第1話 空腹の青年

「ああ、もう。遅くなっちゃった」


 私は大きな紙袋を抱えたまま暗い道を走る。

 今日はお母さんにお使いを言われて街まで買い物に出かけていた。

 昼過ぎあたりに出かけて予定としては夕方ぐらいには家に戻るはずだったのに、どういうわけか日も完全沈んだ今、帰路についている。


「はあ~私もお母さんの子供なんだな」


 お母さんも買い物が苦手というわけではないはずだけど、どういうことなのか出発時間が間に合わないことはないのに家に帰る時間だけどんどん圧していく。


「急がなきゃ」


 王都の少しきらびやかになっている街の隙間を縫うように駆けていく。

 

 ――ファーガルニ王国。


 ここが私の故郷。

 キラキラ夜景がきれいな街並み。

 私も一応は王都に住んでいる。

 とはいっても国土が広すぎるのでほとんどが森林地帯で居住区として住めるのは王都を始め各地方土地が数点ある程度。

 加えて、ファーガルニ王国が存在している大陸もものすごく大きいから大都市と言っても大陸的に見れば小さいもの。

 そんなわけで王都に住んでいてもその規模はよくわからない。

 私は生まれて十五年。

 世界統一法によって成人となる年齢に達したけど、未だに国外には当然に王都の外すらも出たことがない。


 ――外の世界か。


 本とかで見たことがある。

 他にも国があって様々な文化や価値観で生活をしているって。


「……」


 家に戻る足が止まってしまった。

 いけない……。

 ついつい考え事をしてしまった。

 多分、いや、絶対。

 この先、私は外に出ていくことはない。

 お母さんを一人にするわけにはいかないし、何よりも外に出ていけるだけのお金がないのだ。


「世知辛い……」


 街の人がよく言う。


『昔はよかった』


 と。

 

 そんなことを言われても昔を知らない私にとっては比べることもできないけど、それでも暮らしやすかったのかなって思う。

 世界について私もよく知らない。

 だけど、知っていることは、世界は箱庭の中に作られたおもちゃ。

 今の世界は『世界政府』によって統一で管理され、大昔、それこそ千年前は言葉や法律が国ごとで違ったらしいけど、今は、言語は統一されて、世界は国家統一法を基本に各国条例を定めているらしい。

 世界政府の役員を『世界貴族』と呼んで私たちとは根本的に違う人種となっているんだ。

 各国の爵位制度を廃止し国単位での爵位を持つことになった。

 世界を創ったとされる大王を頂点に公侯伯子男で分かれていて、当然上に行けば行くほど国の権威は大きくなり価値が跳ねあがる。

 ここファーガルニ王国の爵位は『侯爵』

 現在、公爵位を与えられている国は存在しなかったはずだから実質最上位。

 それは多大なる世界政府への貢献が認められて、国民、そう、私だって誇らしくて胸を張って……って、誰の胸がないんじゃい!

 っていう冗談……? は置いておいて。


 最悪よ。

 お偉いさんの考えていることはよくわからないけど、それでも爵位が一つ上がるだけで国としての価値は大きく違うから国としては何としても大王に気に入られようとする。

 どうすればいいのか。

『お金になる』こと。

 昔は国ごとに通貨が違ったらしいけど、現在では『白金貨』『純金貨』『金貨』『銀貨』『銅貨』『鉄銭』になっている。

 このうち一般庶民が手に取れるのは金貨まで、少なくとも私は金貨しか見たことない。

 白金貨と純金貨は国家間の取引にしか使われないらしい。

 今日の買い物だって握りしめていたのは銅貨だけ。

 ファーガルニ王国は世界貴族への貢献を続けている。

 国が言うには国の権利が上がれば国民への還元もでき、行く行くは幸福な生活を送れるなんて言うけど、まあ、嘘かな。

 暮らしなんてちっともよくならない。

 上がり続ける税金。

貧富の差は拡大している。

 まだ、自立していないからわからないけど、税金だって年収の半分以上持っていかれるらしい。

 暴動も起きたらしいけど、ここの軍事力は世界トップレベルらしく悉く潰された。いつしかみんなはあきらめて細々く暮らす事にしたのだった。


「なあ、お嬢さん。悪ことは言わない。持っている荷物と金を置いていけ。無理だっていうならおじさんの相手をしないか」


「……ッ!」


 迂闊だった。

 こんなくだらない考え事をしていて、気づけば暗い路地裏に入り込んでいた。

 寒いとは言えない生暖かい風が首元を過る。

 たらりと額に汗が滲み、心拍数が上がる。だけど、けして顔に出すことはしない。そうしてしまえば付け込まれてしまう。

 奥歯を噛んで片手を強く握りしめる。

 ここ数年で一気に治安が悪くなっていった気がする。まともに暮らすのはかなりの負担がある。だからと言って福利厚生を求めてはいけない。

 地道に稼いで生きていくのは合理的とは言えない。

 ならどうすればいいのか……。

 簡単だ。


『奪えばいい』


 まだ昼間の王都では活気あって薄暗い世界のことなど対岸の出来事みたいに思えるが、日が暮れてしまえば立場が逆転する。


「あの……私、お金とか、ない……です」


「なら、今夜だけ相手をしてくれよ。もう金なくて」


「いや……その……」


 世界統一法では奴隷や娼婦、それらに準ずる人間としての価値を保証していない。刻々条例で定めている国もあるけど、ここファーガルニでは特になかったはず。


「――」


 さて、どうすればいいのか。

 相手は体格のいい男が三人。

 私はどんなに視点を変えても武術に優れているとは言えない一般の女子。勝ち目なんてどこにもない。

 なら逃げる?

 確かにこの辺の地理は多少なりとも知っているから逃げきれないと決めるには早い。だけど、もし逃げられなかった場合のリスクが大きいと思う。

 場所は街灯もないくらい場所。建物と建物の間にいて横の壁はかなり高く上ることもできそうにない。このまま奥に進めば通りに出ていけるはずだけど、逃げ切れる可能性は限りなく低いかな。

 でも、でも……。

 

「ふ~」


 私はここで捕まるわけにはいかない。

 お母さんが待っているんだ!


「あんたたちの相手をしている暇はないの!」


 私は一目散に逃げだした。

 怯えた兎すらも驚いてしまう。

 まさに、脱兎のごとく。

 手に抱えていた荷物は手放した。

 せっかく鮮度のいい野菜とかパンとかが入っていたのに残念……。


「お、鬼ごっこか。いいぜ」


「無理に追わなくていいですよ!」


 げへへ、と下卑た笑いを浮かべながら男たちは私を追いかける。

 はあ、はあ。

 ダメだ。

 すぐに息が切れてしまう。それに、脚だってもうきつくて歩いてしまいたい。

 あれ、私ってこんなに体力なかったっけ。

 向こうは体格だけは仕上がっているので見る見るうちに私との距離が詰まっていく。

 もうダメ。

 そう思っていた時に路地裏の出口が見えた。闇夜に映える街灯が眩しくて、今の私には希望の光に見える。

 あと少し、あと少し。

 一歩踏み出すたびに希望が大きくなる。

 しかし――


「えっ」


 つい驚きの声を上げてしまう。

 足元に強い衝撃が走ったと思うと体が宙にふわりと浮かんでしまい、綺麗に前のめりに転んでしまう。

 遠くの光に目を奪われていて足元にあった何かを見落としてしまったんだ。


「いけない」


 すぐに走らないといけないのはわかっているんだけど、緊張の糸が切れてしまって足が動かない。


「お嬢さん、鬼ごっこはここまでか」


「……」


「まあ、怯えるなよ。楽しくやろうぜ」


 男たちが気づけば数メートル内にいた。腰が引けている私を見て逃げられる恐れがないと判断して完全に油断しきっている。


「いやあの……私は……」


「まあ、そのなんだ。恨むならこんな貧相な気ににした王族でも恨むんだな」


 その魔の手が私に迫る。

 ここまで……か……。


「ふぁああああよく寝た……」


 張り巡らせていた緊迫した空気を切り裂くように呑気な声が聞こえた。でも、一体どこから……。

 私も男の人たちも呆気に取られてしまう。

声をしたほうは……えっ、私の下!

 目線を下に向けると黒い服を着た男の人がいた。この街灯も全くない暗い路地裏で黒一色の服を着ていれば目につかなくてもおかしくない。

 私は、この人に引っかかったんだ。


「あれ、真っ暗じゃん。寝すぎたな……それでも腹減った……」


 マイペースに大きな欠伸をした少年、と言うには少し達観している。伸びをするように立ち上がって腰に手を当てた。

 十五歳である私よりも少し年上かな。精悍な顔つきだけど、どこか幼さが残っている。

 黒いパンツに黒い革靴、黒いロングコートと黒一色の服だけど、本人の髪は遠くからでもわかるほど煌めく銀色。そして、紫紺の瞳につい目を奪われてしまう。加えて、黒いシャツの上、銀色の指輪に紐を通して首から下げている。


「ん、んん……。んあ、なんだこの状況……」


 ここでようやく状況を見た青年は数回瞬きを繰り返して首を傾げた。


                   ※


「ま…眩しい………」


 石造りの街並みの一角、行商人が行きかう中、石壁にもたれ掛かりながらうたた寝をしていたけど、おちおち寝てもいられない。瞼の上から照り付ける木漏れ日に目を背けるように目を開けると、名残惜しそうに欠伸をする。

 時刻はまだ昼を超えていない。かなり正確な腹時計が言っているのだから間違いないだろう。


「夢か……親父、俺は……」


 またか、たまにあの夢を見る。


「よしっと」


 気持ちを切り替えて起き上がろうとすると、石壁を背もたれにして居眠りをしていたせいか、全身がバキバキになっている。背伸びをするように両手を伸ばすと、ふと、視界が歪む。何かと思って目をこすれば涙が溜まっていた。


「……涙」


 瞳から零れた涙は風に吹かれて飛び散った。再び目に手を当てるが、もう涙がなく、胸の中で疼く感情だけが取り残されている。


「やっぱり、俺が一番……はあ~」


 それ以上先は言いたくないと、口を閉ざすと、少し反動をつけて立ち上がった。腹が減りすぎているから立ち眩みがするけど、太ももを一回叩いて姿勢を安定させる。

 黒く足まであるロングコートを羽織って、ズボンも靴も黒一色で染められている服はどこか汚れている。俺は一息つくと、時折強く吹く風が銀髪を綺麗に靡かせる。

 可愛さなんてどこかへ吹き飛んでしまった体を軽く動かして、ギラついた双眸は焦点を定めず虚空を除いている。


「――あぁ、腹減ったな」


 そう、思えば二日ほど腹に食べ物を入れていなかった。うたた寝はその現実から目を逸らした結果と言える。

 まあ、結果、より腹が減っただけだけど……。


                    ※


「腹減ったな……って、さっきからこれしか言っていない」


 石壁に座り込んでいても何も始まらないということで動き出したのはいいものの食にたどり着く方法は一切ない。

 愛があればとか、心があれば、とか言われるが実際には金がなければパンの一つも買うことが出来ない。世の中はそんなに甘くないということだ。


「違う国に行けば良かったな」


 この町は王都の中心街ということもあって大小さまざまな建物が軒並みを連ねている。


 その中でも、ひと際目立っているのが、この国を象徴するかのような立派な王城だ。

 東西南北に伸びて、その中心に王様が住まう白亜の城。


「まったく、無駄に豪華だよな……あそこに行けば食いもん貰えんじゃねえか。いやいや、捕まって終わりだな」


 くだらない妄想をしてしまうほど、俺は追い込まれていた。労働をするにしても終わるまで働ける自信がない。そう言っている間にも残り少ない体力を消費している。


「もっと食い溜めをしておくべきだった。ひもじい……」


 所持品を売ろうにも売れるものはない。鞄を基本的に持たない主義者でその場しのぎで生きているので動きやすいが、危機的状況に弱い。


 ボロボロの財布を見たって一枚の銅貨も入っていない。


「くそ……俺が魔法とか錬金術が使えれば……」


 結局、どれだけ考えても労働することが最も合理的なのだが、確実に倒れてしまう。


 ちなみに今は二本脚走行ではふらつく為そこらへんで拾ったある程度の長さの木の枝を杖にして支えながら歩いている。その姿はまるで、というよりも明らかに空腹の悲鳴を上げている人にしか見えないのだが、周りに人が声をかけてくれることはない。

 もちろん周りにはたくさんの人がいて、今この瞬間にも普通の人間、それこそ老若男女、様々な人とすれ違っている。


「こんなにも空腹で死にそうな人がいるってのに、助けないなんて、この国の人間の心は死んでしまったのか」


 情勢に嘆きながら道を行く。ちなみに行先は決まっていない。

 

                 ※


 あれから数時間、俺は未だに何も口にすることができていない。


「金があればな……」


 だめだ。

 さっきからこればっかり口にしている。体力、腕力にはそこそこ自信があるから最悪、どっかの店を襲撃して……って、待て待て、さすがにその一線を超えるわけには行けないよな。 

 腹も減りすぎて音すら鳴らなくなっている。逆にここまでくればよくわからない満腹感すら覚える瞬間もあるけど、それは錯覚だ。どう考えても俺の体は死へ一直辺に向かっている。


「くわぁ……」


 おっと、ついつい変な声が出てしまったけど、許してほしい。誰だって空腹が限界を超えてくれば誤魔化すために奇声を上げることだってある。

 にしても良い匂いがするな。

 曲がりなりにもここは王都のど真ん中。

 要は王国中の技術が集まっているんだ。そりゃ、飯屋だっていいとこ揃いだよな。でも、俺的に一皿で金貨が吹っ飛ぶような料理っていうのは性に合わないんだよな。味は普通でもたくさん食べられたほうがいいに決まっている。

 別に、食べられない僻みじゃないからな。そんなみっともないことをする俺じゃないんだよ!

 いけない。

 俺は誰に向かって言っているんだ。

 本格的に意識も保てない。

 王城を中心に蜘蛛の巣状に張り巡らされている城下町をふらふらと歩く。街行く人は奇異な視線を送っては来るが、基本的に無視だ。きっと、心のどこかで期待していたんだけどな。

 いつかは心優しい人が声をかけてくるんじゃないかって、そんなのは幻想だったか。

 ま、思い返してみれば誰かに優しくされたことはないか。

 結局、ロンドリアの時だって俺たちで王国を――


 そこまで考えた時、足がふらついた。よろよろとよろめきながら中心街から一本道をそれる。中心街は華やかで国の象徴といった雰囲気が漂っていたが、少しずれただけで寂れた暗い雰囲気に変わる。

 俺は地面に無造作に置いてあったゴミに足を取られて転んでしまった。すでに受け身をとる余裕すらない。綺麗に顔面から地面にダイブした。


「痛い……」


 惨めだな。

 気を付けの姿勢のまま地面にうつ伏せになっていながら思う。


「完全に動けない」


 腹が減りすぎてもう動けない。

 体が勝手に低燃費状態に入ろうとする。

 空腹で瞼を開けていられないのか、純粋に眠気が襲っているのかがわからないけど、とりあえず寝て起きて考えよう。

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