<30・恋とオバケと梟と>

「で、英玲奈ちゃんとはその後どうなってるわけ?ちゅーでもしたー?」

「ぶふっ」


 梟が朝食の席でそう尋ねると、燕は派手に紅茶を吹き出した。今日はサンドイッチの朝ごはんであるために(我が家では比較的珍しい部類になる)朝のお茶も日本茶ではなく紅茶が入れられていた。安いティーパックと侮るなかれ、最近のお茶はインスタントでも香りが豊かで美味しい。

 何より、真っ赤になって蒸せる弟の姿が最高のメシウマというものである。


「げほっ、げほっ……兄ちゃん、前々から言ってるけどそういう話を食事中にすんのやめてよお……!」

「いやあ、悪いなー。なんだよなんだよ、そういう話ってなんだ?楽しく明るく素晴らしい青春の一幕は、爽やかな日曜の朝に相応しいと思うけど?」

「エロジジイかよこのクソ兄貴!」

「え?エロってなんのこと?ちゅーって言っただけでエロになるの?エロっていうのはもっとこう」

「わああああ!」


 なんだこの楽しい生き物、と真っ赤になって頭抱え始めた燕を見てけらけら笑う梟である。いつもならここで、反撃の一つも来るところなのに非常に残念だ。からかわれていると分かっていても、彼なりに多少配慮をしているつもりらしい。学校の一見で、背中に傷を負った梟を一応彼なりに慮ってくれているらしかった。

 もう二週間過ぎたし、ちょっと切っただけなんだけどなあ、とは心の中だけで。最終局面で上から降ってきた椅子やら机やらの破片がぶち当たったというだけのこと。まあ、傷の深さのわりに出血が多くて、妙に心配されてしまったことは正直申し訳なかったとは思っている。女の子をかばって受けた傷だ。男としては、名誉の負傷だと心の中では思っているわけだが。

 あの時のことは一応話したが、多分母は信じてくれていない。父は七不思議を過去に調べていたこともあってか、多少理解を示してくれた様子だったが。まあ、大人の反応としては妥当なところだろう。頭ごなしに否定してこないだけ、我が家の母は配慮してくれている方だと思っている。


「朝から食卓で騒ぐなよー」


 そんな自分達を横目に、父は今日ももぐもぐとサンドイッチを頬張っている。痩せているのに随分と食べるものだ。一体いくつめの卵サンドがその胃袋に消えたのだろう。昨日同僚とオンライン飲み会をしていて、結構遅くまで起きていたし食べていたことを自分達は知っているわけだが。


「サンドイッチひっくり返したら怒るぞ……母さんが!」

「母さんかーい!ってこれいつもの流れ!」

「だって俺怒っても全然怖くないって言われるし、そういうのは鬼のように怖い母さんに任せた方が……ぶふっ」


 そんな父の頭に、スコーンとハリセンの一撃が決まった。一体いつどうやって用意したのだろう。母は厚紙で作ったハリセンを携えて、じとーっとした目で父を見下ろしている。


「黙って食べなさい、子供か!」


 父は涙目で、タンコブが増えると嘆いていた。今朝、彼は朝から買い物に行く約束を母としていたにも関わらず寝坊して、既にハリセンの一撃をもろに食らった後であったのである。ご愁傷様と言うべきなのか、自業自得と言うべきか。

 そんな父を見ながら、鳥カゴの中でリーコが“ダマッテタベナサイ!子供カー!”と喚きながら羽根をパタパタさせていた。父に溺愛されて飼われているはずだというのに、リーコが覚える言葉は相変わらず母の小言ばかりだ。餌をやろうとする父の手をつっつくこともある悪ガキである。そんなインコからも尊敬されていない父だというのに、不幸せそうに見えないのは多分――彼が彼なりに当たり前の日常というものを大切にしているからなのだろう。

 あの事件が起きて、本気で今ここで死ぬかもしれないと思った時。梟は、嫌というほど感じたのだ。自分は予知を見てどこかで諦めてはいたけれど、やっぱり本当は死にたくなどなかったということを。できることならば生きていたくて、まだ傍で燕達のことを見ていたいと心底願っていたということを。

 何故なら、あの時。此処で死んだら、未来が変わって自分以外の誰かが死ぬかもしれないと思った時。同じだけ、考えてしまったのだから。


――最低だよな、俺。結局未来で代わりに誰かが死ぬかもっていうことより、自分が死にたくないってことばっか、土壇場じゃ思ってたんだから。


 意地汚いとは思うし、自分で自分に失望したのも事実ではあるけれど。その上で、今はこうも考えているのである。

 あの時本気で生きようと思うことができなければ、自分は燕の頑張りを無駄にしてしまっていたかもしれない。間に合わず、あのまま化物に捕まって殺されていたかもしれない、と。

 確かなことは。死んでいたなら、今のこの光景は無かったということ。

 当たり前に朝日を拝んで、家族の顔を見ることなど叶わなかったこと。そして。


『兄ちゃん!英玲奈ちゃん!って、うわぁぁぁ!』


 気がついたら朝になっていて、校舎の外に倒れていた時。自分と英玲奈に駆け寄ってきてわんわんと泣き、抱きついてきた燕のあんな姿を。自分は見ることもできないまま、終わっていたに違いないということだ。


『うわぁぁん、兄ちゃん馬鹿野郎ー!なんで背中血だらけなんだよ、そんな怪我しててなんで何も言わないんだよこのやろー!ふっざけんなよな、もう!俺頑張ったし、マジ頑張ったのに褒めろとか言えない空気じゃん酷いよおおお!死ぬなばかー!!』


 ちなみに感覚が恐怖と緊張で麻痺していたせいか、梟は燕に大泣きされるまで自分が背中に怪我をしていることに気がついていなかったのだった。結局、あそこまで本気で頑張って堪えていたのであろう英玲奈にも泣かれてしまって、感動の再会どころではなくなってしまうし。自分もほっとした途端気絶してそのまま病院送りになるしで、いろいろ散々だったわけだが。

 なお後日、梟が大した怪我ではないと知った燕からは散々“英玲奈ちゃんの前で泣かないようにしてたのに馬鹿兄貴のせいで台無しになった、ふざけんな”と恨み言を貰う羽目になってしまった。自分としても非常に肩身が狭かったのは間違いない。せっかく好きあった二人の感動的なエンディングになるはずが台無しである。

 また、五階の三階の空き教室のあたりの天井が崩れていたことから、表向き自分達はその崩落事故に巻き込まれたということになっていたらしい。もう一人いなくなっていた小学六年生の千代田真姫かそこで半分埋まるように発見されたからというのもある(彼女は意識を失っていただけの軽傷で、何も覚えてはいなかった)。

 実際、梟の背中の怪我は瓦礫がぶつかったせいであるので、誤魔化しもきいたのだろう。何故三階の空き教室近辺だけ天井が崩れたのか、そのへんは謎だらけで大人たちも首を捻っていたらしい。

 元の世界に戻ってきたことによる反動か。マリコさんの最後の抵抗であったのか。そのへんは神の溝知るところだ。結局のところ自分達は学校の封印の仕組みを知ったのみで、“鬼”達の詳しい正体まで理解できたわけではなかったのだから。

 まあ、一応丸く収まったことにはなったのだろう、と梟は思うことにしている。

 自分達の奇妙な証言も、母をはじめ多くの大人たちは“事故に巻き込まれたショックで記憶が混乱しているせい”だと考えているようであるし、それはそれで大きな騒ぎにならなくて良かったと思うべきだろう。あの学校が、鬼を封じ込める堰であったこと。自分達は知らず知らずその封じ込めに協力しつつ、毎日のように百鬼夜行の通り道で過ごしていたこと。そんな話、藤根宮の子供達は知らなくてもいいはずのことである。

 そう、あの一晩の、悪夢のようでいて少しだけドキドキするような冒険は――自分達三人だけが知っていればいいのだ。

 それで何も問題はない。何もかも元通りに見えて、新しく変わったことも確かにあるはずなのだから。


「どーしたよ、兄ちゃん」


 サンドイッチを食べる梟の手が止まったことに気付いてか、燕が声をかけてくる。


「ひょっとして、まだ背中痛い?」


 いつも通りふざけているように見えて、やっぱりまだ自分は心配されているらしい。そんなに気にしなくてもいいのにな、と梟は思う。――そういうのは、自分の役目なのだから、と。


「いや、平気。ちょっと考え事してたダケー」


 ゆえに梟は、笑顔を作って言うのだ。


「時に、燕クン。……もう九時半にもなろうという時間なわけですが、さっさと支度しないで大丈夫なのかね?デートに遅刻する男は一発でフラれると思うんですけど」

「げっ!マジだぁ!?」


 おどけて言ってやれば、燕は真っ青になって慌ててハムサンドを紅茶で流し込み、席を立った。

 小学生同士で、大したことができるわけではないけれど。それでもなんだかんだと、正式にお付き合いすることになったらしい燕と英玲奈。なんとも微笑ましい光景だ――二人で見に行く最初の映画が、某猫型ロボットの長編映画であることも含めて。


――そうだよな。時の流れって、悪いことばかりじゃない。……変わっていくことは……変わっていけることは。奇跡みたいに幸せなことでもあるはずなんだ、きっと。


 携帯にマスクに時計に財布に、とバッグにいろいろ詰め込んで、ちょっとだけお洒落な服を着て玄関へ駆け出す弟。これも自分の役目かね、と思いながら飛び出そうとする彼が落としていったパスケースを投げてやる。


「電車だろーが、忘れんな!」

「さんきゅ!いってきまぁぁぁす!」


 いってきます、の彼の声が元気に駆け出す足音とともにフェードアウトしていく。わたわたと初デートに向かうべく、駅への道を駆けていく弟を見ながら――梟はそっと呟いたのだった。


「……良い方に変わる未来もある。……信じてみてもいいかな、俺も」


 願わくば、あの予知だと思えたビジョンが、自分のちょっとした白昼夢でありますように。

 あるいはその瞬間が仮に来てしまっても、それまでの日々を自分達が心から笑って過ごせますように。


――さて、さっかくの日曜日だ。俺もリハビリがてら、ちょっとお出掛けしますかねー。


 まだチリチリと痛む背中に苦笑いしながらも、梟は玄関先で伸びをした。

 あのような悪夢を自力で乗り越えた自分達ならば、もう一つくらい大きな運命を乗り越えることもできる。そう信じてみても、きっとバチは当たるまい。

 人の生きる力は時に、どんな恐ろしい怪物も退けることができるのだと。彼らがそう、教えてくれたのだから。

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