2-2


 なるみもたちが僕のクラスに転校してきて一週間が経過した。呪いによる死のタイムリミットまであと――二十日だ。

 犬塚に対して宣戦布告した僕ではあったがその後、なるみもとは一度も話をできていない。犬塚率いるクラスの男子連中がまるでボディガードのようになるみもの周囲をガッチリガードしており、僕はおろか、他のクラスメートすら寄せ付ける隙を作らなかったからだ。つまりなるみもの中で僕は、『挙動不審な気持ち悪いファンの一人』という認識のまま何ら変化がない。対する犬塚は相変わらず砕けた調子で彼女との雑談に花を咲かせており、なるみもも犬塚に少しずつ心を開いているように見えた。

「――今日の放課後、みんなでカラオケ行こうかって話してるんだけど、なるみももどう?」「行きたいのは山々なんだけどさ、私一応、アイドルだし。男の子と遊んでいるところ見られて噂とかになんの、やっぱまずいんだわ。ゴメンね~」「そっか。わりぃ軽率だったわ。……プロの歌声、聴きたかったけどな~」「……いやいや犬塚くん。私がそんなに歌うまくないの知ってて言ってるっしょ」「ハハッ、バレた?」「うわ~、ドイヒー」

 僕は焦っていた。このままでは、犬塚の本性を知らないなるみもが奴の毒牙にかかってしまう。犬塚の裏の顔を彼女に暴露することも考えなくはなかったが……『挙動不審な気持ち悪いファンの一人』である僕の言う事を、彼女がすんなりと信じてくれるとは思えない。今のままでは仲の良い犬塚に軍配があがるのは目に見えていた。兎にも角にも僕は、まずなるみもの信頼を得る必要があるんだ。

 何かいい手はないか――シレネにも一度相談してみたが、「使えそうな策はあるんだが、確証がまだ持てん。少し待て」要領の得ない回答に苛々するだけだった。

 焦燥のためか最近は中々寝付けず、今日にいたっては見事に寝坊し遅刻ギリギリだ。寝起きからの猛ダッシュを強いられた僕は、昇降口にたどり着くなり思わず膝に手をついた。息を整えながら顔をあげると、がらんとした空間に一人の女生徒がポツン、シューズロッカーの蓋を開けたままボーッとした顔で中を見つめていた。そして、

 その女生徒の顔を僕は知っている。思わず、彼女の名前を呼んで――

「……なるみも?」

 なるみもはハッとなり、どこか焦った様子で慌ててロッカーの蓋を閉じる。僕の方に顔を向けて、瞬時に笑顔を作った。

「あっ……おはよう。えと、藤吉くん……だよね?」

 彼女と言葉を交わすのは一週間振り――まぁ、前のは会話とは言えないほどひどいものだったけど――彼女を前にして再び全身が緊張した。黒い記憶が僕の喉元を抑えつけた。でも、

 ……同じ失敗を繰り返してなるものか、僕は、『なるみもを守る』と決めたんだ。

 僕は大きく息を吐き出した後に、

「おはよう、僕の名前、覚えててくれたんだ」

 僕の声をしっかりと彼女に届けた。

 なるみもは少しだけ意外そうな顔を見せて、でもすぐに頬をたゆませた。

「そりゃ覚えてるよ。同じクラスメートだし、何せ私を推してくれている大事なファンなんだしさ」

 彼女はおどけた調子で首を傾ける。……やばい、激烈にかわいい。

 ――って見惚れている場合ではないな。僕は飛びそうになった自意識を寸前で掴み取る。

「どうかしたの? もう朝のホームルーム始まっちゃうよ。って僕も、寝坊してギリギリなんだけど」

 僕は、さきほどなるみもが浮かべていた虚ろな表情の理由が気になっていた。僕の質問に対して彼女は、「ああ、いや、ええと」言い淀みながらポリポリと頬を掻いている。

 やがてくしゃっと顔を潰すように笑った彼女が、

「……今日、体育なのにジャージ忘れちゃったんだよね。それを思い出してさ。ハハッ……取りに戻るよ」

「えっ?」違和感を感じた僕は、疑問符をそのままぶつけた。

「家、近いの? 今から戻ったら、一限の授業すら間に合わないんじゃない? ジャージくらい、誰かに借りれば――」

 でも、掌をひらつかせて自嘲を浮かべるなるみもが、スタスタと僕の脇を横切って、

「ジャージを気安く借りれるような友達、他クラスにまだいないし、一限の数学、どうせ出たって寝てるだけだしさ。……あ、先生には適当に言っといてくれると嬉しいな」

 アハハと笑って僕に手を振りながら、そのまま校外に出てしまった。

 がらんとした昇降口に一人取り残された僕は、妙な胸騒ぎを覚えている。

「――何をしているんだ? お前」

「うひょおおおおおっ!?」

 僕は奇声と共に飛び上がり、脊髄反射で後ろを振り返った。振り返りながら――急な声掛けの犯人は大方予想がついていた。

 こんな忍者みたいな真似する奴、どこぞの死神くらいしか思い当たる節がない。

「……シレネ、気配を消して後ろから声かけるの、いい加減やめてくれないかな」

「善処する。それより質問に答えろ。お前、こんなところで一人で何をしているんだ?」

「別に、何もしては、いないけど――」

 僕は少しだけ逡巡したのち――なるみもと出会ったこと、なるみもの様子がおかしかったことをシレネに話した。「ふむ」彼女は口元に手をあてがいながら何やら考え込んだあげく、シューズロッカーの群に近づき、『鳴海美百紗』の名前プレートが入った蓋を無遠慮に開け始める。……ちょっ。

「なるほど」なるみものシューズロッカーの中をまじまじと見つめているシレネが、ボソリとこぼして、「おい、何勝手に開けて――」慌ててシレネに近づいた僕は、言葉を失った。

 なるみものシューズロッカーの中が視界に入り、その『惨状』に目が奪われたから。

 死ね。チョーシ乗んな。ブス。キモい。

 彼女の上靴に、マジックペンでひどい言葉の数々が書き殴られていた。

 絶句する僕を尻目に、「やはりな」シレネは一人勝手に納得した様子で呟き、ロッカーの蓋をパタンと閉じた。

「……やはり?」シレネの言葉と態度が気になった僕が語気強く彼女に返すと、シレネは体温のない目をユラリと僕に向ける。

「鳴海美百紗は編入前の高校、また中学時代にいわゆる『いじめ』を受けていた。加害者はどちらのケースでも同じクラスの女生徒たちだ。男受けがいいせいか、どうやら彼女は同性から嫌われる傾向にあるらしいな。今回の転校でも例に漏れずと言ったところか」

 ニュース原稿を読み上げるように、淡々とした口調。

「……何故キミが、彼女の過去を知っているんだ」

「別段、タネも仕掛けもない。エーデルを使って調べさせたまでだ」

 平然と声を返すシレネに対して、僕が覚えたのは『疑念』と『怒り』だった。

「なんでわざわざ、なるみもの過去を調べたりなんか――」

「藤吉玲希、この機会を利用しない手はないぞ」

 僕の疑問がシレネの発声に遮断される。彼女はニヤリと不敵に口元を歪ませた。

「鳴海美百紗は今、精神的ダメ―ジを受けて心が不安定になっているはずだ。後を追って優しい言葉の一つでも掛ければ、安心感を恋慕と誤認し、お前に気持ちが向くかもしれん」

 淡々と語るシレネの声が、どこか遠くで鳴っている気がした。

 眼前にいる死神が発した言葉は道理としては間違っていないかもしれない。でも、

 その言葉はひどく打算的で、あまりにも人間味がない。

「……なんだよ、それ」僕はワナワナと唇を震わせながら、

「なるみもは、いじめを受けているんだぞ? 心を傷つけられて辛いはずなのに、無理に笑顔を作って、僕に笑いかけて――そんな彼女の心を利用するような真似、できるわけないだろ」

「じゃあ何か? お前はこのまま何もせず、ノホホンと教室に向かって授業を受けるのか? 傷心した鳴海美百紗を放置して」

「そんなことは言ってない!」頭に血が昇り、怒鳴り声が裏返る。

「僕だって彼女を助けたい。けどその動機が……彼女の気を引くためとか、そういうのは違うんじゃないかって言っているんだ!」

「違う? 何が違うんだ。鳴海美百紗は誰かに寄り添われることで安寧を得られる。お前は彼女に接触し信頼を得ることで『恋の成就』という目的に近づく。過程はどうあれ、結果として両者にプラスの作用が働くのは変わらんだろう」

 相変わらずシレネの声は機械のように抑揚がなかった。感情的になっている僕とは対照的、その無表情が一切揺らぐ気配を見せない。

「それは……」僕は口を開いて――でもその先が継げなかった。

 僕の心が、『それは違う』と声高に叫んでいる。けどその理由を、言葉としてうまく説明することができない。歯がゆさが焦燥となり、頭の中がグルグルと渦を巻いていた。今、自分が何を最優先でやるべきなのかがわからなくなる。

 いやに冷静なシレネの声だけが、耳の奥で響いて。

「藤吉玲希、私が前世で学んだ唯一の教訓を教えてやろう」

 僕の自意識がグッ――と現実世界に引っ張り込まれて。

「誰かを救いたいと本気で思うのなら、ごちゃごちゃ考える前に、動け」

 無色透明な顔。シレネは灰色の瞳を射抜く様に僕へと向けていた。

 歯がゆさと、困惑と、やるせなさと。

 ごちゃまぜの感情に脳内を掻きまわされた僕は、負け惜しむように彼女を睨んで、

「……キミに言われたから。キミが言うような動機で、彼女の後を追うわけじゃない」

 そう吐き捨てながらシレネに背を向けた。校外へ飛び出した僕は一心不乱に駆ける。

 ……自分のためじゃない。僕はなるみものために、行動しているんだ――

 言い聞かせるように、心の中で何度も復唱しながら。


 紺のセーラー服を纏った彼女の黒髪ショートが僕の視界に映る。

 駅へとつづく二車線道路のわき道は、午前中という時間もあってか人通りはまばらで、なるみもの後ろ姿を発見するのは容易だった。「なるみも!」僕が声を投げると、振り返った彼女がキョトンとした表情で、すぐにギョッと驚いた顔を見せる。

 立ち止まった彼女に僕が近づくと、「ふ、藤吉くん?」なるみもは困惑した様子で僕の名前を呼んだ。

「どうしたの? 朝のホームルーム、もう始まってると思うけど」

 僕はハァハァと息を整えながら、同時に脳内で思考を巡らせている。彼女の後を追っていきたのはいいものの、僕は彼女に何を言うべきかを考えていなかった。

 沈黙が間を埋め、言葉を発さない僕に向かってなるみもが不思議そうな目を向ける。……ええい、ままよ。

「ゴメン、なるみも」絞り出すような声を、でも輪郭のある発声で、

「キミの靴ロッカーの中、見ちゃったんだ」端的な事実を、そのまま告げる。

 ポカンと口を開けていたなるみもが、すべてを察したようにフッと表情を崩した。斜め下に視線を逸らしながら、「……そっか」ただ、それだけこぼす。

「あのさっ」僕は再び言葉を放った。

「僕、自転車通学で家近いんだ。だから、スペアで買っておいた上靴、すぐに取りに帰ることができる。なるみもは今日、それを履けばいい」

「えっ?」猫のような目を丸々と見開いて、なるみもが僕に視線を向ける。そのまま慌てたように両手を振りながら、

「い、いや、悪いって。そんなことしなくて、いいよ」

 でも僕は食い下がらない。そういう場面ではないと思っていた。

「でも、あの上靴で授業を受けるわけにもいかないでしょ。それになるみも、急な転校だったし、二年次からの編入だし、スペアなんて買ってないんじゃない?」

 ここまで言えば、僕は彼女が折れると踏んでいた。

 でもなるみもはかぶりを振って、少しだけ寂しそうに笑うんだ。

「持っているよ、自分のスペア。予備で一応、買っておいたんだ」

「……えっ?」予想が外れたことにより、今度は僕が動揺を覚えて、

「前の学校でもあったんだよね。上靴に落書きされたこと」

 首を傾げて目を細めるなるみもは、どこか悟ったような表情をしている。

「私さ、同年代の女の子たちからいじめっつーか……そういう嫌がらせみたいなこと、よくされるんだよ。……まぁだから、同じようなことまた、されるんだろーなーって。だから一応、スペア買っておいたんだ」

 なるみもは何でか、おどけたようにペロリと舌をだした。その所作は僕の目に痛々しく映り、僕はなんて声を掛けたらいいのかがわからなかった。

「ありがとね、藤吉くん、私のために追ってきてくれたんだよね。嬉しかった。でも――」

 なるみもが右手をあげ、力なく掌をひらつかせる。

「私は慣れっこっつーか、平気だからさ。じゃあ、またあとで――」

 彼女がクルリと僕に背を向けて、線の細い黒髪ショートがフワッと揺らいで、

「――知ってた!」

 僕は思わず大声を出していた。なるみもが今ひとたび、驚いたようにコチラを振り向く。

 僕はまっすぐに彼女の瞳を見た。無理やりに口を開いて声をひねり出す。

「……アイドル雑誌のインタビュー記事で読んだことがあるんだ。キミがアイドルになったきっかけは、アイドルや芸能人に憧れていたからじゃない。いじめが辛くて、学校に行かなくてもいい理由を欲しかったからだって」

 なるみもは黙っている。黙ったまま、僕の声に耳を傾けていた。

 猫のように丸い彼女の瞳がやがてふにゃりとたゆんで、

「……藤吉くんすごいな。その話をメディアでしたの、その一回きりだし、結構マイナーな雑誌だったと思うけど。そんなレア情報まで知っているってことは、ガチで私推しなんだ」

 彼女はポリポリと照れ隠すように頬を掻いている。僕は彼女に一歩だけ近づいた。

「僕はなるみもに、いじめなんかで悩んでほしくない。飾り気のない表情で、ずっと笑っていて欲しいんだ。だから僕は、キミの力になりたい」

 呆気に取られたようにポカンと口を開いたなるみもだったが、やがて表情を崩し、イタズラっぽい所作で足を組みかえて、

「藤吉くんは、私なんかのためになんでそこまで言ってくれるの?」

 虚を突かれた僕は口をつぐんでしまう。でもすぐに開いて、「そりゃあ――」

 『真実』は心の中にしまったまま、『方便』で茶を濁した。

「僕がなるみもを推しているからだよ。推しにはやっぱり、幸せになって欲しいから」

「……ふぅん」納得したのかしていないのか、なるみもは微妙なニュアンスの表情を浮かべている。やがて彼女は口元を綻ばせて、

「まぁ、とりあえず上靴はヘーキだからさ。……ホラ、藤吉くんは早く戻らないと、一限間に合わないよ? って私も、このままだと午後すら危ういかも――じゃねっ」

 ヒラヒラと手を振りながら背を向けたなるみもが、今度こそ僕から離れていく。その姿が、遠く、小さくなる。

 一人バカみたいに突っ立っていた僕は、ドクドクと高鳴る心臓の鼓動に今更気が付き、

「僕が救うんだ……なるみもは、僕が――」

 ブツブツと、呪怨のような声を漏らしていた。

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