婚約者と魔力


「シャル、在庫チェックの途中だっただろう。戻っていいぞ」

「あ、そっちはもう終わってるので大丈夫です」

「そうか? ……じゃあ、エルビットと遊んでてやりなさい」


 エリストールが取引の税金について話を始めると、モーリスはシャルに離席して構わないと促した。

 どうせこの後の話はいつもと同じだ。ペリランド商会としては、これ以上税金を上げられては商品の値上げを余儀なくされる。それは嫌だといくら断っても、エリストールは諦めてくれない。


「わかりました」

 それはシャルもわかっている。

 シャルは応接室を出て、エルビットを探すことにした。



「エルビット、わたしがいなくなったら、嫌だよね?」

 店の裏のスペースで、エルビットは粘土遊びをしていた。

 その横にシャルは座って、頭の茶髪をそっと撫でる。


 ……リブニッツ伯爵は、エルビットのことも面倒を見てくれるつもりだったのだろうか。

 

 わたしが要求すれば一緒に連れていけたのだろうか?

 でも。幼い弟には、環境が変わるというのは大きなストレスだろう。


 エルビットのことも、シャルがエリストールの提案を拒絶した理由の一つである。


「エルビットは、貴族様のところで暮らしたい?」

 シャルが聞くと、エルビットは首を傾げてこちらに向ける。


 ……まだ難しい話かな。それか、想像つかないか。


「安心して。お姉ちゃんは、そう簡単にここを離れないから」

 ベース法のことが何より最優先ではあるが、商会の娘として、両親を支え商会を大きくしていきたい、という気持ちだって無い訳ではないし、そもそも弟を可愛がらない姉がどこにいようか。



 しかし、エリストールがベース法反対派だとすると、シャルの活動もやりにくくなる。

 シャルが通っている学校はモートン男爵家の資金援助が入ってることもあり、ベース法に関する活動を止められる心配は無いが、今後どうなるかはわからない。


 ……どうにかして、エリストールを説得できるだろうか?


 そんなことをシャルが考えていたら。



「シャルさん」


 優しい少女の声。母親のメリーファのものではなく。



「……どうしたのですか?」

「シャルさんと話がしたくて」


 シャルが顔を上げると、赤いツインテールが揺れていた。



「ソフィー様?」

「その子がエルビットちゃんね。……可愛い」


 ソフィーはエルビットに向かって微笑む。

 さっきのエリストールの射るような眼差しとは違い、同じ上からの視線でも攻撃するような感は無い。どこか余裕を持っているような感じさえ、シャルには思えた。


「エルビットのことをご存知なのですか?」

「ユリウスさんから聞いたの。ここの商会のことは、たくさん話していたわ」


「ユリウス様とお会いしたのですか」

「それはまあ、婚約者だもの」


 慌てて飲み物とお菓子を持ってこようとするシャルを、ソフィーは右手で制する。

「平気よ。それより、シャルさんのことをもっと教えてちょうだい」

「わたし……ですか?」


「そりゃあ、婚約者がまるで自分のことのように自慢していた人が気にならないわけ無いじゃない?」


 ……え、それってユリウス様が?

「彼女はすごい人なんだ、俺なんかでは想像できないことをやってるんだ……って言ってたわ。それはもう褒めちぎりだった。せっかくお互いのことを知る機会だったのに、彼のことはあんまりよくわからなかった」


 ソフィーは腕を組む。しかし決して怒ってるわけではなく、むしろ少し笑っているような顔をしている。


 

「それに……あなたからは全く魔力を感じないの。不思議なことに」

「どういうことです?」

「……そのままの意味よ。魔法が上手くない人、魔力をあまり持ってない人でも、何かしら漏れ出る魔力の流れとかがかすかにあるものなの。けど、今のあなたにはそれが全くない」


 そう言うと、ソフィーは服のポケットから魔石を取り出した。

「これは魔力を感知するための魔石よ」


 手のひら大のそれをソフィーが軽く握ると、クリスタルのような白い色がまぶしく輝く。

 魔力を込めれば込めるほど輝く魔石。その放たれる光に、エルビットが思わず右手を自らの目の前に持っていく。


 普通の人なら、魔石を握って魔力を込めてもほのかに輝く程度だ。うっかり太陽を直視してしまったときのように反射的に目を背けたくなるぐらいの輝きは、ソフィーの持つ魔力量の大きさを示している。


「すごいですねソフィー様。さすがです」

「兄に比べたら、まだまだよ」


 ソフィーには3つ上の兄がいるが、魔法の高い適性を認められ王都の学校で学んでいるはずだ。兄に負けず劣らず、ということなのだろう。


「それよりもシャルさん、これを握ってみて」


 ソフィーに手渡された魔石をシャルは握る。



 ……全く持って魔石は光らない。


「シャルさん、真面目にやってる?」

「はい、至って真面目にやっております」


 シャルとしては、本気で魔力を込めているつもりなのだ。しかし魔石は一瞬きらめくことすらしない。


「……全く魔力を持ってない人間というのは、あり得ないはずなのだけれど……」

 そうだ。

 それはシャルも知識として知っている。


 全ての物体の間に、どれだけ微小であっても万有引力が存在しているように。

 この世界においては、全ての人間に、量の差異はあれど魔力が備わっているのだ。


「これに関しては、わたしも不思議に思っているのです。実は、以前はわたしも魔石を光らせることができたのですが……」


 2年ぐらい前はそうだった。先程のソフィーの時とは比べるまでもなくわずかな光だが、シャルも魔力を込めて魔石を光らせることができていたのだ。



 シャルが魔力を込められなくなった?

 いや、老人ならともかく、成長中の少年少女で魔力が衰えるという話は聞いたことがない。


 ……だから、シャルは疑っている。


 

 前世の記憶を取り戻したのが原因では?



「ここ1年ぐらい全く光らなくなりまして……」

「えっ……医者に見てもらったほうが良いんじゃないの? それ変よ?」

「そうでしょうか。……正直、あまり気にならないんですよね。魔法が使えなくても……」


 シャルほどじゃなくても、魔力量の少ない人間はごく当たり前にいる。

 それに商会の手伝いをする上で魔法はいらない。

 力仕事をするような商会のお手伝いさんの中には、魔力で自分の体を強化したりとか、荷物を魔法で動かしたりとかする人もいるが、みんながそうではない。


 おそらく、他の職業も同じだろう。


 

 ――あったら便利だけど、なくても困らないし、周囲に影響を与えるほど強力なものでもない――それがこの世界での魔法の立ち位置だ。


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