5 魂の欠片

 フィィーン、と軽い音を立てて、飛行型ドローンが飛んでいく。

 自立思考型の監視ロボット。僕らが普段下層で見る物より小型で、動きも滑らかだ。おそらく新しい型式のものだろう。


「ここからは慎重にいった方がよさそうだな」


 僕は頷いて、ドローンが飛んでいった方を視線で追いつつ、静かに階段を上り始める。

 縦穴はやがて所々が建設途中の骨組みだけになり、階段もぷつりと途切れるようになっていった。僕らに地図は無い。今まで、足を踏み入れたことも無い場所で、経験と勘だけが頼りになっていく。


「この配管の構造からして、この辺りに足場となる階段が在りそうだが……」

「あの梯子はしごがそうじゃないか?」


 僕が指さす方に、966番は顔を向けて頷く。心なしか顔色が悪い。時折眉間に皺を刻んで、深呼吸を繰り返す。

 僕は、いぶかしむように顔を覗き込んだ。


「苦しく……なってきたのか?」

「いや、まだ……大丈夫だ。でも、もしもの時は僕を置いて逃げろよ」

「966、それはできない」

「ここまで付き合ってくれた相棒を喰うのは、ちょっとなぁ……」


 苦笑いで返す。

 そして、縦穴の上部を見上げた。


「急ごう……光が弱くなってきたようだ」


 言葉短く続けて長い梯子を上り始める。続く僕。遠くで飛行型ドローンの乾いたプロペラの音が響いていた。もう、見つからないようにと慎重になっている時間も無いかもしれない。

 長い梯子を上り、人ひとりが通れるほどのゲートをくぐる。先に上った966番が、周囲を見渡しながら呆然と佇んでいた。

 突然に開けた視界。

 遠くに壁が見えるものの、今まで見たことも無いほど平坦な空間が広がっている。


「ここは、空……かな」


 僕が呟くと、966番は「いや」と声を漏らしてさらに上空を見上げた。

 遥か遠くに階層を区分ける天井がある。まだここは縦穴の一部なのだ。ただ、その直径ともいえる幅が、目測でも数キロに及ぶほど広いだけで。


 二人でぐるりと周囲を見渡した。

 ちょうど僕らが上ってきた梯子の反対側に、何段かの幅の広い階段と、両端に柱だけを等間隔に並べただけの不思議な建築物があった。

 機械のようなものが設置されているようには見えないが、大きな炉を置いても余りある広さがある。何かの施設なのは間違いないようで、並んだ柱の向こうには、四角形の奇妙な箱型の物体が見えた。


 対称シンメトリーに柱を並べた奥は、淡い金色の光が斜めに射し込んでいた。

 丁度、上部の一部に穴か窓が開いているみたいだ。

 薄暗いうろの中で、そこだけ強烈な光を受けて浮かび上がっているように見える様は、現実とは思えないほど輝いている。

 僕らはどちらともなく声を上げながら、並ぶ柱の方へと駆けだした。





 光は、近づくだけで「温かい」と感じた。

 周囲の大気温度を上げるだけの熱量があるんだ。その強烈な光の強さに、漂うちりすら光を放ち、ガラス繊維が粒子になったようにきらきらと輝いていた。

 段差の低い、幅広い階段を上った場所から光源を見ようと顔を上げるものの、眩しすぎて目を見開くことができない。

 これほど強烈な光を目の当たりにしたことは無いから、おそらく、この光の発生源に「太陽」と呼ばれる巨大な熱核融合体が設置されているのだろう。


「966! きっとこれが太陽の光だ!」

「あぁ……」


 966番は呻くような声で頷いた。

 わずかに上半身を屈め、胸の辺りをのシャツを強く握っている。額から脂汗がしたたり落ち、僕は966番の異変を知った。


「966!」

「ははは……なんだか、安心して気が緩んだせい……かな、急に……き始めた」


 足をもつれさせ膝を着く。

 慌てて駆け寄る僕を、966番はやんわりと押し返し拒絶した。


「今近寄ったら、喰っちまいそうだ。離れていた方が……いい」

「喉が渇くのか?」


 訊いたところで飲み物を持っているわけじゃない。近くに水の匂いも無い。

 966番は曖昧な笑みで返した。


「直接、光が当たるところに行きたい……」

「手を貸そう。喰いたくなったら喰えばいい」


 そう言って僕は966番の腕を取り、肩を貸した。

 どうせ元の場所に戻ることはできない。もし戻れたとしても、クローン体にあるまじき勝手な行動に出たのだから、廃棄処分になるだろう。ならばここで機能停止しても大差はない。


 太陽の光は、左右に並ぶ柱の奥に向かって真っ直ぐに伸びていた。

 光の中に入る前に、一度足を止める。

 肩で荒い呼吸を繰り返す966番の瞳は、アンデット病の証である真っ赤な色をしていた。この光の中に入った瞬間に、966番は灰になるかもしれない。


「いいかい?」

「……ここまで来て、逃げ帰るほど……小心者じゃない」


 軽口で返す。

 僕は覚悟を決めて、光の中に足を踏み入れた。


 光は、肌を焼くほどに強かった。

 アンデットの症状が出ていない僕ですら、じんじんと痺れるほどの熱を感じる。眩しさに顔を上げると、天井に穿たれた穴からは白熱の光源が見えた。見えたがそれは一瞬で、あまりの眩しさに、どのような形状をしているのか確認できるほど長く直視することはできない。

 と同時に、ぐらりと倒れた966番がその場に膝を着いた。


「966!」

「はは……は、あたたかい……どころじゃ、ないな」


 直接光に触れた場所から肉の焦げるような匂いが漂い、赤くただれてから白く変色していく。まるで古い皮膚が剥がれ落ちるかのように、灰となって崩れているのだとわかった。

 痛みはあるのだろう、指先が痙攣している。

 光の外に引っ張り出したい気持ちを抑えて、僕は966番を見下ろした。


「一生……最下層の……あの、暗がりから出られないかと……思っていた」

「そんなことはない」


 僕はシャツ越しの背中にじりじりとした熱を感じながら言った。


「求めて、あきらめずに歩き続けたから……出られたんだ」


 あの薄暗い、鉄の壁と配管の檻に囲まれた世界から。

 焼け、崩れゆく966番に僕は囁きかける。


「手に入れたよ」


 人が当たり前のように持っているもの。


「きっと僕らも……欠片ほど小さな魂を、心臓に収めることができた。だって……」


 炎に炙られるほどに心臓が苦しい。焼き、血液が焦げるほどに。身の置き所が無いほど苦しく思いながら、溢れてくるものがある。


「……なぜか、とても嬉しいんだ……」


 溢れてくる。

 陽の光を受けて、僕の中から溢れ出してくる。

 光を求め得られたのだと。

 ただ造られて灰になり、消えていくだけだと思っていた僕らが、ささやかな願いを持ち、果たすことができたのだと――思う気持ちが止まらない。


 人工的に造られたクローン体に魂は無い。


 人のような感情は生まれない。


 生まれないはずだが、今この胸から溢れる熱いものを、僕は魂という言葉でしか表現できなかった。

 966番が「笑う」という表情で、僕を見上げる。

 そして最後に一言。


「ありが……と」


 と呟き、灰となって崩れて、消えた。





 僕の背後で人の気配がする。

 振り向かなくても分かる、僕を見つけ出し、拘束して処分を下す監視官たちだ。

 いつくかの飛行型ドローンのプロペラ音や重量のある機械音も聞こえる。ここで抵抗し逃げ出しても、簡単に捕まってしまうだろうことは理解していた。


「そのまま手を上げろ!」


 抵抗する意思がないことを見せるように、振り向かず、膝立ちのまま両手を上げる。と同時に背中から棒状の物で押し倒され、床に叩きつけられた顔は辺りに灰を散らした。


「K―EN3205N―973を拘束。アンデット化した966は、太陽光による細胞劣化で機能停止。灰塵となったことを確認した」


 短く報告する言葉を聞きながら、僕は瞼を閉じる。

 閉じても、陽の光は瞼を透かして、ちかちかと赤や黄色に白や緑の色を散らした。それもまた、心臓から送り出された魂の欠片なのかもしれない。


「待っていて……966」


 数時間後には、僕も新たな実験の素材か灰となるだろう。それでももし、僕の願いが遺伝子に刻めるのならと、祈り続ける。



 光を求めるなら歩き続けろ。きっとそこに、魂の欠片はある。




© 2020-2023 Tsukiko Kanno.

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終わる世界で眠る灰 管野月子 @tsukiko528

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