第35話 思いがけない訪問客

突然、ザーッというがして、カーテンを引くと、窓の外はすっかり夜の帳が落ち、そこに白く見えるほど強い雨が縦に模様を描く。


「うそ……」

 

ユリアはカーテンを握りしめたまま、冷たい雨の降りしきる景色を呆然と眺める。

夕食を終えたユリアとライナルトはそれぞれの部屋で少し休憩してから、再度兄探しのために外出するつもりだった。それで、今ユリアは持ってきたお気に入りの木の櫛で髪を梳いて、支度を整えていたのだ。


けれど、この天候では難しいだろう。

ユリアは数歩後ずさり、先程まで腰かけていた椅子につまずくように座り、顔を伏せる。


「これじゃあ、探しに行けない。カイに渡さないといけなくなる」

 

きゅうと唇を噛み、碧い瞳に暗い影を落とした。


カトリナに手紙を託されたのはユリアだ。

できれば全うして、カトリナに一言「兄様にはちゃんと渡したし、反省を促したから安心して」と伝えたかった。

 

それを、放棄して、カイに託さなくてはいけない。

本来、血縁者である兄に関わることであるのだから、ユリアが適任者のはずだ。

とはいっても、それを伝えたところで、カイが首を縦に振るとは思えない。

やりかけた仕事を放棄してしまうのは、何とも口惜しいし、どっと徒労感が込み上げてくる。


「でも、カイは戻って来るの?」

 

口をついて出た疑問。

カイがもし戻って来なければ、手紙を渡すことはできない。

となれば、手紙を渡す役割はユリア手元に残る。


だが——

ユリアは顔を曇らせて、再び窓の外に目をやった。


「カイ……」

 

大雨の中、カイは無事に宿に辿り着けるだろうか。

「あとでな」とか「先に言ってろ」とか、当然言いそうな台詞を、去り際のカイは言い残さなかった。それが悪いことの前兆のようで、ユリアは沈み込む。

 

その時、トントントンという遠慮がちなノックの音が響いた。

ユリアは振り向いて「はい」と声を張り上げる。


「ユリアちゃん、俺」

 

ライナルトの声がして、ユリアは急いで扉を開けに行った。

廊下にある壁の燭台の炎に照らされて、ライナルトは気づかわしい表情を浮かべていた。


「結構、雨が降ってるみたいなんだ」


「うん、知ってる」

 

ユリアが俯くと、ライナルトはおずおずと部屋の中を指さす。


「入っていい?」


「え? あ、うん」

 

ライナルトを部屋に招き入れ、ユリアは先ほど使っていた椅子を勧め、自分は寝台の縁に腰を下ろす。 

卓の上の燭台が室内をほんのり明るく照らし出す。


「さっき、宿の御主人に聞いたんだけど、カイ君らしき人は来てないって。あと、お兄さんのことも聞いてみたけど、俺たち以外に馴染みのない人間は見てないって」

 

どうやら、ユリアが休憩をとっている間に、一人で行動を起こしてくれていたらしい。

ユリアは自然と微笑んで、ライナルトを見つめる。


「ありがとう、ライナルト」


「いや、大したことはしてないよ」

 

照れたように頭を掻くライナルトを見ていると、ユリアは心が少しだけ軽くなっているのを感じた。カイの行方は心配だが、ユリアと会う前から一人旅をしていたくらいだ。一人でも問題ないのだろう。それに、エルバートもいる。何も考えていないような黒い目をしているが、案外賢い鳥なのだ。そう思うことにして、ユリアは足を小さくばたつかせ、窓の外を眺める。

 

雨脚は相変わらずだが、先程より柔らかい印象を受ける。


「ユリアちゃん……あのさ」

 

ライナルトが思いつめたような声を発したその時、トントントンとまたもノックの音がした。

ユリアは反射的に立ち上がり、急いで扉を開ける。

カイかもしれないと思ったのだ。

だが、そこにいたのは見知らぬ二人組だった。



 


質素な椅子に優雅に腰掛けるのは、緩やかなウェーブを描いた金色の髪が美しい、若い女性だった。彼女は薔薇色の口紅を塗ったふっくらした唇に嫣然とした笑みを浮かべ、眼前で直立したライナルトに対し、甘やかな若草色の瞳を向けている。

 

その背後には、こげ茶の髪を撫でつけ、後ろで一つに束ねた、背筋の良い細身の男性が付き従うように控えている。まるで、お姫様とその執事のようだと思っていたユリアは、そのあとの自己紹介を聞いて、当たらずとも遠からずだと自分の眼力に感心した。


「はじめまして。わたくし、イルメラ・アルペルマイヤーと申します。後ろにおりますのが、護衛のギュンターです。どうぞ、お見知りおきを」

 

イルメラは膝の上で柔らかく手を組んで、にっこり微笑み、控えていた無表情のギュンターは軽く頭を下げる。


 彼女の身に纏う紫のドレスはとても上品で可憐で、ユリアは圧倒された。

襟や袖、裾を飾る白いレースは繊細で、耳飾り首飾りは銀で縁取られた緑の石がついている。何となく、ライナルトの目の色を思わせる色だ。


「勝手に押しかけてしまってごめんなさいね。でも、許して下さいな。わたくしは、役割があってまいりましたの」

 

イルメラは大きな若草色の瞳をキラキラさせて、ライナルトを見つめた。

一方、ライナルトはにこりともせず、その顔に緊張を走らせる。


「役割?」

 

二人の顔を交互に見ながら問うと、イルメラはユリアに目を移し、ふふと口元に手を置いて笑う。


「ええ。わたくし、ライナルトを迎えにまいりましたの」

 

ユリアは驚いて、ライナルトを見る。

 

ライナルトは変わらず、緊張した面持ちで、身じろぎもせず固まっている。


「だって、わたくし、ライナルトの許嫁ですもの」

 

驚愕の台詞に、ユリアは呼吸するのも忘れ、ただただライナルトを見つめていた。

 

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