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 午後十時。僕の人生におけるゴールデンタイムの開幕。しかし今日に限って僕はまだ帰路についておらず、バイト先のコンビニの休憩室にいた。別段、残業を強要されたわけではない。九時からネット生配信されているなるみものトークライブをリアルタイムで観たかった僕は、室内に誰もいないのをいいことに着替えもせず狭い休憩室を占領していた。トークライブと言ってもスタジオを使って行われる大々的なものではなく、パソコンについているカメラを利用した個人配信だ。ラフな私服姿で、仲の良いメンバーと二人きりで談笑しているなるみもは、この前の地上波放送の時よりもはるかにリラックスしているように見えた。

『――したら、なるみもが、この葉っぱ食べたらいくらくれる? とか言いだしてん』『いやだから、冗談だったんだよアレは。でもアコだってノリノリで、えっ、じゃあ千円。とか言い出したじゃん』『したらマジで食べようとしてたやん! ビビったわ! こっちは必死で止めたよ! ってかアイドルがたかが千円で葉っぱ食うなや!』『アハハッ……でも私、小学生の時たまに、その辺の草とか食べてたし』『えっ、それは引くわ』『さすがに今はやんないよ』『今やったらクビやで、アンタ』

 やっぱりなるみもは、何も着飾ってない時が一番かわいい。化粧っけのないメイクで、無邪気に歯を見せて笑っている彼女の顔を僕はずっと見ていたいと思った。

「――あれ、藤吉くん。まだ帰ってなかったの?」

 全神経をスマホ画面に向けていた僕は、背後ろから飛び込んで来た声に全身を跳ね上げさせてしまった。ガバリと後ろを振り向くと、やや小太りで眠そうな目、先ほどまで一緒だったバイトの先輩がきょとんとした顔で僕を見ている。僕は慌てて立ち上がって、

「あ、先輩……休憩ですか? すいません邪魔ですよね。すぐに帰ります」

 生配信を最後まで見れないのは名残惜しいが、そろそろ終わりの時間だろう。それに、帰って頭からアーカイブを見直す予定だし。

 パイプ椅子にドカッと腰をかけた先輩が、「いいっていいって。少し休んだら俺も戻るから」そう言ってくれたものの、他人がいる前でアイドルの生配信動画を観る気にはなれない。スマホから慌ててイヤホンを抜くと動画の音が漏れ出てしまい、僕は更に慌てる。

「何? 藤吉くん。エロチャットでもやってた?」

「違いますよ。『idol.meta』の生配信動画を観ていたんです」

 慌てすぎていた僕は、言わなくてもいい事実をこぼしてしまう。

「ああ、去年くらいからすごい人気出てきたアイドルグループだよね。藤吉くん、ファンなの?」

 意図せず会話が広がってしまった事案に僕は後悔を覚えた。無下にするのも気が引けるので、「まぁ、はい」と素直に返す。

「アイドルなのに露出控え目だよね。長いスカートと長袖の衣装でよくあんなに動けるなぁって。俺だったら脱水症状で死んじゃうわ」……なんだその感想。

「『ドメタ』は、元気いっぱいでかわいいというより、クールでカッコイイをコンセプトにしているんです。だから肌もあんまり見せず、ダンスだってきゃぴきゃぴした振付けじゃなくて、キレのあるストリートダンスみたいなパフォーマンスが多く、て……」

 ――しまった。また要らぬ口を叩いてしまった。『ドメタ』の話になるとどうにも口が勝手に動いてしまう。須王のことを笑えないな――

 愚行を振り返るには一手おそかった。普段は口数の少ない僕が多弁になったのが面白いのか先輩が興味深気に目を見開いている。

「おお~っ。さすがファン! 詳しいね~。いや~アイドルかぁ。俺も昔は追っかけとかやっていたから気持ちわかるよ。『アフタヌーン娘』って知ってる? 俺、大好きだったんだよね~」

 ……知らねぇよ。っていうか。

 お前ごときの『好き』と、僕の『好き』を、一緒にするな。

 猛毒を撒き散らしている僕の胸中など知らぬ先輩が、追及の手を緩めてくれない。

「あっ、藤吉くんがめちゃくちゃシフト入れているって、推し活資金を稼ぐためだったんだね」

「いえ、それは違います」

 別に肯定してもよかったんだけど、先輩が一人勝手に納得してやがる様がなんとなく癪だったので、僕は淡々と否定する。

「バイクの免許代、親に借金して出してもらったんです。高校卒業までに返すって約束してて」

「あっ? そうなの? そっか、藤吉くんバイク乗るんだっけか。そういえばここもバイクで来ているしね。……っていうか藤吉くん、意外と多趣味? もっと話聞かせてよ。良かったら今度のバイトの飲み会来ない? 若い子がいると、女の子たちも来てくれ――」

「あっ、そろそろ帰らなきゃ。失礼しまーす」

 控え室のドアの開閉音と共に、僕は先輩との会話を強制終了させた。


 昨日まで半そでシャツ一枚で充分だったというのに、九月という季節は気温がどうにも読みにくい。コンビニの外を出るとうすら寒い風が僕の全身を纏った。上着、着てくればよかったな――心の中で一人ごちていた僕の耳に、「――ギャハハハハッ! サイコ~ッ~! も~一回! も~一回!」下品な笑い声が飛び込んできた。

 思わず顔を向けると、同年代らしき四、五人の若者が一人を取り囲んでゲラゲラと爆笑している。中央にいる一人は全身がびしょぬれだった。

「さ、さすがにもう、勘弁して……」びしょぬれの彼が震えながら声を漏らすも、「頼むよ! ラスイチ! 次は動画回すから!」茶髪の男が腹を抱えながら、500ミリのペットボトルをびしょぬれの彼に差し出す。彼は少し躊躇しながらも渋々と、「……わかったよ」

 500ミリのペットボトルを両手で思いっきり振るなり、それを自身の頭上に掲げて逆さにする。ヤケクソ気味な大声をあげながら、

「――あーっ! や、やっぱりコーラシャワーは最高に気持ちいいな~!」

 ブシャーッ。炭酸の弾ける音と共に、茶褐色の液体で彼の頭に降りかかる。

 ドッ。周りの連中が再びゲラゲラと笑い転げた。

 ギャハハハハッ、ギャハハハハッ、ギャハハハハッ。

 下品で耳障りな音が、僕の脳内でサラウンド効果のように響く。

 僕は彼らに目を向けているものの、視界は何にも捉えていなかった。脳内に浮かんだイメージに意識が乗っ取られていたから。

 過去が僕を嘲笑する。記憶が僕に悪辣な顔を向ける。


 おい藤吉。お前、前髪長くね? 俺たちが切ってやるよ。

 藤吉、なんか一発ギャグやれよ。面白くなかった腹パンな?

 あれ~? 藤吉の椅子、なくなっちゃったな~? 次の授業、お前ひとりだけ空気椅子だな。

 おい、藤吉。なぁ、藤吉。藤吉。藤吉。藤吉。

 お前のその顔、なんかムカつくんだよ。


「……大丈夫」

 誰に向けるでもなく、僕はそうこぼした。

 節操のない笑い声を置き去りにして、近くに止めてあったバイクへと向かう。シートにまたがり、フルフェイスメットをかぶり、もう一度呟く。「……大丈夫」

 なるみもに恋をして、僕は変わった。

 なるみもに恋をしている僕は、誰にだって負けやしない。

 エンジンをかけ、ハンドルグリップを握りながらペダルを踏みこむ。豪快な排気音と共に静かに発進して、僕は逃げるようにその場を去る。閑散とした二車線道路を無心で走った。

 帰ったらすぐに、生配信のアーカイブを頭から観よう。

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