第25話 フェリア城③

(よしっ‼)


ばちっと目を開けると、背中を壁から引きはがした。

それから、いくつもの詠唱呪文をさっと頭に浮かべながら、ライナルトの前を素早く横切り、細く開いていたに過ぎなかった扉を、思いっきり蹴り飛ばす。

 

そして、両手を構えたまま、部屋の中に飛び込むと、目を忙しなく動かしてアンネの姿を探しながら、口では詠唱を開始する。


「『聡明なる風の神ヴェンツェルよ、私に力をお貸しください……吹き荒れて! 風の輪舞‼』」

 

刹那、ユリアの正面に光り輝く黄色い魔法陣が浮かび上がり、室内に風が巻き起こった。


「ユリア・クレフ・シュヴァルヒ‼」


ラルフの叫ぶような声が聴こえるが、吹き荒れる風の威力で、ほとんどかき消されている。全員まともに目を開けていられず、ラルフは腕で顔を覆い隠し、アロイスと呼ばれていた少年のような声の男は蹲っている。

部屋の中にあったであろう、ランタンや黄ばんだタペストリー、彼らの持ち込んだ荷物も風の渦に巻き込まれ、無残にも床に散らばっている。

 

ユリアは部屋の隅でぐったりと横たわるアンネの姿を捕らえ、両腕で顔を庇うようにして、風の中に切り込んでいく。風の中を半透明の鳥が飛び回っているのが見えた。


(持ちこたえて!)

 

が、風に慣れて来た男たちも手を構え始めた。

「『聡明なる風の神ヴェンツェルよ、我に力を与え給え! 打ち消せ! 風の輪舞!』」

 

ラルフが大声で詠唱すると、彼の前に黄色い魔法陣が浮かび上がる。

すると、一瞬、更に激しい風が吹き、呼吸も儘ならないほどになったが、すぐに弱まる。

室内の中央では、風から生まれた二羽の鳥が体を打ちつけ合うように戦っている。

鳥がぶつかり合う度、風は微弱になる。そして、ついにはそよ風程度になってしまい、終いには二羽とも掻き消えてしまった。

 

ユリアは這うようにしてどうにかアンネの傍に辿り着いたが、出口を塞ぐように男たちが立っていた。


「『偉大なる地の神ボードゥエルよ、私に力をお貸しください……捕らえて! 土の檻‼』」

 

ユリアの掲げた手の前に、緑色の魔法陣が出現したかと思うと、室内に立つ二人のローブの男の足元から、いきなり細く切り出したような土がせり出してきて、それが何本も並び、ぐるりと男たちを取り囲む。一気に二つの檻が完成する。

  

風の魔法のせいか、二人の男のフードは取り払われ、銀色の髪と青い目が露わになっていた。ラルフの顔はもともと知っていたが、やはりアロイスと呼ばれた男の顔も村で見たことがあった。声から判断した通り、アロイスはユリアより年下だろう。男というより、やはり少年という容貌だ。

  

ユリアは跪いてから、身を低くして、気を失っているアンネの腕を自分の肩に回す。

そうして何とか立ち上がり、半ば引きずるようにして、檻の間を縫うように進もうとすると、


「『高潔なる水の神バサエルよ、ここに力を示せ! 洗い流せ、邪悪なる監獄を』」

 

アロイスが声高に詠唱すると、ぼおっと青い光を湛える魔法陣が天井一面に出現し、大雨が降り出した。大粒のその雨が、ユリアの築き上げた土の檻を、上方から徐々に泥へと変えていく。ぼたりぼたりと溶け行く檻の横を通り抜けようとした時、解放されたアロイスが真横から飛び掛かって来た。ユリアは思わず目を瞑る。


「わぁあああ‼」

 

何かを打ちつけるような大きな音と、アロイスのうめき声が同時に聞こえ、ユリアは恐る恐る片目を開く。

目の前には壁があった。否、ライナルトが立っていた。


「ごめん、出るタイミングを完全に間違えた」


降って来る声に、ユリアは泣きそうになり、クシャっと顔を歪める。


「遅い‼ 何してたの⁉」


「見回りしてた二人が背後から来て。いや、話は後だ!」

 

はっとして前方を見ると、ラルフが目を眇め、ライナルトを見ていた。

手は腰に差した剣にかかり、いつでも引き抜けるようにしている。

対するライナルトは、十文字槍の先端を、威嚇するかの如く、ラルフに向けている。

ユリアはごくりとつばを飲み込み、アンネを担ぎ直す。

目の端に何かが映り、そちらに目を走らせると、アロイスが苦し気に呼吸を繰り返しながら、ライナルトを睨み据えている。先程、ライナルトに吹っ飛ばされたようで、壁に体を酷く打ちつけ、立ち上がれないようだ。が、目だけはライナルトに向け、突き刺すようないらだちを含んだ色が浮かんでいた。

 

ユリアがアロイスに気を取られている間に、ラルフはついに剣を引き抜き、両手で体の前に構える。


「『聡明なる風の神ヴェンツェルよ、我に力を与え給え! 纏え、風の鎧!』」


黄色い魔法陣が剣先に浮かび上がり、徐々に下へと降りていく。

魔法陣を通り抜けた刃は、竜巻のような風を纏わせ、風から生み出されたかの如く、風の刃となった。


「魔法相手はきついなぁ」

 

ライナルトは独り言のようにそう呟くと、苦笑いを浮かべたが、槍を握る手には力がこもっており、軽口を叩いていても、いつでも戦える準備はできているようだった。


「また邪魔をするのか、異邦人」

 

ラルフが苦々しい顔をして、ユリアを守るように立ち塞がるライナルトを見据える。


「え? 何で、俺が異国から来たってわかったの?」

 

ライナルトが驚いたように問うと、ラルフは忌々し気に鼻を鳴らした。

「貴様の槍に刻印が見える。それは、エターニアの花だろう? エンガリアのシンボルだ」

 

確かに言われれば、刃の三股に分かれる根元の部分に、花のような刻印があった。だが、よく見なければわからない。ラルフの観察眼に、思わず感心していると、


「言葉もだ。貴様はときどきエンガリアなまりのイーリア語を話す」


「ええええ⁉ 嘘‼」

 

驚きのあまり、つい大声が出てしまい、急いで口に手を当てる。

ラルフは一瞬虚を突かれたように目を瞬かせた後、再び顰めたような顔に戻り、ライナルトは肩越しにちらっとユリアを見たあと、再びラルフに向かい合う。

 

ライナルトが、エンガリなまりのイーリア語⁉


ラルフの放った言葉に、全く同意できない。ユリアには流暢なイーリア語に聞こえるし、おかしなところなどわからない。


(私の方が長く一緒に居るんだよ⁉ 合計で一刻も一緒にいたことのないラルフに何がわかるっていうの⁉)

 

そういえば、ライナルトはどこでイーリア語を習得したのだろう。

ここを切り抜けたら、聞き出そう。

ユリアが呑気に考えていると、ラルフは眉間に皺を寄せ、もともと細くて吊り上った目を、更に細く、吊り上げた。


「エンガリア人の貴様に、我々の行動を制限する謂れはないと思うが? ユリアは我々の同胞だ。この国を救うため、彼女の力が必要なんだ。エンガリアを母国に持つ貴様などに、邪魔立てされたくない。これは我々一族の、この国に生きる者たちの問題だ。首を突っ込まないでもらおうか」


静かに燃えるが炎のごとく、怒気を孕んだ声は、低く響いた。

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