第12話

 しろさんが調べてくれたところに拠ると、因縁めいたことには例の女子学生のマンションは僕の恋人が亡くなったのと同じ桜並木の通りに面していた。もちろん、それぞれの場所は離れている。盆地の寒さのせいなのか、それとも気持ちのせいなのか、奥歯を震わせた。桜並木は枝を剥き出しにしていて、夜に溶け込んでいる。桜の木に触れて眼を閉じると、あの権力を見せびらかすような、「絶対」を体現する春の満開の様子が僕を包み込む。記憶の中のいやらしい桜の香りと、現実の寒さが僕を刺す。彼女の名前を呼ぼうとしてすんでのところで息を飲み込む。違う、僕は彼女に会いに来たのではない。菅沼すがぬまくんを迎えに来たのだ。俯き、頭を振る。身体を縮こまらせながら枯れ木の傍を歩く。マンションはすぐに見つかった。本当に嫌でたまらない。態度で示してみても、今更、遅い。ここまで来たのだから、僕が責任を持たなければならない。エレベーターのボタンを押すのに、どれだけ時間がかかったかわからない。それでも、僕は踏み出してしまった。扉が開いて、僕は息を呑んだ。自分自身の表情にだ。ああ、本当に嫌だ。嫌なんだ。それでも、城さんと約束をしたから、守らない訳にはいかないんだ。乗り込み、鏡を背にしながら、歯を食いしばり待つ。決して静かとは言い切れない音がして、わずかに外気の温度差に触れる。五階だ。

 めちゃくちゃに踏み潰された供え物を見て、すぐに菅沼くんを連想した。菅沼くんがやったに違いない。菅沼くんは誰よりも死者を大切に想っているから、安っぽい哀れみに耐えられなかったのだ。供え物だったものの上に立つ。ひんやりとしたドアノブに触れる。ゆっくりと回す。わずかな音がして、あっけなくドアは開かれた。靴を脱ぎ、暗い廊下を行く。すぐに部屋に辿り着き、手探りで灯りをつける。瞬きするようにして、明るさが凍みきった部屋を清浄な光で満たす。果たして、菅沼くんはそこに居た。布団の上に丸くなって横たわっている。部屋中に無数の大学ノートが散乱している。菅沼くんが大事に持ち歩いていたものだ。その中の一冊をそっと手に取る。


 *


 変だと思ったから、そう言っただけ。

 それなのに、目の前の一年生が泣いている。上級生ある少女は、訳がわからない。驚き、不安からこちらも泣けてくる。何か間違ったことをしただろうか。学校の先生は、自分がやられて不快なことは、相手にもしては駄目だと言う。少女と一年生とが逆の立場で、同じようなやりとりをしたら? 泣き出す訳がない。そこで、少女は勘繰る。

 この子は、私に悪意があるのだ。だから、泣き真似をして私を困らせている。

 怒りすら感じる。「あなたの名前、変」率直な感想を述べただけなのに。

 どうやら何かが違っているらしい。

 少女は、無意識下から日の差す場へと「違和感」を引っ張り出すことになる。よく「変わっている」と評されたが、それが具体的にはどういう意味であるのか深く考えることはなかった。しかし、同時に「何も違っていない」とも思う。

 綺麗な黒髪と可愛らしい洋服とはよく誉められる。きっとクラスの他の子よりは秀でているに違いない。ただ、それだけ。

 少女は、「変わっている」のか?

 だとしたら、きっとそれは自分の全てを指すのだろう。少女はそう思い込む。もちろん、実際には違っている。美しい顔を持ち、体は痩せている。どこまでも、「普通」である。

 相違点は、「感受性」のみ。幸か不幸か、自身の繊細さの所以を知らずに少女は成人を迎える。


 *


 まるで他人事のように書かれてはいるが、恐らくは実際にあったことだろうと推察できる。菅沼くんの体験として似たような話も聞いたことがある。つまり、菅沼くんは本当に女子学生のことを理解することができていたのだ。大学ノートに何か挟まっているようだ。見ると、ところどころにルーズリーフやコピー用紙がある。それらは全て、菅沼くんの筆跡によるもので、女子学生の話に対しての率直な意見や感想が書かれていた。

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