなあ……』


 そこまで呟くと、有線の曲が変わる。あたしも切り替えるように、試験勉強に戻っていった。


    *    *    *


 次の日、身支度を整えていたら何度もSNSの通知音が鳴っていた。推しのツイートも通知にしてたから、特に気にしないで学校に向かう。でも電車の中で確認して青くなった。

 昨日の蓮に関する呟きが、バズっていた。な、何で?

 引用RTを観ると、「嘘つき」とか「マウント」とか「構ってちゃん乙」みたいな言葉が溢れてる。

 そうか。『岸橋 蓮』って書いたから、検索でファンが集まっちゃったんだ。

 RTは二千以上。それだけ蓮にファンが居るってことなんだなと、ますます彼が遠くなる。

 あたしは取り敢えず一連の呟きを消して、こんな風に書き込んだ。


『ごめんなさい。嘘はついてないけど、まさかバズるなんて思ってなくて。ごめんなさい』


 だけど書き込んだそばから引用RTがされていく。


『今度は悲劇のヒロイン気取りかよ』


『同担歓迎だけど、コイツは無理だわ』


 あたしを非難する言葉が連なって。物理的に気分が悪くなって、あたしはスマホを伏せて硬く目を瞑った。冷や汗がじわりと滲む。

 気が付くと降りる駅を過ぎていた。改めて学校に向かう気力もわかず、あたしは初めてその日、専門学校を休んだ。

 

 家に帰っても蓮のことで頭がいっぱいで、無意識に検索していた。『岸橋 蓮』を。

 心臓がギュッと縮んだような気がした。

 公式マークのついた『岸橋 蓮』のツイッターアカウントがあった。アイコンは見慣れた、でも大人びた彼の横顔で。

 震える親指でツイートを辿ると、ニューシングルの宣伝に混じってひとつ異色な呟きがあった。


『みんな、いつもありがとう。でも、安易にひとを「嘘つき」だと決め付けるのはやめてね』


 え? これ……まさか、あたしのこと? そう思ってから自嘲する。まさかね。


『今日は18時30分からの「ミュージックジーンSP」で新曲を初披露するから、よろしくね!』


 時計を見ると、あと十五分ほどで始まる。上京してから勉強第一でほぼテレビを観ない生活だったけど、あたしはチャンネルを合わせて待った。

 番組が始まる。懐かしい蓮が、新曲を歌う。思い出の中の彼には似合わない、甘ったるい恋の曲を。

 子どものときはお調子者だったのに、キメ顔で格好付けているのが何だか少し可笑しかった。

 でも曲の最後に、クールな表情とは裏腹にピースをしてその指をハサミのようにチョキチョキと動かした。

 

「蓮……!」


 独り言つ。それは子どもの頃、ふたりでしていたサインだった。何がきっかけだったのかはもう思い出せないけれど、別れるときはバイバイの代わりにチョキチョキして笑い合っていた。

 これ、え、あたしに向かって……? 画面越しの久しぶりのサインに混乱したけれど、沈んでいた気持ちが一気に上がる。

 番組の終わりにも、蓮は笑顔でチョキチョキしてくれた。滑稽なのは分かってたけど、あたしも画面に向かってチョキチョキする。


 朝からずっと張り詰めていた心が、スッと楽になった。

 まだ二十一時だったけど、電池切れみたいにベッドに横になる。そのまま目を閉じた。

 LINEの着信音が鳴るのが微かに聞こえたけれど、眠気の方が勝っていた。

 まだあたしは気付かない。そのメッセージに。


    *    *    *


『久しぶり。忙しくて、ずっと連絡してなくてごめん。上京したって母さんから聞いたけど、あってる? よかったら今度、会えないかな』


 その文末にはアイドル『岸橋 蓮』のイメージからは程遠い、可愛らしいピースサインのスタンプが瞬いていた。

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ふたりのサイン 圭琴子 @nijiiro365

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