4-2


 藤吉くんはきっと、私のことが好きなんだろう。

 それも、他の男の子たちとは違って真剣に私を想ってくれているんだろう。

 その気持ちは素直に嬉しいし、私とてまんざらではないのも事実だ。

 だけど、彼がずっと見ていたのは、ドメタで乾いた笑顔を振りまく『なるみも』であり、一介の女子高生『鳴海美百紗』ではない。

 私は一抹の期待を込めて懸けに出た。そしてやはりというか、私は懸けに失敗したのだ。

 私の腕のリスカの跡を見た時の藤吉くんの表情――それが全てを物語っていた。

 藤吉くんは、私の本質を明確に拒絶していた。

 ドロドロに腐った鳴海美百紗の本性を、彼は受け入れなかったんだ。

 ……まぁ、そうだよね――、失望というより、私は変に納得してしまっている。

 アイドルなんか辞めちゃって、人並みの高校生活を送り、人並みに恋をして――なんて、一瞬でも期待した私がバカだったのだ。ピエロのお面を被り、自分自身に目を背けつづけている私に、恋のカミサマがそんな資格を与えるわけがない。

 すべてをなかったことにしよう。藤吉くんとは今の距離感のままでいよう。

 そういう結論に達した私は、開口一番教室で彼に挨拶しようと決めていた。

 おはよう、藤吉くん。朝から数学とかだるいね~――そんな軽口をかわすことで、私と藤吉くんの間に暗黙の契約が交わされる。昨日のデートは一日限りのほろ苦い思い出と化し、互いの胸の内に封印されるのだ。

 ふぅっと息を漏らした私は階段を上がり、学校の廊下で一人歩みを進めている。すると、我が教室の前で、そわそわとした様子でこちらを窺うブロンドヘアの女生徒の姿が目に入った。 

 ……あの子は、確か――

「――あっ! み、み、み、美百紗さんっ!?」

 彼女が私に駆け寄り、「……えと、若井さん?」私は思わず足を止めた。

 若井さんはひどく狼狽した様子でキョロキョロと視線が定まっていない。

「あ、あのですねっ、そのですねっ、い、今は教室に入らない方が――あっ! っていうか今日はもう、帰りましょう! 体調、あんまりよくないですよねーっ!?」

「……えっ?」

 彼女の発言に要領を得ない私は首を傾げ、しかし――同時に嫌な予感を覚えていた。

 私は若井さんの静止を振り切ってずんずんと足を進める。「あっ、ちょ、ちょっとーっ!?」彼女の言葉を無視して教室の中に入った。

 クラスの雰囲気がやけに騒々しい。皆一様にスマホ画面に目を向けながら、興奮した顔つきで談笑に耽っていた。やもすると誰かが私の登場に気づく。「あっ、なるみも――」クラス中の視線が私に集まり、喧騒がピタリと止まる。

 状況がわからず、針のむしろにされた私はただその場で立ちつくすばかり。沈黙が空間を埋めているさ中、赤倉さんが嫌らしく笑いながら私に近づいてきた。

「あらぁ鳴海さん。昨日はお楽しみだったみたいで……っていうかアンタ、守備範囲広いのね~。あーんな冴えない男にまで手、出すなんて」

 その台詞で、嫌な予感が確信に変わる。

「な、なんのこと。昨日はお昼から仕事があって、それまでは家でずっと寝てて……」

 おとぼけ顔でごまかそうとするも、付け焼刃の悪あがきは徒労に終わる。

「コレ」赤倉さんが得意げな表情でスマホの画面を私の眼前に突き出した。

 私の顔面を覆い隠す道化のペルソナが、瞬時に崩れ落ちる。

 私はたぶん今、クラス中に素の顔を晒してしまっている。

 彼女のスマホ画面には、SNSアプリの画像つき投稿が表示されていた。無邪気な笑顔を見せる私と、黒目線加工で目元が隠されている藤吉くんが映る写真。

 紛れもなく、昨日海で撮ったツーショットだ。投稿者のアカウント名は――藤吉玲希。


『ドメタのなるみも、ノリでデート誘ってみたらノコノコついてきたんですけど! 証拠写真晒す ♯拡散希望』 


 ……ナニ、コレ――

 瞬間。嫌なイメージが私の脳内になだれこんでいった。

 私を推してくれる数少ないファンの人達が失望に沈む姿。ドメタのメンバーやマネージャーからの冷ややかな目線。軽率な行動を晒し上げる幾多のネット記事。それと、

 朴訥な笑顔の裏で悪魔のようにほくそ笑む、藤吉くんの顔。

「アンタ一応アイドルなんだから。こういうの、あんまりよくないんじゃな~い?」

 煽るような赤倉さんの声が私の左耳に入って、しかしするりと右耳から抜けていく。私はマトモな思考を保つことができていなかった。「いや……あの……これは――」

 得意の言い訳が何も思いつかない。口を開くも、言葉が全く頭に浮かんでこなかった。

 ……まさか、まさか、まさか、まさか。

 藤吉くんがこんなことするはずがない。彼は私を、本気で想ってくれているはずだ。このご時世、SNSのアカウント偽造なんて誰にでもできる。……でも、でも――

 このツーショット写真の存在を知っているのは、この画像を共有しているのは、世界に二人だけ。私と藤吉くんだけのはず。

 ……だったら、どうして――

「なるみもッ!?」

 急に飛び込んできた大声にハッとなる。思わず背後ろの廊下を振り返ると、藤吉くんがハァハァと肩で息をしながら前屈みになっていた。

「ふじ……よし……くん」私は力なくそうこぼして、

「SNSの投稿、どういうこと?」バカみたいにそう訊いた。

「……SNS?」彼は私の発言にピンと来ていない様子で訝し気な顔を作っていた。私にはそれが素のリアクションなのか、造られた演技なのか見分けることができない。

 私は自身のスマホをポケットから取り出し、SNSサイトからアカウント検索をかけて、該当の投稿を彼に見せた。

「な、なんだよ……コレ」彼は顔を青くしながら、

「僕はSNSなんてやっていない。このアカウントは、誰かが勝手に作ったニセモノだ」

 弁解するような声でまくし立てる藤吉くんを、私は醒めた目つきで眺めていた。

 一抹の期待を抱きながら、疑惑の核心を彼の眼前に突き出してみた。

「……じゃあ、この写真は? 二人のスマホにしか、入ってないはずだよね?」

「そ、それは――」

 藤吉くんが、ばつの悪そうに私から視線を外した。

 その所作で、私は全てを理解する。

 ああ、私一人がバカだったんだな……って。

 藤吉くんが、私の外側しか見てなかったんじゃない。

 私の方こそ、彼の本性を見抜けていなかったんだ。


 ふいに、手に持っていたスマホがブルブルと震える。目を向けると、真っ黒な着信画面にマネージャーの名前が表示されていた。条件反射で通話ボタンをタップし、「――もしもし……」スマホを耳にあてがうと、怒声がグワンと私の頭を殴りつける。

『――鳴海ッ!? お前今どこにいるッ!? 大変なことに――』

「学校です。何が起こっているかは把握しています。すぐに事務所に向かいます」耐え切れなくなった私はマネージャーからの返事も待たず、すぐに電話を切った。一切の思考をシャットアウトして、スタスタと昇降口へ向かう。

「ちょ……な、なるみもッ!?」

 背後ろから私の名前を呼ぶ藤吉くんの声は、もちろん無視して。

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