第31話 古代魔法⑤


ミミズの行動を見て、不思議に思った灰色鼠は、出会う動物に片っ端から七色の水を飲ませてみる。すると、たちまち動物たちは、灰色鼠の言う通りの行動をすることがわかる。そこで、いたずら好きで、嫌われ者だった灰色鼠は、いたずら心と、今までの復讐心から、動物たちを痛い目に遭わせる計画を立てる。


計画は全て上手くいったが、灰色鼠の思惑すら超える結果がもたらされる。

ただ懲らしめてやろうくらいに考えていた灰色鼠は、森の中を見て愕然とする。

森には灰色鼠以外の動物が姿を消していたのだ。

それは、灰色鼠の引き起こした事態だった。


広い森にひとりぼっちになってしまった灰色鼠はわんわんと大泣きする。

だが、それを遠巻きに眺める者の姿も、煩いと詰る声も、もう決して、見ることも、聞くこともできなかった。


——そして、灰色鼠は本当にひとりぼっちになってしまいましたとさ。おしまい。

 

母はいつもこうやって話を締めくくった。

そしてこう付け足したのだ。


——これはね、古代魔法のことを言い伝えているお話なんですって。古代魔法には、人の心を意のままに操る……好き勝手にしてしまう、恐ろしい魔法がたくさんあって、だから、私たちの御先祖様は、古代魔法の本を全部燃やしてしまったの。一冊だけのぞいてね。


優しく笑いかける母の顔を思い出し、その笑顔がユリアが家出する前に言い合いした母の顔と重なり、ユリアぎゅっと目を瞑った。


「何で忘れてたんだろう。今思い出した。灰色鼠と七色の水の話だよね?」

 

カイは嘆息し、頭の上のエルバートに手を伸ばして、その甲に乗せた。

エルバートは「クワァ!」と一声発してから、肩に飛び移る。やはりいつもの定位置が落ち着くようだ。


「俺は、灰色鼠にはなりたくないし、一族だけが残る世界なんてまっぴらごめんだ」

 

〈白の一族〉が灰色鼠になる世界。

 

〈銀海の風〉は一族を救いたいのだと言った。

 

けれど、かつて封印された人心を自在に操ることのできる、古代魔法が復活してしまえば、それは〈銀海の風〉の望む未来を超え、悲惨な世界が待っているのではないか。

 

昔の人は、それを恐れて、古代魔法の話をおとぎ話にしたのではないだろうか。未来を担う子供たちが、道を踏み外さないように。現に、カイは昔の人が込めたであろう意図を読み取り、ユリアの浅はかな発言を戒めたのだ。


「カイ、私……」

 

〈銀海の風〉に加担しない、その一言を口にできなかった。

心の底ではまだ何かがくすぶっていて、一族を救いたいという思いが消えない。


カイはエルバートの首の付け根を撫でながら、ふう吐息を吐いた。


「唯一残された古代魔法の魔導書は、今もアクエティナスの大図書館の地下に眠っている。立ち入り禁止で、司書も近づけない場所らしい。それに、白の一族が施した封印がある限り、絶対に誰の手にも渡らない。鍵を作り出せるのは、封印を施した人間と同等の力を有するの者くらい。だから、今まで誰も封印を解こうなんて考えなかったんだ。お前が生まれるまでな」


「カイ、ずいぶん詳しいね……まるで」


まるで〈銀海の風〉みたい。そう言おうとしたが、射抜くようなカイの瞳に阻まれて、ユリアは言葉を飲み込んだ。


「俺はその最後の一冊を燃やしたい。そう思ってるよ」

 

さっと顔を逸らし、カイはそれきり目と瞑って、黙り込んだ。

ユリアは所在なさげに視線を彷徨わせ、こちらを見ているライナルトと目が合った。

今まで車内の風景と化していたライナルトは、困ったように微笑み、


「アクエティナスって、王都だよね?」

 

と手持無沙汰の手で頬を掻く。


「うん。イーリアで一番大きいよ。地図でしか見たことないけど」

 

王都アクエティナス。

水の都と名高い、高潔で清らかな場所。

イーリア一の大図書館に、今も眠る古代魔法の魔導書。

ユリアは暗闇の中、台座にひっそりと置かれた魔導書を想像し、背筋がゾクリとするのを感じた。


「じゃあ、ユリアちゃんはアクエティナスに近づかない方がいいね。俺の記憶が確かなら、タァナ村はこの近隣で一番王都に近かったはずだ。タァナでお兄さんを探したら、すぐ里に送るよ。あれ? でも、カイ君が一緒だということは、俺、もしかして用済み?」

 

ライナルトがさりげなく水を向けると、カイは面倒くさそうに片目を開けた。


「俺はタァナまでだ。そこで用事がある」


言うなり、再び目を閉じる。


「そっか。じゃあ、予定通り、俺がユリアちゃんに付き合うよ、最後までね」

 

ライナルトは器用に片目を瞑ってみせ、ユリアを元気づけるかのように微笑んだ。

それから、全員がそれぞれの物思いに耽けったまま、馬車はタァナに辿り着いた。


時刻は、昼をだいぶ過ぎていた。

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