第27話 古代魔法①

快適な馬車に揺られながら、ユリアは流れゆく景色を眺めていた。

なだらかな丘の道には、一面、紫の花が心地良さそうに風に撫でられ、まるで毛並みの良い絨毯のようだった。

白や黄色の蝶が飛び交い、まるで舞でも舞うように優雅にふわりふわりと宙を漂った。

太陽は燦燦と空の真上に君臨し、地上に惜しみない光を注いでいる。


ユリアは眼前に広がるいかにも穏やかな風景を碧い瞳に映しながらも、頭の中は様々な考えが過っては消え、また過るの繰り返しで、思考が定まらない。


物思いに沈み込むユリアの横には、肩に羽繕いするエルバートを乗せ、腕を組んで、背凭れに深く寄りかかったカイがおり、ユリアの真正面の席には気づかわしげな視線を投げかけるライナルトの姿があった。





フェリア城での夜。

ラルフはユリアに思ってもみなかった話を語り出した。

そして話し終えると、今までと打って変わった紳士的な態度で、「君の答えを待とう。数日のうちに考えをまとめてくれ。また迎えに来る」と言い残し、まだ本調子でない三人の仲間たちを引き連れ、フェリア城を去って行ったのだ。


聞かされた話の内容に頭が支配されていたユリアは、ただ茫然として彼らを見送った。

まだ目を覚まさないアンネを抱き上げたライナルトに促され、ユリアは上手く動かない足を何とか進めて、城の外に出た。大人しく待っていた黒鹿毛の馬に、ぼんやりしながらも瞼を開けたアンネとライナルトが乗り、ユリアはその横をとぼとぼ歩いていた。時折、ちらちらとライナルトがユリアに視線を落としてくることさえ気づかないまま、ただのろのろと進んでいく。

 

山の中腹まで下りた辺りで、ちかちかと光る点と、二頭の馬の蹄の音、それに重なるように車輪が勢いよく回転する音が聞こえた。

ライナルトは馬を止め、前方から近づいて来る馬車に目を凝らす。

馬車を操る御者台の男が、ユリアたちの姿を認め、急ブレーキをかけた。

馬は驚いたように嘶いたものの、どうにか足を止め、馬車は停止した。

怪訝そうに馬車を見ていたライナルトの視界に、馬車から転げるように飛び出した人影が、迷わず駆け寄って来る。


「っ‼ アンネ……‼」


それはペーターだった。

ペーターは馬上で、ライナルトの腕の中にいるアンネを目に映すと、顔を歪め、歯を食いしばった。まだぼんやりとしていたアンネも、ペーターの声を聞くと、はっとしたように目を開け、最愛の人の姿をその眼に映した。

 

ペーターが馬の下で両手を広げるのと、アンネがライナルトの腕の下をかいくぐり、その中に飛び込むのはほぼ同時だった。

ふたりはひしと抱き締め合い、言葉も交わさぬまま、しばらくお互いのぬくもりを確かめ合っていた。


そこに、いつの間にか近づいてきていたもう一つの人影が、口を開く。


「無事か、ユリア」


「クワァアアッ‼」

 

思いもよらぬ声が、考え事に耽っていたユリアの頭を、現実に引き戻す。


「カイ? どうしてここに?」

 

馬から滑り降りたライナルトもユリアの隣に立ち、肩に漆黒のエルバートを乗せたカイを見据えていた。


「この人が、馬車のおやじに夜中でも動かしてくれって泣きついているところに出くわした。それで、事情聞いたら、お前たちの名前が出るんで、俺も一緒に頼み込んで、ここまで来たんだ」

 

カイは何てことのないように言ってから、深く嘆息する。


「お前は無鉄砲にもほどがあるぜ」

 

ユリアのすぐ目の前まで歩いてくると、カイは軽く握った拳でユリアの額をこつく。

コンという子気味良い音がして、ユリアはすっと目が覚めるような気がした。

気づけば、夜空の色がうっすらとしてきており、星々の退場時間が近いことを告げていた。

あと少しすれば、空は白み、夜の空気を一掃してしまうだろう。


「情報が入ったぞ。アヒムはタァナ村に向かったらしい。隣村だ」

 

明るくなり始めた空を仰ぎ、カイは淡々と言うと、馬車を振り仰ぐ。


「馬車はこのまま俺が借り受けることになってる。俺たちはこれからタァナに急ぐ。乗れ」

 

くるりと踵を返し、カイは馬車へ歩き始める。


「ま、待って‼ 荷物を、ペーターさんの家に置きっぱなしなの‼」

 

ユリアの大荷物はペーター宅の二階の客間に置いたままだ。ライナルトだって、十文字槍を背負っただけで飛び出してきたのだ。いつもローブの下で肩に掛けている革鞄を置いてきている。


「それなら心配ない。馬車に積み込んどいた」

 

声がした方を向くと、ペーターがアンネを肩に抱くようにしてユリアを見ていた。

その目には感謝の思いが溢れていて、ユリアの胸に暗い影が差した。


「おふたりとも、助けていただいてありがとうございました」

 

アンネは深々と頭を下げ、その隣のペーターもまた頭を前に傾けた。

「お前たちがいなかったら、どうなっていたか」

 

ユリアは胸の奥にじわりと広がる痛みに目を眇め、唇を噛みしめる。


(お礼なんておかしいっ……だって、アンネさんは私のせいで攫われた! ペーターさんだって、頬に傷を負って、立ち上がれないくらいの攻撃を受けたんだ。それもこれも全部、私のせい……! 私が先祖返りだから‼ 私がいたから、こんな目に遭わせちゃったんだ‼)

 

そのとき、肩に温かい手が置かれ、振り仰ぐと、ライナルトが灰緑色の瞳を優しく光らせた。薄茶色の短い髪が吹き抜けた風にさらされ、わずかに揺れる。


「ユリアちゃん、大活躍だったんだぞ。男たちのいる部屋に果敢に飛び込んだのも、アンネさんのもとにいち早く駆けつけたのも、彼らを圧倒する魔法を使ったのも、全部ユリアちゃんだったんだ」

 

置かれた手に力がこもるのを感じ、ユリアはじわりと視界がぼやけた。

ひゅーと茶化すような口笛が聞こえ、ペーターのくつくつと笑う声が漏れる。


「そりゃあ、すげぇや。ありがとな、ユリアちゃん」

 

ペーターはニヤリと笑った。

ユリアは溢れ出した涙を乱暴に袖で拭いとる。


「で、図体のでかいお前は何をしてたんだよ? 見物か?」

 

からかうような声に、ライナルトは眉を上げ、肩を竦める。

「……説教かな? 『汝、悔い改めよ』なんて、ね」


妙な節回しと、ずいぶん高音の裏声で『汝、悔い改めよ』と口にしたので、ついつい涙を堪えていたユリアも噴き出してしまう。笑った拍子に、涙が一粒地面に落ちて、それと同時にユリアの思いつめた感情も、少しだけ薄らいだようだった。


「さて、ライナルト。また遊びに来てくれよ。仕事のことは気にすんな。お前なら何にだってなれるさ。もし、思うようにいかなかったら、俺がパン作りを叩き込んでやるよ? この天才パン職人ペーター様直々に教えを請えるんだぜ? 有難く思え」

 

アンネの肩に回していた腕を下ろし、ペーターはライナルトの前まで歩いてきて、壁のように立つライナルトの胸の前に、拳を握った片腕の側面を押し付けるようにする。

ライナルトは軽く頷き、自分も同じように拳を握った腕を、ペーターの腕に叩きつける。

交差した二人の腕は、一拍置いて離れた。

ペーターは自分より背の高いライナルトを半ば見上げるようにしながら、ニッと歯を見せて笑う。


「ユリアちゃんを路頭に迷わすなよ? やっぱ、男は稼ぎがなきゃな。甲斐性なしだと女房に逃げられるって、ばあちゃんが言ってた」


「ひどっ……無職の俺にそれを言う? ん? え? いや、何か勘違いしてない? 俺は別にユリアちゃんとそんな関係じゃ⁉」

 

慌てたように視線を泳がせ、顔を赤くするライナルトが、ふいにユリアを見た。

ユリアは目を瞬かせ、ライナルトを見返す。

上り始めた朝日の、最初の一筋がライナルトの髪に当たり、金色の麦畑のように輝いた。

その下にある灰緑色が瞬間きらりと光を放つ。

 

その一瞬、ユリアは考えなくてはならない全てのことを忘れ、ライナルトの綺麗な顔に見入っていた。

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