8.獣人の森【ファンタジー】

 今日の夢はとてもファンタジーだった。

 しっかり記憶に残ったので、シェアすべく筆を執った次第である。


 ただ、ちょっと自然の残酷さ的な部分もあるので「美味しくいただかれるうさちゃん」というワードが駄目ならここで退避してほしい。


 タイトルは迷ったが『獣人の森』とする。



 夢の中、私は現実のものとは違う家族と共に森の中のレジャー施設のようなところへ来ていた。

 森は青々として深く、爽やかな緑の香りがした。よく晴れていて、広場に広がる芝生が目に眩しいほどだったのを覚えている。


 その施設は平坦な森に加えて、標高数百メートル程度の山も敷地に含んでいた。敷地全体はぐるりと柵に囲われて、その柵は身軽な猫でも越えられないような高さがあったように思う。


 私たち家族は係員の説明を受けて、肉食獣人用のエリアへ行った。


 そう、夢の中の私は獣人だった。


 施設の指定のエリアへ行くまでは人と何ら変わりない姿をしていたが、エリアへ入るなり私たちの頭からはぴょこぴょこと三角の大きな耳が、腰からはふっさりと毛の生え揃った大きな尻尾が飛び出した。


 その解放感に私は身震いして、思いっきり伸びをする。人間との共存は良いことばかりだけれど、社会生活では耳と尻尾をしまっていることがマナーとされることだけはいただけない。


 このレジャー施設は、そういう不満やストレスを抱える獣人族のために獣人が作ったものだった。


 この中では好きに過ごしていい。耳と尻尾を出していても、本性を露わにしていても誰にも文句を言われない。根源的な問題としてそりが合わない肉食獣人と草食獣人のエリアもしっかり分けてくれているので快適そのもの。


 私たちの家族は狼獣人だから、こういう広い場所で駆け回るのが大好きだった。


 私は早速広場を兄弟たちと駆け回った。まだ人の姿を残したまま、裸足で芝生の地面を蹴り、肌に風を感じて、兄弟たちの呼吸音を鋭敏な聴覚で捉えながら、元気いっぱいに走り回った。


 三角の耳はよく聞こえた。なるほど人間の耳はまだまだだな、と目覚めてから振り返ってそう思う。夢の中ではそれが当たり前で不思議にも思わなかったけれど、嬉しいと尻尾が勝手に揺れる感覚とはああいうものかと思った。


 前を行く灰色の毛の兄弟に飛びかかり、そのままころころと大地を転がって縺れ合う。私の焦げ茶の毛と兄弟の灰色の毛で、茶と灰の毛玉のようだったんじゃないかと思う。


 獣人の身体は人よりはるかに強靭だった。跳ね回り、地面に転がり、兄弟とぶつかっても何にも痛くなかった。黒い毛の兄弟が尻尾を踏んづけたときは怒ったけれど。



 しばらくそうして遊んでいたが、少しお腹が空いてきた頃、私は兄弟たちと芝の上に座って辺りの匂いを嗅ぎ始めた。三角の耳はあちこちへ向けて、小さな音を、小動物の足音を探す――狩りの時間だった。


 兄弟の一人が野兎の足音を捉えて一声鳴いた。私たちは顔を見合わせ、両手を地面につけてそろそろと四つ足スタイルでその方向へ歩き始めた。人間の姿だとどうにも四つ足歩きは難しいなぁと思ったけれど狩りをする上で人の腕の利点は大きい。


 夏の兎は森の緑に紛れるために茶色い毛をしている。確かにそれは私たちの目をよく誤魔化す。けれど彼らの匂い、音は隠せない。兄弟たちと目で合図を送り合いながら、私たちは木々のしげる中へと入っていった。


 ……夢の中の私はそれはもう、狼獣人としてノリノリだった。とても楽しかった。


 ちなみに、この野兎はレジャーの一環として放たれているものだ。そういうプランの料金を払えば、時間内は食べ放題。素敵である。


 そして、私は野兎三匹を囲い込むように少し先へ回り込み、兄弟の合図で勢いよく駆け出した。

 私の足音に気づいて野兎たちは慌てて走り出す。しかしそちらには兄弟たちがいるので、野兎たちは大パニックだった。


 私は人の腕と人の足で走っているとは思えないほどの速度で野兎たちを追いかけた。全身の血が興奮を訴えていた。本能が歓喜の声を上げ、私の四肢は力強く動いていた。


 野兎たちは私たちの誘導で森を出て広場の方へ追い立てられていった。そこへ出れば、もう絶対に逃げられない。狼は平原の狩りが大得意なのだ(と夢の中の私は胸を張っていた)。


 野兎が近い。私は走るのを足だけに任せ、両手をぐっと伸ばした。これが人の姿を保ったまま狩りをすることの利点である。野兎の温かな体に手が届いた、と感じた直後、私はそれを引き寄せて抱え込んだ。横では兄弟たちがもう二匹を捕まえていた。


 じたばたと藻掻く兎。小さくて温かな命。私は狩りの興奮のまま、その喉元に食らいついた。がぶりと噛みついて、それからもう一度深く食らいつく。人の身でも犬歯は十分に鋭く、兎は余分に苦しむことなく息絶えたと思う。


 は、と短く息を吐いて、私は溢れ出した血で汚れた口元をぺろりと舐めた。人間なら耐え難いであろう血生臭さがその瞬間は堪らなく甘美なものに感じたことを覚えている。


 兄弟が視界の端で変わる・・・。人の口は動物をそのまま食らうには不向きだから当たり前だ。私も兎を一度芝生の上にそっと横たえて、肩甲骨にぐっと力を込めた。


 身の内で、コキリコキリと骨格が変化していく。不要な骨は近くの骨に馴染むように吸収され、全身の肌からぶわりと焦げ茶の固い毛が生える。私の獣性、久々の本性。あまりの心地よさに私は一声鋭く吠えた。


 そしてすぐに、私は目の前の兎に齧り付いた。牙が兎の柔い皮膚を食い破る感触をよく覚えていて不思議な気分だ。被毛の歯触りと溢れ出す内臓の温かさ。血濡れた肉を毟るように噛みちぎり、細い骨を噛み砕いて、私は兎を思うままに貪った。


 それは、とても命だった。変な言葉だけれど、確かにそうだった。

 私は牙に、舌先に、喉に、野兎の小さく温かな命を感じていた。


 夢中で食らって「なくなった」と思ったときには、辺りには兎の毛と少しの血に濡れた芝生があるだけになっていた。李徴が見た光景はこんな感じだったのかなぁとぼんやり思いながら、私は「とてもおいしかった」と口の周りを丹念に舐めた。


 その後は本性のまま兄弟たちと転げまわって遊び、帰る時間になるまで散々楽しんだ。

 狼の体はとてもしなやかで力強く、自然に生きるとはこういうことかと思った。



 そうして、その後記憶に残らない夢をいくつか見たと思う。鳴り響いたアラームで目を覚まし、私は起き上がった。幸い、人の身の不便さ等は感じなかったが、あの解放感と自由さは少し羨ましく思った。


 しかし、何故狼だったのだろう。何故獣人だったのだろう。

 怖い夢でなくてよかった。

 最近は記憶に残る夢がどれも怖い夢で辟易していたのだ。


 自分でありながら自分でない何かになる。時に有り得ない境遇に、時には他の種族にすら。記憶の整理作業の過程で何が行われているのか分からないが、本当に不思議で面白いことだと思う。


 こういう経験ができる夢と言うものが、私は嫌いではないのだった。

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