0-4


「全然、わからないのだが」

「だからーっ! 地上界の人間たちの恋を陰ながらサポートして、成就に導くのが『恋の神』のお仕事なんですってばーっ!」

 ずるずるっ、ずるずるっ。

「……なんで神が、わざわざそんなことしなければならないのだ? 恋愛なんて、神が介入せずとも人間達が勝手にやればいいではないか」

「だからーっ! 誰もがみんな、オラオラ肉食系みたく意中の相手にアプローチできるワケじゃないんですってーっ! 恋に奥手な人でも誰かがそっと背中を押してあげれば、一歩踏み出す勇気が湧き出るんですよーっ!」

 がぶがぶっ、はふはふっ。

「……いや、それは別に神でなくても、そいつの周りの人間がやれば事足りるんじゃないか」

「だからーっ! 想いを誰にも打ち明けられずに、胸に抱えこんでいる人たちもいーっぱいいるんですからっ! そのまま消えてしまう恋なんて、切なすぎるじゃないですかーっ! ……あっ、大将! 替え玉くださいーっ!」「あいよっ!」

 ……コイツ、どれだけ食う気だ――


 私とエーデルは地上界に降り立ち、何故か彼女は私をラーメン屋に連れてきた。

「おっ! エーデルちゃんまた来たね? あんまり食べ過ぎると太っちゃうよー?」「大丈夫ですよーだっ! 私は天使だから、いくら食べても太らないんですよーだっ!」「……アハハッ! 相変わらず言ってること意味わかんねー!」どうやらエーデルはこの店の常連らしい。

 私たち神々は業務の必要に応じて、地上界をしばしば訪れる。人間に扮して地上界の飲食店やら商業サービスを利用することもままある。……では何故、私たち神々の存在が地上界の人間たちに気づかれていないのか? その解は至極シンプルで、先のエーデルと店主とのやり取りのように、例えこちらから真実を宣ったところで、人間たち側が冗談の類だと解釈してまともに受け取らないから。また、真実を知った人間が周りに吹聴したところで、与太話の類として聞き入れられないからだ。そのためか、神々の中には地上界の娯楽に傾倒する輩も少なくはなく、競馬に明け暮れていたのがバレてこっぴどく叱責された神すらいる。神とはいえど所詮はみな、元人間だ。

 眼前のエーデルもまた、その例に漏れずというか――

「……おい、私はさっき、『恋愛課の仕事について聞きたいから、人目の少ない落ち着ける場所に連れていけ』と言ったよな。……なんでココなんだ?」

「エッ」ずるずると幸せそうに細麺をすすっていたエーデルが、慌ただしく視線をさまよわせ、

「いいじゃないですかーっ。この時間ならお客さん少ないし……アタシ最近、天界での執務ばかりだったから地上界来るの久しぶりで、豚骨ラーメンずっと食べたかったんですよーっ!」

「それにしても、替え玉おかわり十五杯とは。お前は体育大学の学生か」

「ウッ……ぜ、前世のアタシは病弱で、脂っこいもの全然食べれなくて……天使になってからグルメになっちゃったんですよーっ! この舌が悪いんですよーっ!」

 謎の責任転嫁を披露したエーデルは、破竹の勢いで残り汁を飲み干しはじめる。「ああっ! おいしかったーっ! 幸せ―っ!」口周りに豚骨油が浮きまくっている事案を一切気にしない彼女を見ていたら、つっこむ気力すら失せてしまった。

 ……まぁ、確かに店内には私たち以外の客はいないし、別にいいか――

 未だウットリとしているエーデルは呆けた顔を晒すばかりで、店内モニターに映るテレビ番組の音声だけが、空間に虚しく流れていた。私は頬杖をつきながら今ひとたび口を開いた。

「話を戻すぞ。で、私は恋の神として具体的に何をしたらいいんだ? 街中の人間たちの背中を片っ端から突き飛ばしていけばいいのか?」

「――背中を押すっていうのはモノの例えですよーっ! わかってて言ってるでしょーっ! もーっ!?」

 露骨に眉を曲げたエーデルがぷりぷりしながらも、肩にかけていた鞄から一枚の紙を取り出す。どんぶりを脇に避けた後、テーブルの上に広げた紙面を私に向けた。

 顔写真、氏名、簡単な略歴――何やら履歴書のような体を為す書類だ。

「藤吉玲希、十七歳の高校二年生、男性。都内在住。……彼の片思いを成就させるのが、今回のアタシたちの案件です」

 つらつらと説明するエーデルの声を耳に流しながら、私は差し出された紙を手に取って目を向けた。男の割りに少し前髪が長く、覇気のない目。見るからに脆弱そうな――特筆すべき点の少ない顔立ちの男だった。私たちが地上界に降り立った理由は何を隠そう、今回の案件であるこの男――『ターゲット』を視察するためだ。

「なんでコイツなんだ?」脳裏によぎった疑問を私がそのまま口に出すと、「それが……」エーデルはなぜか、不可思議そうに首を傾けて、

「アタシにもわからないんです。今回のターゲット、課長からの勅命でして……」

「ラブ課長の?」

 エーデルはコクンと力なく頷きながら、「通常なら、『恋に奥手になっているターゲットを探す』ところから業務内容に含まれるんですけど、たまーに、課長からターゲットを直接指定されることがあるんです。厄介で難易度の高い案件であることが多くて、恋愛課のみんなからは『S級案件』なんて呼ばれています。……はぁっ」

「ふむ」これ以上エーデルを追及したところで新しい情報はきっと得られないだろう。ゲンナリと嘆息している彼女に対して、構うものかと私は質問を重ねる。

「で、コイツが片思いしている相手っていうのは、どこのどいつなんだ?」

「ええと……確か、鳴海美百紗という名前の……女性……です」

 エーデルの声は尻すぼんでき、そのまま彼女は押し黙ってしまった。

「いや、それで?」

「エッ」

「私は、『どこのどいつなんだ』と聞いただろう。藤吉玲希のように、鳴海美百紗の情報がまとめられた資料はないのか?」

「いやーっ、それがですねーっ」エーデルは挙動不審にブロンドの巻き毛を指でもてあそんでいる。視線を逸らし、私と目を合わせようとしない。……まさか。

「……これから調査しないと、わからないんです」

「はっ?」間の抜けた発声と共に、私は片眉を吊り上げた。

「どういうことだ? というかそもそも、藤吉玲希が鳴海美百紗に片思いをしているという情報を、お前はどうやって仕入れたんだ?」

「それも課長から聞いたんです。鳴海美百紗については、『調べればすぐにわかるから』とか言って、なんでだか名前以外のプロフィールを何も教えてくれなくて……」

 困惑した表情を浮かべるエーデルを尻目に、私は口元に手をあてがい思案を開始する。

 ……『あの課長』のことだ。腹の底で何を企んでいるのかわかったものではない。自身が把握している情報をあえて流さないという行動には、何か狙いがあるはず――

「だ、大丈夫ですよーっ」エーデルが空元気をひねり出すような声を私に、

「たぶん課長、シレネさんが初仕事だから、簡単な案件をあてがってくれたんですよーっ」

 能天気な彼女の声が耳に流れるも――しかし私の意識は彼方に奪われていた。私の聴覚は店内に流れるテレビ音声に支配されていた。

「男子高校生の恋なんて、どうせクラスの隣の席の子とか、そんなんですよーっ。だから――」

「おいっ、静かにしろ」

 思わず語気が強くなった。私の迫力に呑まれたのか眼前のエーデルがピタリと口を閉じる。私は神経を耳に集中させながら、店内奥の壁に設置されているモニター画面に目を向けた。

 ……確かに聞こえた。『その名前』――

 モニター画面には、煌びやかな衣装を纏った若い女が三人と、いかにも若作りをした中年男性が対面する姿が映っている。いわゆるトーク番組ってやつだろう。……だが、番組の内容なんぞはどうでもいい。あの中年の男――おそらく司会者だろうが、ソイツが口にした名前、私の耳が間違っていなければ――

『――以上、次世代を担う大人気アイドルグループ『idol.meta』より、渡辺レオナさん、倉町亜子さん、鳴海美百紗さんの三名が遊びに来てくれましたーっ! 来週もまた――』

 モニター画面内で、煌びやかな衣装を纏った若い女が三人、愛想よくこちらに向かって手を振っていた。

「おいっ」私がエーデルに視線を戻すも、彼女はモニター画面を凝視しながらポカンと呆けた様に大口を開けていた。

「今テレビで、鳴海美百紗って言ってたよな? アイドルグループって言ってたよな?」

 エーデルから返事はない。私は構わず言葉をつづける。

「つまり藤吉玲希って男は、アイドルに恋をしているってことにならないか? 私たちの案件は、アイドルと一介の高校生の恋を成就させるってことにならないか? ……私は恋愛の『れ』の字もわからないから聞くが、それって現実的に考えて可能な話のか?」

 私が確認するも、相変わらずエーデルは上の空の様そうで、「え、S級案件……」ブツブツと独り言を繰り返すばかり。

 彼女の体たらくで私は全てを察した。

 椅子の背もたれに全身を預けた私はふぅっと息を吐いて、天井へと目をやる。視界がおぼろげに薄らいでいき、底の知れない好々爺の笑顔が脳裏に浮かぶ。

 ターゲットの片思いの相手がアイドルである事実をラブ課長は黙っていた。難易度の高い案件に対して、私たちがその場で難色を示す機会を与えたくなかったからだろう。

 そして、初仕事にも関わらず私に『S級案件』をぶつけてきたその理由は、

 ――キミは、『恋愛に興味を持てない』ことを理由に、仕事を投げ出すつもりかい? 『どんな仕事でも手段を選ばず、絶対に完遂させる』強みを持つキミが――

「……私を、試そうという算段か」

 気づいたら独り言がこぼれて、私は自嘲するように乾いた息を漏らす。

 不安は特段感じなかった。むしろ、ワクワクと武者震いさえ覚えている。

 『恋の神』として仕事をまっとうする――そう腹をくくった以上、私は私なりのやり方で仕事を完遂させるだけだ。

 例え、どんな手段を使ってでも。


 ちなみにエーデルはというと、

「えすきゅー……あんけん、にくきゅう……ぱんけーき――」

 本格的にバグりはじめてしまったらしく、彼女が再帰するのに三時間ほどかかった。

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