第35話 火曜日に意識が飛ぶ。
午前中の売決済については特に特筆することは無かった。
物件の引き渡しの確認を売主である弊社と仲介人、そして買主が確認するだけだ。そして弊社は銀行への融資の返金をするだけで終わりだ。
問題は、その後だった。
『@南山
社長室に来い』
うええええええ、っと吐きそうになる。
社長から呼び出しでよかったことなど一度も無い。
何を言われるか覚悟してから、社長室のドアを叩く。
「入れ」
「失礼いたします。
それで今回はどのようなご用件でしょうか」
「お前、あの木原・真矢と知り合いだそうだな?」
昨日の一件が社長の耳に入ったようだ。
おしゃべりな奴もいたもんだと、思いながら反応する。
「知り合いというか、付き合っている相手の娘さんです。
なので身内のようなモノです」
「それはまぁ、いい。
弊社もそろそろテレビ宣伝を打ちたいと考えていてな、何とか頼めないか、切り口が欲しいんだ」
「社長」
「なんだ?」
「その話は僕ではどうにもなりません、お断りします。
芸能プロダクションに話を通して下さい」
前もって真矢ちゃんから言われていた回答をする。
「まぁ、そうだろうな。
それが妥当だ。
これは本題じゃない」
「はぁ……」
これ以上の何があるのだろうかと、僕は内心ビクビクしながら身構える。
「物件管理部を潰して、お前が全部管理するようにしろ」
「……は?」
完全に予想の外だったのでフリーズしてしまった。
今ですら、
「社長も知ってますよね?
やめた子の物件管理を引き継いだの僕ですよ。
そして、今、僕の物件管理数は五十ですが、今、総務、経理、労務、他多々なる業務を兼任しているんですよ?
もし今の子の七十を引き継いだら、通常なら二百戸が一人前と言われているのに半人前以上をうけもつことになるんですよ⁈」
「そんなことはシラン、あの娘は一年たってもお前の分を引き継げていない、だから営業にすることにしたんだ」
「国土交通省が決めた賃貸不動産経営管理士に準ずる意見を社長も知ってるでしょ⁈
二百を超えたら一人必要です!
その二百っていうのが一人前ってのは当然だってのは総務の会議でも話をさせていただきました。
だから」
「うるさいなぁ、お前。
法律法律って、そんなにこの世の中法律で回ってないんだよ。
その規定は勿論知ってるさ。
一人前というのはあくまで目安。
俺だったら三百で一人前だと思うね」
「それは流石に国土交通省との見解が相違すると思いますけどね」
あくまでもいくつの数が一人前かは、物件次第というところもあるので、国土交通省も目安としてしか指標を出していない。
二百というのはあくまでも一営業所が管理する数値がこれを超えた場合、賃貸住宅管理業法のもと、一名の賃貸不動産経営管理士を立てなければいけないだけである。ちなみに一営業所であれば、三百であろうと千であろうと一名だけ立てれば良いというザル法律でもある。
「お前は確かに経理も、総務も、労務も、何でもやってる。
だが、俺から観たらまだまだだ。
合理化している他の部、例えば設計部の連中に比べたら何もしてないじゃないか?」
「は?」
僕の素で、今、言葉を吐いてしまった。
社長も流石にそれには驚いたようで、眼を丸くしている。
「言っておきますけど、まず最低でも給与ソフトの導入による年末調整の自社化、健康保険の基礎と変更算定の省力化、ならびに労災保険算定の省力化はしてるのはご存じあげていらっしゃいますよね?」
「あぁ、それがどうした?
何ねんも前の話じゃないか」
「じゃあ、経理ソフトのオンライン化によって社長の経営判断に必要な数値を出すのに早くなったのは誰のお陰ですか?
総務業務で、複合機の契約で年十万円削減したのは誰ですか?
コロナの時に、経営売上が下がった際に二百万の補助金は誰がとってきました?
ここに移転する際に、全ての手続きしたのは誰ですか?
私ですよね?」
「あぁ、そうだな。
それは総務として、経理として当たり前の仕事じゃないか」
「社長、お言葉をお返し申し上げますが、仕事には二つある。
定着と単発だと、社長自体が言っていたじゃないですか!
定着の仕事なら判ります。
でも単発単発を定着をこなしたうえでヒットを打ち続けてきたんですよ?
それを評価されたことって一度も有りますか?」
「当たり前の仕事に評価も何もあるわけ無いだろ」
「あー、そういう考えなんですね」
吐き気がしてきて、なにかがプツンと切れた音がしたような気がした。
社長の視野が狭い、そう感じた瞬間、真矢ちゃんの顔が浮かんだ。
視野は広く持った方が可能性が広がる。
その言葉と共にだ。
「社長、今まで、僕が入ってから何人の社員が辞めたと思います?」
「シラン」
「僕の社員番号が二十三、そして今の社員番号が百三十三、そして残っている人数は十五です。すくなくとも八十五人は居なくなってるんです。
僕が入った時の同期は、会計のおばちゃん以外はもう誰も居ません。
総務も、労務も、営業サポートも、ネットワーク管理者も、人事も、皆辞めてしまい。
それらをすべて、僕に押し付けて来たんじゃないですか、貴方は!
時には営業の尻ぬぐいも!
これで定着が増えてない、とは言わせませんよ⁈」
「だからお前の給与は、入った時から上がってるじゃないか」
「三万円だけですけどね!
明らかに人が足りない状況だという事は四半期の面談毎に申し上げていた通りです。今回はそれが露呈しただけにすぎません」
「じゃぁ、俺が悪いって言うのか、ああ?!」
「ぇえ、言わせていただきますよ。
経営陣の判断ミスです、ご愁傷様。
僕のミスが増えるのは当たり前の状況を作って置きながら会議で言ったんですよね?
そういうのってパワーハラスメントって言うんですよ!」
「なにがパワハラだ!
言うに事欠いて!
何処にも就職できなかったお前を拾ってやったのは誰だ?」
「社長です。
だから、今までは我慢してきました。
あの時のあなたは『お客様の為、社員の為』と高い志がありましたが、けれども、もう無理です。
物理的に不可能な時が来たんですよ。
だからまずはバックオフィスに人を入れて下さい」
「お前、それで金曜日の会議に出たミスの一つについて誤魔化そうとしてるんだろ⁈
賃借人募集の出し忘れについて、一ヵ月入居が無いだけで六万円売り上げが立たない、もし損害が出たら払えるのか?
払えないだろ?」
真弓さんに頼めば、払えるような気もしたが、そもそもに、
「人の給与を盾にするのは明らかに、パワーハラスメントって言うんですよ」
言い切ってやった。
「お前、それを上のヤツにいったらどうなるか、覚えておけよ」
「それもパワハラなんで、日記に記載しておきますね」
と、社長と大ゲンカになってしまった。
前の席のおばちゃんから、
『@南山さん
社長は判ってないよ。
南山さんが居ないと全く仕事が回らないのに』
と社内SNSの個人通話で言ってくれるので、
『有難うございます。
でも、今は僕が権限を持っているのでこのSNSの内容は漏れませんが、社長がとりあげたら巻き込んでしまうので、チャットの履歴も消しておいてください。
私の方もなるべく消しておくので』
と返しておく、と目の前のおばちゃんが、ため息をついた。
そして帰ろうとした時に、エレベーターのボタンを押してから記憶が無くなった。
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