4-5


 僕は自意識を消そうと試みていた。でも中々うまくいかなかった。

 いくら頭を振っても、他のことを考えようとしても、頭の中にこびりついたイメージが消えない。勝ち誇った犬塚の嘲笑、呆れたように僕を蔑むシレネの灰色の瞳。同情の色を顔面いっぱいに浮かべるエーデル。そして、

 すべてに失望した目つきで僕を見る、なるみもの顔。

 感情が身体の内側で煮えくり返り、でも僕はベッドの上で暴れまわることくらいしかできなかった。力任せに枕を殴りつけ、布団に顔を埋めて大声で叫んだ。いずれ疲れて眠りに落ちるものの、覚醒した僕を待ち受けているのは真っ黒な記憶と現実。

 精神が疲弊するだけの堂々巡りがつづいた。気づけば自室に引きこもってから一週間が経過し、呪いによる死のタイムリミットまであと――七日。

 最初の内は何も聞かずに僕の不登校を看過していた両親だったが、最近は僕に介入してくるようになった。「ねぇ、そろそろ学校行ってみたら?」「行きづらいのはわかるけど、こうしていてもどうしようもないでしょう」「このままだと、また中学の時みたいに――」

 うるさいな。

 僕は、ドアの外側から語り掛ける母親の声を一切無視していた。両耳を塞いで、音が入らないようにしていた。どこか、誰もいない場所。何の音も聞こえない場所に行きたいな――

 深夜、両親が寝静まったのをいいことに僕は外に出て、バイクにまたがる。ガランとした二車線道路をあてもなく無心で走らせ――でも無意識の内に、見知ったルートを辿っていることに気づいた。

 目的地にたどり着いた僕がフルフェイスメットを脱ぐと、潮の香りが鼻孔を刺激する。同時、がらんどうの風景の中、無邪気にはしゃぐなるみもの姿が視界に広がった。

 僕は例の海浜公園を訪れていた。見渡す限りの深淵とさざ波の音だけがその空間に存在していて、遠くの街灯が世界の輪郭を薄ぼんやりと照らしている。僕は石段の埋め込まれた土手に腰をかけ、何をするでもなく海の音に耳を傾けた。


 藤吉くん、藤吉くん。波の音がするよ! ざざ~んって!

 アハハッ! 藤吉くん、今の声めっちゃウケるわ~。

 はいダメ~、棒読みすぎ~、ペナルティで~す。


 さざ波の反響に混じって、屈託ない彼女の声が脳内で再生される。桃色の記憶に僕は全神経を集中させ、灰色の現実を上塗りしようとしていた。……バカみたいなのは百も承知だ。そんなことでもしないと、僕は情緒を保つことができなかった。

 ……なるみもは、どうしているだろうか。公式サイトの発表では体調不良で休養ということになっている。決して知名度の低くないトップアイドル『idol.meta』のスキャンダル。SNSやネットニュースで今回の件が大袈裟に取り沙汰されているのは自明の理だった。僕でさえ、バッシングの嵐に心が耐え切れなくなり、すぐにPCモニター画面を閉じてしまった。当事者である彼女の精神負担は僕の比ではないだろう。

 だけど僕は、彼女に何をしてやることもできない。

 だって、彼女を傷つけてしまったのは他でもない僕だから。

 ギュッと目を瞑り、顔を掌で覆う。このままではいけないのはわかっていた。だけど僕は、自分が何をしていいのか、どうすればいいのかが全くわからなかった。そもそも僕は、なるみもに対する気持ちについて疑問を持ったまま、その答えを出せずにいる。

 自責の念に堪えられなくなった僕の脳内を、都合のいい言い訳ばかりが巣くった。

 そもそもなるみもは、積極的にアイドル活動をしていたワケじゃない。このまま引退したとしても、それはそれで彼女の踏ん切りになるんじゃないか? 犬塚がなるみもの気持ちを弄ぼうとしているのだって、なるみもは赤倉と違ってバカじゃないから、奴の目的に気づいたなるみもはアイツのこと、相手にしないかもしれない。だとしたら――

 このまま僕が何もしなくったって、彼女は自力で立ち直れるんじゃないか?

 まぁ、恋の成就は失敗に終わり、死神の呪いによって僕は命を失うけど。

 ……それが、なんだ? なるみもがいない僕の人生なんて、いっそ――


「藤吉玲希。こんなところで何をしている」

 音のないはずの空間に第三者の声が響く。その声に僕は耳覚えがあった。

 ゆっくり瞼を開けると、漆黒のローブを纏った彼女が闇夜に塗れている姿が目に入る。灰色の瞳で無味乾燥に、シレネは僕を見下ろしていた。

「……別に、何も」目を伏せた僕が、そう返すと、

「では質問を変えよう。お前はなぜ、『何もしない』んだ。呪いによるタイムリミットは刻々と迫っている。すぐにでも逆転の一手を打たねばならん状況なのは、誰の目から見ても明白だ」

 シレネの声は相変わらず淡々としている。相変わらず、口調に遠慮と容赦がない。

 僕と彼女の間には、明確な温度差が生じていた。

「どうしろ……っていうんだよ。僕はなるみもに、明確に拒絶されたんだ。犬塚にハメられたとはいえ、ツーショット写真が流出してしまったのは僕の落ち度だ。……彼女に会わせる顔なんて、ないよ」

「『恋の矢』を使えばよかろう」

 存在を覚えてすらいなかったそのワードに僕はギョッとなり、思わず顔をあげてしまう。

 シレネの手には、机の奥底にしまっていたはずの金色の矢文が握られていた。

 ……なんで、恋の矢の存在をシレネが? ――僕が疑問を覚えると同時、僕の表情から何かを察したのかシレネが、

「エーデルから聞いた。問答無用で人の恋心を操る禁断のアイテムだそうだな。……もはや四の五を言ってられる状況ではない。鳴海美百紗に接触さえできれば、彼女の気持ちを奪取することができ、お前の呪いも解かれる運びとなる。一石二鳥ではないか」

 一瞬――一瞬だけシレネの提案に心が揺らいだ。でも、

「ダメ、だよ」重力を纏った声を、僕は石段の丘にごろりと転がす。

「そんな裏技みたいな真似をしてまで、彼女と一緒になんてなりたくない。それに……」

 シレネから視線を外して、遠くの海に向かって言葉を放った。

「そもそも僕は、なるみもを本当の意味で『好き』じゃなかったのかもしれない。僕は表層的にしか彼女のことを見ていなかった。『なるみも』っていう理想の女の子を自分の中で勝手に作り上げて、勝手に恋をしていたんだ。……そんな僕が、彼女と恋人になる権利なんてない」

「はっ……?」

 シレネが珍しくすっとんきょうな声をあげる。僕は彼女と顔を合わせることができない。

 珍しく狼狽した様子で、シレネが言葉を紡ぐ。

「……今更、何を言い出すんだお前は。わかっているのか? お前……このままだとあと一週間もしない内に、死ぬんだぞ?」

 僕はすぐに返事を返さなかった。乾いた息をこぼすように漏らし、口元に笑いさえこみあがってきた。視線を移ろわせた僕は、細い目を少しだけ見開いているシレネに向かって、

「……構わないよ。なるみもを失った僕に、生きる理由なんてない」

 遠慮がちな波音が耳を撫でる。闇夜に紛れる真っ黒なローブが、潮風によって少しだけなびいていた。やがてシレネが、「……そうか」全てを享受するように漏らした。

 おそらく、シレネは僕に愛想を尽かしたんだろう。このまま僕の元を去り、エーデル共々僕の前から姿を消すのだろう。僕はそういう想像をしていた。

 して、いたんだけど――

「ならば、今死ね」

 鋭い発声と共に、シレネが僕に近づく。土手にへたりこんでいる僕の首根っこを掴んで、全身を持ち上げた。僕の眼前、鼻先十センチメートルの距離に真っ白な彼女の顔が広がる。

 困惑した僕はされるがまま、声をあげることもできずに呼吸が失われる感覚だけを覚えている。目の前のシレネが右腕を大きく振りかぶり、僕の顔面を殴りつけた。

 鈍い衝撃音と共に僕の身体が土手に転がり落ちる。燃えるような痛みに全神経が集中し、僕は条件反射で両手を動かして顔を覆った。……えっ、えっ、えっ――

 急展開に状況の整理が追い付かず、しかしシレネは追撃の手を緩めない。倒れ込んだ僕に馬乗りになった彼女はそのまま、僕の首を絞め始めた。

「ぐぅ……っ!」

 声にならない声をあげながら、僕の本能が必死の抵抗を試みていた。両足をバタバタと動かしながら、彼女の両手を上から掴んでひきはがそうとする。しかし一切の遠慮がない力加減にままならず、喉仏が押しつぶされた僕は強い吐き気を覚えた。

 万力で締め付けられるような頭痛に襲われる。呻き声を必死にまきちらしながら、僕はもがいた。お願いだからやめてくれ、勘弁してくれ、助けてくれ――脳内で泣き叫ぶも、懇願が外に飛び出すことはなかった。意識が遠くなる、視界がぼやけていく。急上昇した全身の体温が、今度はゆっくりと抜け落ちていく。だめだ、だめだ、だめだ。

 僕は今、死――

 ――ぬと思った矢先、ふいに首元が楽になり、酸素が口内になだれこんできた。

「お……オエェッ! がっ、ガハッ――」仰向けになったまま僕は派手にえずいている。

 アトランダムな呼吸を繰り返し、ハァハァと肩で息をしていた。

「……どうして抵抗する。死にたいんだろう? 死んでも構わないんだろう?」

 未だ脈拍の安定しない僕に対して、シレネが冷淡な声を浴びせる。「それ……は――」息も絶え絶えに声を返した僕は、しかし二の句を継ぐことができない。

「わからんか? では代わりに私が答えてやろう。……お前は、『死』というものを理解していない。何故なら『死』を理解している人間は、軽々しく『死んでもいい』なんて口にできないからだ」

 少しだけ朦朧とする中、シレネの声が頭上で鳴っている。

 いつもの如く波形狂わぬ等間隔なトーン。だけどその声がいつもより、少しだけ寂しそうに揺らいでいる気がした。

「『死』は圧倒的だ。どんな暴力よりも慈悲がなく、無遠慮に全てをさらってしまうのが『死』だ。あらゆる希望を一瞬で無に帰し、全ての繋がりから全てを断絶してしまうのが『死』だ」

 意識がハッキリとしてくる。僕を見つめる彼女の顔に、輪郭が宿る。

「いいか、藤吉玲希。『死』を軽視するという行為はな、あらゆる悪行にも勝る重い罪なんだ。必死で生をまっとうしようとしている人間を否定する行為なんだ。だから……死んでもいいなんて台詞、二度と吐いてはならない」

 そこまで言って、シレネは一度言葉を切った。僕はばつの悪そうに彼女から視線を逸らして、ごちるようにこぼす。

「……でも、現世で死んだとしても天界でカミサマとして生き返るんだろう? だったら、別に死んだって――」

「馬鹿者」鋭い発声が再び、僕の声を遮って、

「天界で神として生きる時間は、現世の生と全く別物だ。むしろ、なまじ記憶を有している分、現世で背負った後悔を捨てきれぬまま次の輪廻転生を待ち続けることになる。一度失った現世の人生を取り戻すことは、誰にもできん」

 シレネの叱責が頭の中で響く。

 後悔――その言葉が、胸の奥に重くのしかかった。

 シレネが遠くの景色に目をやり、再び口を開く。

 まるで自分自身に言い聞かせるように、彼女は言葉を重ねていった。

「私は恋愛の『れ』の字もわからん。お前らを見ていてますますそう思うようになった。……だがな、これだけは断言できるぞ。お前がこのまま何もせずに死を迎えたとしたら……お前は深い深い後悔を背負うだろう。あの時ああしていればと、具にもつかない自問を問いつづけることになるだろう」

 ジワリジワリ、焦燥が胸に広がっていった。叫びだしたい衝動が身体の中を駆け巡っていた。

 シレネが今ひとたび僕に目を向ける。灰色の瞳――その奥に強い光を宿しながら。

「もう一度だけ訊こう。お前……本当にこのままでいいのか? 自分の気持ちに決着をつけることもせず、その結末を鳴海美百紗に伝えることもなく人生を終えて、本当に、いいのか?」

 胸の奥に、ナイフを突き立てられた心地がした。シレネが最後の一言を言い放つ。

「つまらんことを考えるな。シンプルに自分に訊いてみろ。お前は一体、どうしたいんだ?」

「僕は……」懇願するような声が漏れ出る。ブワッ。せき止められていた感情が噴出し、同時に目から大粒の涙が溢れていった。

 ひしゃげた顔で、「僕は、僕は、僕は……僕は……ッ!」情けなく声を裏返しながら、

「好きって感情を……恋ってやつを……ちゃんと、わかっていないのかもしれない。まだまだ子どもで、人の気持ちを理解することができない奴なのかもしれない。過去の記憶に苦しんでいる彼女に気付けなかった僕は、彼女の隣にいる資格なんて、ない、のかもしれない……」

 頭に浮かんだ感情をそのまま、僕は吐き出していった。

 一切のコーティングがされてない心の吐露を、震えた声で、爆発させるように。

「でも、それでも……彼女が辛そうな顔をしている時、彼女が苦しんでいる時、すぐ近くにいたいんだ。その役割を、他の奴にとられたくないんだ。他の奴がなるみもの肩に手、回しているところ想像しただけで……めちゃくちゃ嫌な気持ちになるんだッ!」

 泣きながら僕は吠えている。見てくれなんか気にしていられない。口が勝手に開いて、言葉を止めることができない。

「自分勝手なのかもしれない。エゴ……なのかもしれない。だけど、彼女の隣にいたいんだ。その気持ちに嘘はないんだ。浜辺で無邪気にはしゃいでいるなるみもや、彼女がひた隠しにしていた内側のなるみも、みんなが知らない彼女を、僕は独占したい。僕は、僕は――」

 誰に対して――ってワケでもなかった。僕は、僕自身に、全力の本音をぶつけている。

「僕はなるみもにとって、特別な存在でありたいんだッ!」

 だだっ広い空間に僕の大声が鳴り響き、遅れて聞こえるうさざなみの音が、静寂の来訪を僕に告げる。眼球が燃えるように熱かった。心臓がドクドクと飛び出しそうに振動していた。

 シレネが立ち上がり、所在なげに髪を掻き上げながら僕を斜め下に見下ろす。

「……だったら、やるべきことは一つではないか」

 僕もまたムクリと身体を起こし、胸の前の衣服をギュッと掴んだ。ふぅっ。胃の中にたまった空気の塊をすべて吐き出し、僕はシレネに顔を向ける。

「恋の矢は使わない。今度こそ、本当に拒絶されるかもしれないけど、僕は真正面から自分の気持ちをなるみもに伝えたい」

「……好きにしろ」

 僕から視線を逸らし、シレネがあさっての方向に目をやる。

 その所作とは裏腹、少しだけ口元を綻ばせた彼女の表情はどこか嬉しそうだった。僕がはじめてみたシレネの笑顔だったかもしれない。でも、

「シレネ……なんていうか、ありがとう」

「礼を言うのは目的を果たしてからにしろ。私はまだ、お前のことを信用していないからな」

 相変わらずな彼女の物言いに、何故だか僕は安心してしまった。


 スマホ画面に目を向けると既に午前一時を越えていて、人が活動していい時間はとうに過ぎていた。疲労が背中にのしかかる感覚を覚える。今日はぐっすり寝て、明日は――とある決意を僕が胸に誓っていると、ふいに手元に振動が伝う。何事かと再びスマホに目を向けると、須王からの電話着信だった。……そういえばコイツとも、あの日以来喋ってないな。こんな時間に一体なんだろう。

 チラリとシレネを一瞥しながら、僕はスマホを耳元にあてた。

「もしも――」『ふっ、藤吉ッ!? やべぇ、やべぇよ! 大変なんだよッ!?』

 大声が耳に飛び込んだもんで、僕は思わず顔をしかめた。

「ちょ……声でかいよ。ってか何? こんな時間に……。大変って、何が――」

『なるみもが、犬塚と柳田にさらわれたッ!?』

「……えっ?」

 須王の言葉を一発で理解することができなかった僕は、バカみたいに聞き返すことしかできなかった。電波の向こう側にいる須王が興奮した様子で、

『俺……学校終わった後、犬塚の後をずっとつけてたんだよ! 俺の妹と、お前となるみも……三人をひどい目に遭わせたアイツが、どうしても許せなくてさ。復讐、してやろうと思って、アイツの尻尾、掴んでやろうと思って、それで――』

 須王が早口で言葉を並べているが、肝心なことを確認できていない。僕は須王の焦燥に流されぬよう、できるだけ平静を意識したトーンの声で、

「うん。で……なるみもがさらわれたって、どういうこと?」

『あっ……あのよ。アイツ、事もあろうになるみもの家に行きやがったんだ。つい、三十分くらい前かな。なるみもが家から出てきて、二人で近くの公園に行ってベンチに座って、最初はだべってるだけだったんだけどよ。途中から、なるみもの様子がおかしくなって――』

 ザワザワと、焦燥感が胸に広がっていく。僕は必死に堪えながら、「……それで?」

『犬塚が、なるみもの口元を抑え始めたんだ。なるみも、最初は暴れて抵抗してたんだけどさ、ぐったり、動かなくなっちゃって。……その後、犬塚が誰かに電話しはじめて、すぐに公園の前の道路にワゴン車が停車したんだ。中から柳田が出てきて、アイツらちょっと喋った後、犬塚が意識のないなるみもを抱えたまま車に運び込んだ。そのままどっか行っちまったんだよッ!』

「なん、だって……?」

 ザワザワ、ザワザワ、加速する不安感が鳴り止まない。

「そもそも何で、犬塚はなるみもの家の住所を知ってるんだよ?」

 少しだけ沈黙が間を縫った後に須王が、『……なるみの家の住所、ネットで特定されてるんだよ。まぁドメタくらい知名度のあるアイドルならよくある話でさ。SNSとか匿名掲示板とか、おもだった書き込みは事務所の方で削除依頼出したみたいだけど、一度拡散してデジタルタトゥー化した情報は完ぺきには消せないからよ』

 ギリッ――モラルなき悪意に心の底から憎悪を覚えた僕は、思わず歯噛みをしながら、

「状況はわかった……。アイツらがどこに行ったか、わかる?」

『わ、わかんねぇよ。車だし……。俺、とにかく誰かに伝えなきゃって、それで、お前に』

 ……だよな。僕は苛々しく後ろ髪をくしゃっと掴みながら、はぁっと嘆息した。

 何か手はないか。アイツらの目的地を特定する方法。

 なるみもを、犬塚から救い出す方法は――

「――連続殺人犯は、扱う凶器を一つに絞る傾向にある。手慣れない手法で失敗するのを恐れているからだ」

 ボソリ。右耳から淡々とした声が飛び込んだ。僕がギョッと顔を向けると、シレネが切れ長の目で僕を薄く睨んでいた。

「……電話の会話、聞こえてたの?」僕がそう訊くと、シレネがコクンとうなづいた。

『……えっ? 藤吉、今誰かといんの?』

「ああ、うん。ちょっと今シレネ……じゃなかった。同じクラスの羽黒さんと一緒で」

『……はっ? こんな夜中に二人で? 何、お前ら付き合ってんの? ……あれ、お前、なるみと先週の日曜、デートしたんだよな。……二股?? どゆこと??』

 ……ああ、めんどうくさいな。「ちょっとその辺の事情は、今度説明するから」僕は雑に須王をいなしながら、腕を降ろしてスマホのスピーカーを掌で塞ぐ。シレネに再び目を向けて、

「さっきの、どういう意味?」

「いわゆる犯罪者と呼ばれる連中は、悪行を働くための根城を有していることが多い。犬塚樹が似たような行為を過去に行ったことがあるなら、同じ場所で犯行を繰り返す可能性が高いだろう」

「……なるほど」その台詞でピンと来た僕は、再びスマホを耳元にあてがい、

『あのさ……。須王の妹も、前に犬塚にどこかに連れていかれて、その……恥ずかしい写真撮られたって言ってたよな? その場所、どこかわかる?』

 僕が言葉を選びながら訊ねると、須王は気落ちしたように、

『ゴメン、わかんねぇ……帰る時も場所わかんないように、目隠しさせられたって言ってたし』

「そっか、クソッ――」

 イイ線だと思ったけど、狡猾な犬塚がそんな手落ちを犯すはずもない、か――

 何か、何かないだろうか。奴らの根城を特定するヒントが。

 ……犬塚がなるみもの家の住所を特定できたのは、デジタルタトゥー化した彼女の個人情報がネットの海に漂っているからだ。

 デジタルタトゥー、ネット、情報。

 そういえば以前、アイドルがネットにあげた写真データから撮影場所を特定されて、SNSの個人情報流出が問題になっていたような――

「す、須王ッ!?」ハッとなった僕は思わず大声をあげて、

「その……犬塚が撮った妹の画像データ、お前に送り付けられたんだよな? スマホの中にまだある?」

『えっ?』僕の質問意図を掴みあぐねているだろう須王が困惑したトーンで、『いや、すぐに消したけど。……あ、でも、悪女フォルダの中にはまだあるかも。……なんで?』

「その画像データ、撮影した時のGPS位置情報が載ってないかな。もし犬塚が同じ場所になるみもを連れて行ったとしたら、奴らが向かった先を特定できるかもしれない」

『……そ、そうか! ちょっと待ってくれ!』

 須王も合点がいったらしい。そわそわと生きた心地がしないまま僕が彼の返答を待っていると、彼はなお興奮した口調で、『あった……あったぞ! ええと住所は埼玉県の――」

 カタカタと、キーボードが滑らかにタイプされる音が電話越しに聞こえる。須王はどうやら、住所を検索にかけることで詳細な場所を割り出そうとしてくれているようだ。

『間違いねぇ……この住所、アイツの親父の会社が持ってる空き倉庫っぽい。少なくとも、俺の妹が連れていかれた場所はここで間違いないはずだぜ」

「お手柄だよ須王。その住所、メッセージアプリで僕にも送ってくれないかな」

『えっ?』驚いたような声をあげた須王が、『藤吉、今からそこ、行くつもりなの? 警察とかに任せた方がいいんじゃ――』

 彼の言う事はもっともだ。でも先ほど、とある決意を胸に秘めたばかりの僕としては、指を加えて状況を看過する気にはとてもなれない。

「うん。警察に連絡したとしても、犯行現場に関しては今のところ僕たちの憶測の域を出ないし、イタズラだって取り合ってくれない可能性もある。僕にはバイクがあるから、すぐにその場所に向かうことができる。何かされる前に彼女を救い出せるかもしれない」

『……おおっ。なんか熱い展開だなオイ。警察には俺から電話してみる。ダメなら学校とか、なるみもの事務所にも』

「わかった。……須王、色々ありがとう」

 僕が素直な気持ちを吐露すると、須王は照れ臭そうに、

『やめろよ。ってか俺は、お前となるみもに百万回謝っても謝り足りないことをやっちまったんだ。……ちょっとくらい、罪滅ぼしさせてくれよ』

 須王の言葉に、僕の全身を張りつめていた緊張の糸が少しだけ和らいだ。『……とにかく、無茶はすんじゃねぇぞ藤吉っ!』その言葉を最後に僕たちの通話は終わり、ふぅっと息を吐きだした僕はシレネの方に視線を向けた。

「敵城に乗り込むのか?」彼女の問いに僕が力強くうなづくと、

「やめておけ」まさかの即否定に、「……へっ?」僕はお間抜けな声を漏らす。

「お前らの会話を聞く限り、鳴海美百紗は『ワゴン車』に乗せられてどこかに連れていかれたんだよな? 高校二年生――十七才に普通自動車の運転免許は取れない。つまり犬塚樹も、柳田とやらも運転することはできないはずだ。……まぁ無免許の可能性もあるが、同乗者がいると見る方が妥当だ」

「……何が、言いたいの?」

 興奮状態の僕とは対照的、シレネは冷静な目つきで僕を流し見ていた。

「敵は『複数人』存在するということだ。それも、素行の悪い連中が集まっていると見て間違いないだろう。お前と私が二人でノコノコ乗り込んだところで、返り討ちに遭うのは目に見えている」

「……だったら」僕は拳をブルブルと震わせながら、「どうすればいいっていうんだよ。今僕たちがここでぐだぐだやっている間にも、なるみもは――」

「急くな。私は先の言葉を、『策も用意せぬままに突っ込むのはやめておけ』という意味で言ったのだ。敵城に乗り込む行為自体は否定していない」

「策って……どうすんのさ? 今から用心棒でも雇うのかよ」

 僕は冗談というか、皮肉を言ったつもりだった。でも、

 薄い微笑を浮かべたシレネが、いつもの調子で煙に巻くような回答を、

「その通り。豚骨ラーメン一杯で動くボディガードに私は心当たりがある」

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