『鎖を切り落としてもらう神永さん』

小田舵木

『鎖を切り落としてもらう神永さん』

 黒き髪は伸び尽くし。

 私の部屋は真っ黒に染まり尽くした。

 常識以上の長さに伸びた髪は、まるで世界のように私を包みこみ。

 このままでは動きようがないのだが。動くことが面倒で。

 私はそのままを享受する。

 αアルファヘリックスが交互に絡み合うケラチンで構成される私の髪は、ある種の螺旋らせんとも言え。

 螺旋がこの部屋を埋め尽くして。

 その様は永遠を思わせないこともない―


 なんて。

 ポエティック詩的に表現しようが、このゴタゴタは言い訳がつかない。

 何故こうなったのか?

 そんな事を問われても困る。

 単に髪を切りにいくのが億劫おっくうだった。

 そして私は引き込もりであった。

 ただそれだけの事で。

 

「いい加減にしないとね」なんて言おうが。

 状況は前に進まない。

 かと言って、ここから動くには。

 この黒い黒いを引きずっていかねばならず。

 それがなんとも言えず面倒くさい。

 …風呂に入るのも一苦労だ。

 一応、女だから、風呂くらいは入るが。

 そのたび髪を洗うのに2時間は使ってしまう。

 

 それ以上に美容室にいくのが憂鬱で。

 

                 ◆

 

 鎖に繋がれた囚人。それが私であり。

 人から見れば憐れさ極まるだろう。

 そりゃそうだ。こんな意味不明な状況にこのんでハマりこむのは阿呆くらいのものだろう。

 黒い鎖をうごめかせ、私は家のリビングに降りていき。

 キッチンでコーヒーをれる。


 漆黒に染まったその液体は私の人生を表象しているかのようで。

 その苦味を口に感じて。

 このままで良いのか、自問して。

 このままで良くない、と自答して。

 

 ああ。誰か助けてはくれまいか。

 他力本願な願いをし。

 また、部屋に戻りゆく。

 漆黒に満たされるあの四畳半に。

 

                 ◆


」彼は開口一番そうのたまい。

「でしょうね」私はこたえる。


 彼は。学校の同じクラスの男の子。霧上きりかみくん。

 今日は私が溜め込んだプリントを持ってきてくれたらしく。


「お前さあ、この髪の長さで動けるか?」

「…日常を送る分では問題ない」そう言っても家の中限定げんていだが。

「似合わんこともないけどさ」

大和撫子やまとなでしこには長髪ちょうはつが似合う?」

「と、言うより日本人形みたいなもんだけどな。呪いの」

「言ってくれる」嫌味に反応するだけの回路は残っているんだな、私にも。

「…いっそ自分で切れば?」

「失敗したくないじゃん?」

か?」彼はそう言って。

「…言えてる」そう思う、失敗以前いぜんの話で。

「それとも?俺が切るか?」なんて彼は言い出して。

「ど素人シロートの男に自分のかみ切らせる女が居る?」

「だよねえ」と彼は言い。

「自分で何とかするから」私は出来もしない事を言う悪癖あくへきがあり。

「…今度に来るわ」

「マジで言ってる?」

「プリント溜め込む前に見とかないと―

「そんなに世話焼かなくていいのよ?じゃない?」

「よしみ、というヤツだな」彼は顔を赤くしながら言い。

「腐れ縁とも言うかな」私は彼の感情をぶった切る。

「そういう事でも良いが―とにかく。お前がこのままなのはよろしくない。にも」

「結局、自分の快の為の行動な訳ね?」なじる。

「お前は俺の何だっつうの」

「幼馴染の引きこもり様」

「態度がでけえ」

 

                 ◆


 髪は案外に保温性に優れる。

 よって髪を伸ばすとすぐに頭が温まる。

 その温まった頭は何を考えているか?

 霧上きりかみくんである。

 何で彼はああも私の世話を焼くのか?

 幼馴染だから、というのが一番簡単なアンサーだが。

 を期待するのは―愚かなのだろうか?

 …引きこもりの日本人形が何を?と思わないでもない。

 

 私達は親が妙に仲が良く。

 意識が出来でき始める3歳以前から何かと一緒にされ。

 仲が良い悪い以前に知り合いで。そこにはちょっとした仲間意識があったのだが。

 私の方は―

 そこに単純接触効果を見るのは正解だ。

 

 

 そう、私は何故なぜ霧上くんが好きか?

 と、いうといに論理的かつ明確な答えを持たないのだ。

 

                 ◆


 コイルドコイル。

 私の髪の主原料たるケラチンは左巻き螺旋らせんが2つ絡み合い。

 そこにはメタファー暗喩があるように感じられるが。

 それは私の虚しい勘違いで。

 今日も今日とて黒い髪を引きずり暮せば。

 囚われた私はのだ、そう思う。

 

                 ◆


「やっぱ切ってねえじゃん」再訪する彼はなじり。

「しょうがないじゃん」私は言い訳に徹し。

「今日は―逃さん」彼は私の髪を踏んづけながら迫りくる。

「近寄らないで!!」私はそう言ってしまう。髪を切るには彼が私の至近距離に近づく必要があり。

「お前放っといたら切らねえだろ」あきれながら彼は言い。

「そりゃそうだけど―君に切られるのは女としてどうかと」

「同じ言い訳を使うな」彼の手にはハサミ

「変態」と私はワイルドカードを切って。

「確かにマニアックなプレイではある」と彼は言い。

「プレイとか言うなっ」と私は言い返す。

 

「…なあ。お前、使?」彼は一息置いて問う。

「…否定は出来ない」確かに髪がコレだから―と色んな事をパスしているような気がし。

「切ってしまえば―軽くなるかも、気分とかも」

「実際、そこそこ重いし」髪は案外に重みがある。コレは伸ばしてないと分からない感覚だと思う。

「まさしく―神永かみながを縛る鎖なんだ」と彼は言い。

「この鎖にとらわれた私は囚人しゅうじんみたいなモノだとでも?」

「…違いない」彼はそういった。

 

                ◆

 

 黒き鎖に囚われた私は、姿見すがたみにらみつけ。

 そこには左右対称の私の像があり。

 黒い鎖がまとわりついた私は―醜い。確かに。

 で。

 

 でもそれを断ち切れない私が居る。

 何故だろう?

 特に愛着を持っているわけではないのに。

 私は女にしては髪に無頓着むとんちゃくで。最低限のケアしかしてこなかった。

 だからこそ今の状況を呼び寄せたのであるが。

  

 切ってしまえば。

 きっとスッキリするに違いない。

 その一歩が踏み出せない私は臆病なのか、はたまた面倒臭がりなのか?

 多分どっちもで。

 いっそのこと霧上きりかみくんに任せてしまっても良いよなあ、と。一瞬思えども。

 そこには分水嶺ぶんすいれいがあり。そこを超えることには大きな意味があるような気がし。

 

 こうやって今日も髪を切れない日々は過ぎていき。

 私の数少ない未来を食いつぶす。

  

                ◆

 

「…」「…」私と霧上きりかみくんはにらみ合い。

「なんとか言ってよ」私はその緊張感に耐えきれずに言い。

「…間合いを取ってる」なんて彼は言う。右手にはハサミ

「武士じゃあるまいし」

「コレはな、斬るか斬られるかの戦いだ」なんて彼はふざけて言って。

「そこまでのレベルに達したか」私は呆れ半分でそう言って。

「だろうよ。もう

「…覚えてない」

「俺も飽きるレベル」

「ゴメン」

「謝るな。そこがゴールじゃない」

「分かってる」

「なら、切らせてくれ」

「…」何故、私はここで躊躇ちゅうちょするのか?

 

「今日は―切るまで帰らんぞ」彼は決意を表明し。

「お付き合い致そう」私はそれを受ける。


「…切っていいってお前が言うのを待ってるんだぜ?」

「切っていいって言おうとすると―」私は素直に吐露とろし。

「髪は女の命…そういう意味あい的に?」彼は問う。

「別に―いいんだよ、私は切られたって」

神永かみながは首を縦に振ってないな。その言い方だと」鋭いな。

「何だろうね?今まで伸ばし続けたから愛着があるのかな?」

「俺に問うなよ。自分で考えろ―そして答えをだせ」

 

 そう言われて。

 私は髪に意識を向けてみて。いつの間にか神経が広がっていることに気づく。

 私は自分を拡張していた?いや…それは言いすぎかな? 

 でも、宿、そう思う。

 

「…抽象ちゅうしょう的な言い方するなあ」

「そうとしか形容できない何か」

「なるほどね」

「納得してどうすんの?」そう問わざるを得ない。

「お前を理解しなきゃ―この髪は切れない」

「…なのかも」


                ◆


 

 霧上きりかみくんは脚元あしもとの私の髪を腕に巻き付けて。

 私はそれを甘受かんじゅする。それに抵抗するのは意味がないように思えて。

 それは世界の交接こうせつメタファー暗喩にも思えるが。

 特にそういう事はない。


「髪って保温性が凄え」彼はそういう。季節が冬で良かった。

「意外と暖かいでしょ」なんて得意げに言う私は阿呆アホっぽい。

「…夏まで伸ばしてたら地獄だ」

「去年は地獄見た。室内で過ごすのが限界」思い出したくもない。

「今年の夏はさっぱり行こうや」

「…それもいいかもなあ」

「…切る?」彼はハサミを髪に向けており。

「ちょい待ち」私はそれを制止して。

「待つ理由…なくねえ?」

「ないんだけどさ。名残しさもある訳」

「…また伸びるぞ?どうせ」

「…それは言えてる」

 

 そう。どうせ切ろうが。

 髪はターンオーバーを繰り返し。

 伸びてまた再生するのだ。

 

「ああ。分かった―切ってしまってよ」私は。

 

                ◆


 霧吹きで水を含ませた私の髪は―まとまり。

 霧上きりかみくんは私の髪にハサミを入れる。

 その時の感触が伝わってきて。私はドキっとしてしまう。

 体から随分ずいぶん離れたトコロを切っているはずなのに。

 

「こそばゆい」と私は言って。

「我慢してくれ」と彼は言う。

 

 髪が切れるショリショリという音で―部屋は満たされる。

 

 

 黒い鎖が彼の膝元にまっていき。それが彼のひざを埋めつくしていく。

 黒い鎖が絡みつく彼はなんとも言えず

 私にとらわれる彼。その絵を私は望んでいたのか?

 …そうかも知れない。

  

                ◆


 数時間が経って。

 私はすっかり普通の長髪ちょうはつレベルに達したが。

「これ以上は流石に出来んわ」霧上きりかみくんはそう言って。

「…別に良いよ?」私は言う。ここまで来て躊躇ちゅうちょする理由などなく。

「いくら俺でも―流石に戸惑うわ」

」そう、彼の家は美容室を経営する一家で。

「才能のいくらかは受け継いでいるとは言え。俺はど素人シロートだっつの」

「初仕事を頼むよ」私はそう懇願こんがんし。

「…いかがしますか?お客様?」彼は諦めてそう言い。

アゴくらいまでの長さにしちゃって」もう髪なんぞにわずらわせられたくない訳で。

「仰せのままに」

 

                ◆


 私の頭皮に彼が触れて。

 久々の他人の指に私の感覚器は驚いて。閾値いきちを超えて。

 頭がぼうっとしてしまう。

「…っ」と吐息といきらしてしまう自分がはしたない。

「変なこえ出すなや」私の頭上で彼はそう言って。

「ゴメン…」とやっとの事で言い。

「ったく。やり辛いったらない」

「頼んだのにゴメンて」謝り倒す自分が情けない。

「んま、分からんでもないけど」

「そう?」

「頭皮は案外に敏感―っというかデリケートではあるからな」

「優しく頼むよ」

「へいへい」

 

 ハサミが。顔の近くでうごめいて。

 私の頭にまとわりついた黒い鎖を切り落としていく。

 彼の指に私が、私の髪が纏わりついて。

 それを彼は切り裂いていく。

 そうやって―私は丸裸にされていく。そんな気がして。とっても恥ずかしい。

  

                 ◆

 

「うっし。仕上がった」彼はそう告げ。

「…目けるから」姿見すがたみの前の私は自分を見るのが嫌で、目を閉じてしまっていたのだ。

「…初仕事にしては頑張った」自画自賛する彼の声を信じて目を開ければ。


 そこには。長い髪を捨て去った私が居て。

 フェイスラインが出てしまってる事に恥ずかしくなって。

「変じゃない?」切った本人に言うのは残酷な事を聞き。

「…変じゃない。。俺としては文句はない。神永かみながが受け入れるかどうか」

「ここは甘んじて受け入れようかな」私はそう言う。彼の理想をこめた私を受け入れる。

「…甘んじてってのが余計だぜ?」

 

 私は―アゴのラインを起点したワンレグスにカットしてもらった。

 全体的に重量感は残しているので、アレンジが効きやすそうだ。

 

 

                  ◆

 

 黒い鎖を切り落とした私。一気に頭が軽くなった感触。

 霧上きりかみくんの回りには私のがあり。

 2人で箒を使って片付けた。大きめのゴミ袋がいっぱいになり。

 

 

「もう、コレで部屋にもる言い訳はナシだ」彼は明るくそう言い。

「…それ以外にも理由はあるけど、」私は多少の名残なごりをこめて言い。

「ま、神永かみながが外に出たくなったら、何時でもおともするさ」そう言ってくれる彼の優しさが染み渡る。

「それが学校になるよう―努力はしてみるけれど」

「適当にな。別に急に頑張れって訳でもない」

「何時までも―籠もってもいられない」

 

                  ◆

 

 春の風が私の頬を撫でる。随分と久しぶりの感覚で。

 隣には霧上きりかみくんが居て。

 私はそっと、玄関を超える。

 その一歩は―何処に向かうのか分からないけど。

 

 


                  ◆

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『鎖を切り落としてもらう神永さん』 小田舵木 @odakajiki

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