第24話 フェリア城②

埃と黴のようなにおいが立ち込めた城内は、ずいぶんと荒れていた。

割れた窓硝子に、壁から無理矢理引き抜かれたのか壊れた歪に曲がった燭台が転がっている。壁にも斧で付けたような傷が走り、盗賊か何かが侵入しただろう痕跡が残る。

きっと、壁を飾っていた絵画や、調度品の類も、軒並み奪われていることだろう。

造った人が見たら泣くだろうななどと考えながら、どこか不気味な廊下を、慎重に足の踏み場を探しつつ、なるべく音を立てないように進んでいく。

 

そんなユリアを困ったような顔で追うのはライナルトだ。


「ユリアちゃん、お願いだから、俺の後ろを歩いてほしい。危ないから」

 

声を潜めるライナルトに、ユリアは振り返って首を振る。


「先陣を切るのは私」

 

それだけ言って、また前方に目を向ける。

ライナルトは肩を落として、ため息をこぼすと、とぼとぼとユリアの後に続いた。

太陽の落とし子のような灯は、今もユリアたちを明るく照らしてくれている。

噴水のある広場に馬を待たせ、城内に侵入したユリアたちは、息を潜めて、奥へと向かっている。


〈銀海の風〉の男たちが、どこに隠れているのかはわからないが、廊下に敷かれた緋色の絨毯の上にうっすら足跡が見えるのだ。埃の積もった絨毯なんて全く褒められたものでないが、こういう時は役に立つ。

 

廊下を進み、階段を上り、また廊下を進む。

最奥に、ちらちらと灯りの漏れる部屋を見つけ、ユリアは足を止めた。

ライナルトも目を細め、そちらを見る。

くぐもってはいるが、人の話し声も聞こえてくる。

 

振り向くと、ライナルトはユリアの目を見て、こくりと頷いた。頷き返したユリアは、空中で浮遊する炎に手を伸ばす。すると、炎は吸い寄せられるようにユリアの手の中に納まった。その炎を包み込むように握り潰す。たちまち炎は消失してしまった。

 

ライナルトは背中に背負っていた十文字槍を引き抜き、両手で構える。

それからユリアより前に立ち、壁に沿うようにそろりそろりと足音を殺して、部屋に近づいていく。ユリアも息を潜めて、ライナルトにぴたりと張り付いたまま一緒になって進んでいく。

 

ついに部屋の入り口に辿り着く。

扉は細く開いており、そこから灯りが漏れていたのだ。

ライナルトは背中を壁に付けながら、顔を逸らし、横目で室内を窺う。


「ラルフ、いつまで待てばいい?」

 

若い男のいらだったような声がした。


「もうじき来る」

 

答えたのが、ラルフという青年だろう。

聞き覚えのある声だ。四人の中でリーダー格の青年。ソヴィデ村の宿で、ユリアの部屋に侵入してきたあの青年だ。


「何でこんなにまどろっこしいことをするんだよ。魔法で一撃与えて、連れ去れば済むことなのにさ」


若い男がため息交じりに言った。男というより、声変わりしたての少年のような声だ。

〈銀海の風〉は、若きゴッドフリートが率いる集団だ。彼を慕い、集まる者たちもまた、皆血気盛んな若い青年たちだった。年寄りや中年ばかりが集まる〈レガ教団〉とは対照的である。脳裏に両親の姿が浮かび、ユリアは苦い顔をして、人知れず奥歯を噛みしめた。


「ゴッドフリート様の指示だ。ユリアを心身ともに傷つけず、連れて来いと言われている」


「心身ともに、ね……わかったよ。そういうことなら文句は言えないよな」

 

ライナルトはちらりとユリアを見てから、再び室内に注意を向ける。

薄汚れた窓からは、ぼんやりした月明かりが差し込んで来て、二人を浮かび上がらせる。


(やっぱり、ゴッドフリートが……)

 

ソヴィデ村での夜、ラルフが口にした言葉が蘇る。


——何も怖がることはない。君は選ばれし者。あのお方が君の力を必要としている。とても名誉なことなんだ。

 

「あのお方」とは、ゴッドフリートのことだったのだ。


ユリアはざわつく胸を何とか抑え、呼吸を整える。

ゴッドフリート。若き預言者で、〈銀海の風〉の総帥。

ある日突然、隠れ里に現れ、めきめきと頭角を現し、若者たちに崇拝された男。

ゴットフリートの名は知っている。けれど、その素性も、年齢も、顔さえも、ユリアは知らない。そんな得体の知れない男が、ユリアを欲している。一体、何が目的なのかわからない。考えられるのは、〈先祖返り〉の力くらいのものだが。具体的に、ユリアを何に利用しようとしているかわからないのだ。ユリアは懸命に思考を巡らすが、答えは一向に見えてこない。


「俺、見回りしてこようかな、じっとしてるのつまらないし」

 

室内にいた男が言った台詞が耳に届き、ユリアは物思いから一気に現実へ引き戻された。

今は、アンネのことを第一に考えるべきで、物思いに耽っている場合ではない。

しかも、男が廊下に出てくるかもしれない。

ユリアの緊張は否応にも高まった。


「今、アーベルとエッボが見回りに行っているぞ。ここにいろ、アロイス」

 

おそらく立ち上がりかけていたのだろう。アロイスと呼ばれた男は、嘆息してまた座り直したようで、ぎしっと椅子のきしむ音がした。

 

槍を握りしめ、息をつめていたライナルトは、小さく息を吐いた。

 ユリアも思わず胸の前で握りしめていた手を下ろす。

ライナルトの横顔を見上げると、その額に玉の汗が浮かんでいるのが見えた。

 

どのタイミングで襲撃を掛けるのか計りかねているようで、時折片足を踏み出そうとしては、止めるのを繰り返している。


(そうだよね。ライナルトだって、こんなこと初めてだよね)

 

二度も助けられた経験から、ライナルトが戦いの場数を踏んでいるような錯覚を覚えていたが、彼の経歴からしてそれはありえない。

 

裕福な商人の家柄に生まれ、何不自由なく暮らし、そのうちに力を見いだされ、教会に入ったのだ。神官という職業の詳しいことはわからないが、およそ戦闘とは程遠いところにいるに違いない。なぜか、槍は使えるようだが、それも金持ちのたしなみや、神官の業務の中に多少組み込まれていたに過ぎないのだろう。


(やけに体も大きくて逞しいから、勝手に勘違いしてた。この人も、私と同じ。それなら)

 

ユリア瞼をぎゅっと閉じ、鼻から大きく息を吸い込んだ。

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