第28話 古代魔法②

黒鹿毛の馬の上に、寄り添うように跨ったランケ夫妻を見送ったあと、既に馬車に乗り込んで椅子の中央で腕を組んでふてぶてしいまでに両足を広げて座り込むカイとその肩の上で小首を傾げるエルバート、そして見慣れたパンパンの鞄と、財布くらいしか入りそうにない小さな肩掛け鞄の姿を認めてから、ユリアはカイの隣の腰を下ろした。

 

それからしばらくは疲れた体を背もたれに預け、魔法で思った以上に削られた体力を回復しようと目を瞑ったのだが、真夜中に聞いたラルフの声を思い出し、はっと目を開ける。

ユリアには決めねばならないことがあった。

突然、迫られた選択を、あと数日でしなくてはならない。

心が深く沈み込むのを感じ、ユリアは窓の外に目を向けた。




——古代魔法を知っているか?

 

そう言って、ラルフは壊れかけたランタンに火を灯してから、おずおずと話を切り出したのだ。


かつて、白の一族により封印されたという古代魔法は、現在使用されるどの魔法とも性質を異にしていた。

魔法と呼ばれるものは大きく分けて二種類ある。

一つは、自然界に漂う元素粒子を、その身に宿る属性の力で磁石のように吸い寄せ、操る四大魔法。


これが最も一般的な魔法で、地、火、風、水の力の四種類だ。

そして、もうひとつは自らが生まれ持った力を放出する、四大魔法などの属性のない魔法。

エンガリアでは、聖女や神官になる者たちが持つものだ。

ここイーリアには、聖女という存在はいないが、内なる魔法を持つ者として、アムシャー職人が挙げられる。

 

アムシャー職人とは、〈アム〉という魔力を使い、アムシャーを作り出す者たちのことだ。

イーリアを守護する、水の神バサエルを讃えるため、年に二度の祝日が制定されている。

そのとき、各家庭が祝日を祝うために飾るのがアムシャーだ。

アムシャーとは、硝子瓶の中に、聖水に浸った草花や貝殻、鉱物などが入っており、それらが不思議な模様を描き出し、神々しいほどの美しい青い光を湛えたもののことをいう。

 

隠れ里に住むユリアの家庭さえも、アムシャーを手に入れては、祝日に願をかけて飾っているのである。

 

他の国にも、それぞれ内なる魔法を使い、それらを生業にする人々がいるらしいが、詳しいことをユリアは知らない。

 

このふたつがユリアの知る魔法だった。

 

ラルフが「古代魔法」と口にしたとき、おぼろげながら昔、母から聞いたおとぎ話を思い出しかけたが、結局、はっきり掴めないまま消えてしまった。

 

ラルフの話を要約すれば、次の通りになる。

古代魔法は、四大魔法とも聖女やアムシャー職人の持つような魔法とも違い、その素質のない者でも操れる、開かれた魔法だったそうだ。

 

そのため、古代魔法はもっぱら、身近なことに特化していた。

毛染め薬を作り出す魔法とか、術者が詠唱し続けなくても、効力が持続する虫よけ、獣除け結界だとか、赤子に子守り歌を歌い続けてくれる人形だとか。

それらはまるで家事や育児のためのような魔法で、笑ってしまうくらい可愛らしい。


だが、それらとは趣向の違う笑えない魔法もあった。


——人の心を操る魔法だ。

 

ラルフは不敵に笑ったあと、遠い目をした。


——その力さえあれば、我々の悲願は達せられる。そう思わないか?

  

空色の瞳に強い光を湛え、ラルフはユリアを見つめた。

頑強な意志の宿った瞳は、ユリアは戸惑わせ、不安にさせた。

人の心を操るという不穏な言葉も相まって、ユリアは激しくなる鼓動を抑え込むように、胸に掛かる衣服をぎゅっと掴む。


——だが、古代魔法は封印され、現在は細々と伝え聞いた魔法を使う者がいるだけだ。だから、我々〈銀海の風〉はその封印を解き放ち、地の底で虐げられている〈白の一族〉を天まで押し上げたいんだ。我々こそが、この世を支配すべき存在。〈白の一族〉こそが、最も神に近く、選ばれた民なのだから。


熱に浮かされるような瞳を宙に向け、見えるはずのない希望にラルフは手を伸ばし、しっかり掴み取る。けれど、傍から見ているユリアには空を掻いているようにしか見えず、その狂信的な仕草に、肌が粟立ってしまう。


——古代魔法の封印を解く。それは、封印を施した我々にしかできないことだ。だが、かつて封印を施したような力を、今の俺たちは持ちあわせていない。他種族との交配が進んだためだ。そう、ユリア・クレフ・シュヴァルヒ。君以外にはな。

 

ラルフは射るような視線をユリアに向けた。

だがその瞳は、称賛と賛美に縁取られている。


——君だけが、封印を解く四つの鍵を生み出せる。君だけが、〈白の一族〉を救えるんだ。

 

ユリアは思わず、一歩後ずさった。

背後に立っていたライナルトの体に当たり、ユリアは助けを求めるようにライナルトを振り仰いだ。ライナルトは険しい表情で、黙ったままラルフを見つめている。


——これですべて話した。君の答えを待とう。数日のうちに考えをまとめてくれ。また迎えに来る。

 

話はこれで終わりだと、ラルフは集まってきていた仲間たちに声を掛け、出て行こうとした。

ユリアはとんでもないことを聞かされ、混乱状態の中、それでも頭を過った兄のことを問いかける。

 

すると、ラルフは思いもよらぬ問いを受けたというように眉を上げ、首を振った。


——アヒム? 村から出たのか?

 

ラルフがそれだけ言って行こうとすると、今度はライナルトが呼び止めた。


——なぜ、今なんだ? 何で、このタイミングでユリアちゃんを攫おうとした? ユリアちゃんはずっと里にいたはずだ。君らの目と鼻の先に。なのに、なぜ?

 

当然の疑問だった。

ユリアはずっと隠れ里で暮らしていたのだ。攫おうと思えばいつだってできたはずだった。

ラルフは口元に怪しげな笑みを浮かべた。


——無理だったんだ。ユリアは家族に守られていた。〈レガ教団〉の監視の目も光ってた。俺たちは〈レガ教団〉と志は同じだが、やり方は違う。奴らの生ぬるいやり方では、何も解決しない。俺の親も〈レガ教団〉の信徒だ。甘いことばかり言って、反吐が出る。


吐き捨てるように言うと、ラルフと三人の男たちはユリアたちの前から姿を消したのだ。

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