<3・恋占い、恋呪い>

 兄の、我が意を得たりといったようなにんまり顔が憎たらしい。おまじないの詳細を訊いたというだけで、何故そこまで勝ち誇った顔をされなければいけないのか、と燕は思う。


――俺だってそりゃ、英玲奈とちゃんと恋人同士っていうの?なれたらいいなーとは思うけど。


 おまじないのやり方は、そう難しいものではない。学園の七不思議そのものは以前からちらちら耳に挟んでいたが(どちらかというと、ああいうものが好きなのは女子の方だ。男子的には、恥ずかしくて細かいことを聞けなかったというのが正しい)、まさか本当に七つ中六つがおまじないっぽいものであるとは思ってもみなかった。しかも兄が自慢げに語るからには、彼の時代からそうだということなのだろう。

 今日それとなくざっくりと友人数人に聞いてみたら、やはり兄が在学中の七不思議と現在の七不思議はやはり変わっていないようだった。そこまで年の差があるわけでもないのだから当然といえば当然だ。そして意外だったのは、恋愛成就のおまじないはともかく――実は男子にも、七不思議に興味を持っていた友人は少なくなかったということである。

 もっともその理由は。


『だってさ、オバケとか本当に見られたら面白くね?自慢できね?動画配信とかしたら超売れそうじゃん!』


 という、なんとも面白半分以外の何物でもないものであったが。なんでも、七不思議を実行すると、願いが叶うのみならずその元になった幽霊と出会うことができるなんて噂が、誠しなやかに流れているらしい。なるほど、好奇心旺盛な男子達からすると、おまじないよりそっちに興味があるのだろう。

 だからこそ、少し不思議ではあるのだが。

 七不思議、といえば基本的には怖い話と相場が決まっているはずである。何度か学校の怪談にまつわる小説も読んだが、七不思議の内容が“怖い話”でなかった試しが一度もない。この学校のように、おまじないになっているのは奇妙といえば興味なことだった。女子はそれでも楽しいのかもしれないが、男子達にとってはオバケに遭遇できる怖い話である方がずっと面白いはず。そっちの話で盛り上がることの方がありそうだというのに。

 と、そんなことを燕が言ったら、兄も同じことを思っていたのかうんうんと頷いてこう言ったのだ。


『どっかで噂が変化したのかもなあ。流行とかあるじゃん?おまじないがすっごく流行した時に、七不思議も書き変わっちまったのかも。俺七不思議に関して最初に聞いたの、確か先生だったんだよなあ。その当時のウチの担任、まだ二十代で若かったし、父さんが七不思議調べてた頃が丁度境目だったのかもな』


 確かに、子供が噂して広まっていくものなのだから、どこかで変化してもおかしくはないだろう。そのわりに、七不思議に出てくる幽霊の名前と、その表題が変わっていないのがかえって謎ではあるのだけれど。


――首吊りのマリコさん、かあ。


 ああ、おまじないを試そうと思ったのは自分である。英玲奈とくっつきたい気持ちが抑えられなくて、そういうものに頼ると決めたのは間違いなく自分だ。それでも、兄のドヤ顔を思い出すたびに、胸の奥がむかむかとしてしまう。

 兄の梟のことは嫌いではない。嫌いではないが、時々無性にイラっとさせられるのも事実だ。

 大人びた落ち着いた態度に、自分と全然似ていない綺麗な顔立ち。運動神経はそこまで良くないが(今は昔よりマシだけれど、幼い頃は非常に体が弱かったと聞いている)成績優秀で友達も多い。何かにつけて優秀な兄と比較される弟は、いっつも肩身の狭い思いをしてきたのだった。自慢の兄だ。それでも嫉妬するな、というのは土台無理な話なのである。

 加えて兄には、どうにも不思議な力があることも知っているのだ。ちょっとした霊感と、ちょっとした予知能力らしきもの。本当にやばいものは本能的にわかるし見える、時には未来も見通せる。凄い力だと思うが、本人はあまりその力を好きだとは思っていないようだった。彼いわく、とにかく中途半端、ということらしい。


『霊が見えるつっても、そんな頻繁に見えるほどじゃないし。本気でやばいってレベルのものが近くにいる時はなんとなくわかるけど、正直それくらいのもんだし。何より予知能力っつーのがさあ。いつ見えるか全く予想できないのが問題なんだよ。たまーに未来が見えても、それが“何処でいつ起きる話”なのかさっぱりわからない。役に立つかよ、こんな力。まったく見えないか、もっとはっきり見えた方が絶対すっきりするってのにさー』


 大した力ではない、というのはきっと間違いではないのだろう。

 ただし、今まで人生で幽霊の一つも見たことのない燕からすれば、兄の“その程度の力”でさえも充分羨ましいと思うのだ。幽霊は怖いけれど、友達に自慢できるのは悪い気がしないし――何より燕は兄と違って平凡なスペックの子供でしかない。何一つ誇れる物などないのだ。一つくらいそんな力でもあれば、自分にもっと自信を持てたかもしれないのに、なんて思うのも致し方のないことであろう。

 むしろ英玲奈と両思いになりたいのも。英玲奈のことが好きなだけではなくて、彼女に愛される自分であれたなら自分をもっと好きになれるかもしれない、という気持ちさえあるのかもしれなかった。


――……ああもう、こういうのアレだよ、自己嫌悪ってやつだよな多分。


 それでも、兄に言われた通り今燕は学校の廊下をゆっくりと歩いている。ひょっとして英玲奈にとっては迷惑かもしれない、そんなおまじないを試すために。


――兄ちゃんのこと、嫌いなんかじゃないのに。なんでこう、時々滅茶苦茶……惨めな気持ちにさせてくれるんだろうな。


 南校舎の三階の一番端の、空き教室。四階五階と比べると、三階はそこそこ人通りもある。人がはけるまで、先生に気づかれないように待機するのは少し面倒なことだった。空き教室でそのまま待っているわけにもいかない(見つかったら恋のおまじないをしようとしたとソッコーでバレて、からかわれるのが目に見えているからだ)ので、トイレやら他の教室やらをうろうろして時間を稼いでいた。我ながら何をやってるんだ、と時々虚しい気持ちにならなかったと言えば嘘になるけども。

 小学校の授業は、六時間授業の場合帰りの会も含めて終わるのは三時半だ。四時くらいまでは、普通に残っている生徒もいる(四時を過ぎると見回りの先生に早く帰れとどやされることになるが)。さすがに四時半にもなれば、少なくとも生徒の大半はいなくなるだろうと踏んでいた。そもそも校舎内に残っていたとて、何か面白いものがあるでもない。パソコン室に自由に出入りできるでもなく、図書室がいつまでも開いているわけではないのだ。委員会の類がないのなら、それこそ自分のようにおまじない目的でうろちょろしている生徒がいるかどうかといったところだろう。


――昔々、マリコさんという名前の生徒がいた。


 ガララ、と音を立てて開ける空き教室のスライドドア。


――彼女は小学生でありながら、学校の先生に恋をしてしまっていた。生徒と先生、しかも小学生女子とあっては見込みなんてほぼゼロに近い。結ばれていい恋でもない。彼女はそれをわかっていて、切ない思いを秘めたまま耐え忍ぼうとしていた……。


 ところが、ある時を境にぷつんとその糸が切れてしまうことになるという。彼女が片思いしていた先生が、結婚することになってしまったのだ。

 幸せそうに他の先生や生徒達に報告する先生、お祝いされる声。それに耐え兼ねて、彼女はついに自ら命を経ってしまうことになるのだ。自分以外の誰かのモノになってしまう先生を見るのが耐えられない、そうなる前に終わってしまいたい――と。

 そんな彼女が首を吊ったのが、この空き教室であったというのだ。正確には“この校舎”ではなく、“前に建っていた旧校舎の”であるのだろうが(なんせ同じ怪談が父の時代からあったというのだから)。

 以来彼女の魂はこの教室に残り、自分と同じ報われない恋をしている生徒を助けてくれるようになったというのである。心優しい彼女は、自分のように恋に破れて破滅する人をもう見たくないと考えてくれているからとか、なんとか。


――校舎建て替えられたのに、幽霊だけ宙ぶらりんで残るかふつー?って思うけど……まあ、噂作る人にとってはどーでもいいのかな、そんなこと。


 おまじないのやり方は難しいものではない。

 小さくてもいいので鏡を用意し、黒板などに立てかける。その前で、呪文を五回唱えるのだ。


「一つ結んで、マリコさん。二つ結んで、マリコさん……」


 黒板に立てかけた鏡の前で手を合わせて、ぶつぶつと呟く燕。


「聞こえたらお返事をください。この声にお応えください。私の名前は鈴谷燕です。この学校の生徒です……」


――これ、誰かに聞かれちゃいけない縛りなかったとしても……誰にも聞かれたくないよなあ。


 聞かれたら恥ずかしくて死ねる。やや顔が熱くなるのを感じながら、ちらちらと廊下を気にしつつ呪文を繰り返した。どうか誰も来ませんように。おまじないに失敗するのも悲しいが、何よりバレてからかわれでもしたら憤死ものである。

 早口で呟き続ける時間が、やけに長く感じた。やっと五回唱えたところで、ふう、と息をつく燕。あとは、自分の願いをはっきりと口にするだけだ。


「お、お願いします!俺、熊野英玲奈ちゃんと両思いになりたいです!英玲奈ちゃんと俺を、カップルにしてください!!」


 最後に二回大きく手を叩いて、終了。兄に言われた手順通りであるならば、これでおまじないは無事完了したということになる。あとは、このまま鏡を回収して、こそこそと家に帰るのみだ。


――思ったより時間かかっちゃった。これ以上遅くなったら母さんにどやされそうだし兄ちゃんにもぜってーからかわれる!


 安堵しつつもややうんざりしながら、燕が鏡に手を伸ばした時だった。


「……え?」


 用意していたのは、小さな手鏡である。歯科研修があった時に学校に持ってきていて、そのまま道具箱の中に入れっぱなしになっていた赤くて丸い手鏡だった。けして大きくはない燕の手と同じくらいのサイズ、当然映る範囲は広くはないのだが。

 驚いて固まっている燕の顔の、すぐ後ろ。

 誰もいないはずの空き教室の空間に――何かが映りこんでいるのだ。


――え。え……?


 それは、長い髪の女の子だった。

 白いワンピースを着た女の子の体が宙に浮き、ぶらぶらと揺れているのである。――首に、縄をかけた状態で。その体の向きが横であることと、長い髪の毛に邪魔されてその顔を見ることはできないが、しかし。


「ひっ!」


 慌てて振り返るも、誰もいない。相変わらずしん、と静まり返り、夕焼けに照らされた教室の光景があるばかりである。

 何かを見間違えたのだろうか。それとも、まだ夜には早いのにおかしな夢でも見たのだろうか。

 燕が息を切らせながら再度鏡に視線を戻した時だった。


「ひゃあああっ!?」


 今度はもう、鏡の中には燕の姿さえ映っていなかった。

 顔だ。それも、人の顔の目元のアップ。真っ黒な髪の毛の合間から、血走った女性の目が覗いている。誰もいないはずだというのに、鏡の中からは確かに誰かがこちらを覗き込んでいたのだ。


「な、な、なななっ」


 思わず座り込み、後ずさった。背中がガン!という重たい音とともに教卓にぶつかる。

 何か、とてつもなくまずいことが起きようとしていると直感した。とにかく立って逃げなければと思うのに、腰が完全に引けてしまっていて足に力が入らない。座ったまま、ずりずりと鏡から逃げようとしたその時。

 鏡の中から飛び出してきたのは――大量の長い髪の毛。


「ひああああああああああああっ!?」


 それは、尻餅をついたまま逃げようとした燕の手に、足にと絡みつき、ずりずりと引っ張り始めたのである。そう、鏡の方向へと。


「や、やめて、離せ、離せよお!」


 足をバタつかせ、教壇をひっかき、抵抗するも無駄だった。凄まじい力で引きずられた燕は、ついに。


「やだあああああああああああああああああ!」


 小さな鏡の中に引きずり込まれると同時に。意識はぷつん、とブラックアウトしたのである。


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