第52話 影の獣たち


素早く動く影と戦い続けるラルフは、既に体力の限界を迎えていた。

四方八方から襲い来る敵を剣一振りで迎え打つが、相手を傷つけないという枷を自ら背負い、形勢を不利にしていた。

 

ラルフは目を眇め、ついに膝をつく。

既に、腕や頬には無数の切り傷が見える。

獣の爪で抉られたような三本線や、細い一本線の傷などから、血がしたたり落ちている。

正面から飛び掛かって来た影を、横に構えた剣で薙ぎ払う。

 

だが、影は周囲を飛び回り、また両側から飛び掛かるように襲って来た。

 

「……っく‼」

 

残った力を振り絞り、かろうじて立ち上がると、両側から来た敵を大きく横に切って、一撃で二つの影を吹っ飛ばす。

が、その隙をついて、背後からまた影がとびかかって来た。

とっさに振り向いて、攻撃を剣で受け止めるが、大きく振り上げられた鋭利な爪を抑えることで精一杯で、相手を弾き飛ばすこともできない。ぎりっと歯を食い縛りながら、ラルフは影に一瞥を投げる。

およそ人間とは思われない姿だった。

 

大きさは変わっていない。

おそらく目の前にいるのはアロイスだ。


けれど、全身は黒い靄のようなもので覆われ、頭には狼の耳のような尖がった二つの出っ張りがある。目のように見えるのは、赤黒い亀裂で、口と思しき細い月のような裂け目からは鋭利な白い牙ぎっしり生えているのが見えた。手や足先にも、歯と同様、鋭い三本の爪が刃物のようにぎらついている。


「アロイス……」

 

食い縛った歯の間から漏らすように、ラルフは友の名を呼んだ。

だが、影の獣は、その爪で獲物を刈ることしか考えていない。


「ぐっ……‼」

 

獣の力に押され、刀身がラルフの鼻先に近づいて来る。

赤黒い目が、ラルフの眼前に迫った。

刹那、「ぐぎゃあっ!」という悲鳴が上がり、ラルフの鼻の先にいたはずの獣が突然消えた。腕に掛かっていた重圧が消えると、ぱっと視界が開け、眩しいほどの青い光が目に飛び込んでくる。青い石を埋め尽くした壁だった。ラルフは素早く視線を動かし、獣の姿を探す。


「よお、ラルフ。ずいぶん劣勢じゃないか」

 

いつの間に来ていたのか、背後にカイが立っていた。

カイはラルフの背後で赤い魔法陣を生み出し、「『……炎の弓‼』」と詠唱すると、魔法陣から無数の炎の弓が飛び立った。弓は影たちを襲い、耳をつんざくような悲鳴を上げさせる。


「やめろっ‼ あいつらは、同胞だぞ‼」

 

鋭く飛ぶ言葉に、カイは一瞥で返す。


「御説御尤も。とでも言うと思うか? 馬鹿か、お前。この状況で、よくもそんな生易しいこと言ってられんな」

 

ラルフは眉を顰め、短く息を吐く。


「甘いことはわかっている。だが、それが俺の矜持だ」


「はっ! なら、立てよ。俺が全部燃やし尽くす前に。その矜持とやらを、示しやがれ‼」

 

ラルフの前に再び影の獣が飛び掛かり、ラルフは素早く避ける。

すると、獣は獲物を変えたらしく、そのまま背中を向けるカイへと飛び掛かった。

カイは振り向きざま、いち早く飛びのいて、獣の一撃を躱すが、武器を持たないカイは急いで魔法を発動するしかない。獣の間を走り抜けながら、カイは再び詠唱開始する。

 

が、詠唱を終える前に、二頭の獣が左右から挟み込むように突進してくる。


「っ‼」


カイはこのまま前後に逃れるか、詠唱を続け、魔法で吹き飛ばすかで一瞬迷い、咄嗟に後者を選択する。

が、詠唱を終えるよりも、獣の到達の方がわずかに早かった。

 

左から飛んで来る鋭利な爪を避けるため、しゃがみ込むが、今度は右から振り下ろされる爪が見えた。

 

一瞬、諦めにも似た覚悟が過る。

 

だが、振り下ろされるはずの一撃がいつまで経っても降って来ない。

見れば、左右から襲ってきていた獣の姿が見えない。

ただ、正面にいたのは、薄茶の髪と、灰緑色の垂れた目を持つ、壁のように背の高いライナルトだった。優しい面立ちなのに、物騒な十文字槍をくるりと器用に回し、飛び掛かってくる敵を、図体に似合わず、ひらりひらりと軽やかに躱しながら、石突で相手を突き飛ばし、柄で攻撃を受けると、見事な槍裁きで、相手を薙ぎ払う。だが、決して鋭利な穂先を使おうとしない。


「ライナルト、お前もか」


「え?」


「何で、穂先を使わないんだ?」


 一体の獣を石突で突き飛ばしてから、素早い動きで、カイと背中合わせの位置に立つ。


「だって、相手を傷つけちゃまずいでしょ?」


「ほざけよ。戦いを舐めてんのか。殺るか、殺られるかの世界なんだよ、ここは」

 

ライナルトはぷはっと噴き出した。


「ああ?」

 

ガラの悪いチンピラのように、カイは顔を歪める。


「ごめん、ごめん。まるで、幾多の戦場を乗り越えて来た猛者みたいなこと言うから、つい」

 

あははと憚りなく笑うライナルトに、カイは頭痛を感じながらも、詠唱を始める。


「説得は無理だぞ」

 

突然、近くから声を掛けられ、カイとライナルトは声の主を見る。

ラルフが剣を構えながら、じりじりと後退してきた。

三人は背中合わせになり、それぞれが三方に向いている。

カイの魔法攻撃が効いたのか、炎を恐れて遠巻きに見る獣がいるようだ。

攻撃の間隔が空き、一息つける間ができた。

それでも、獣はこちらを狙うことを止めたわけではない。

一時たりとも油断するわけにはいかない。


「説得?」

 

怪訝そうなカイに、ラルフは敵に視線を投げたまま、


「この異邦人は、前回その手を使った」

 

と言うと、ちらっと横目でライナルトを見やる。


「はあ?」

 

不得要領な話に、カイは眉根を寄せた。


「説教で戦意を喪失させるという偉業を成し遂げたんだ」

 

至極真面目に言い切ったラルフに、ライナルトは苦笑いを浮かべる。


「ねぇ、それって、何か棘のある言い方じゃない?」


カイが視線を素早く動かし、獣たちの気配を察する。


「おい、茶飲み話してないで、構えろ! 来たぞっ‼」


カイは頭上に手を掲げ、叫ぶように詠唱した。

束の間の休息は突如幕を閉じ、三人は再び獣たちとの戦いに突入した。

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