甘い香りが充満する夕暮れどきのキッチンに

阿倍カステラ

beautiful carrot

 艶やかな肌に指をからめ優しく優しく。最上級の優しさを桐箱に詰めて献納するように。男は優しくその艶肌に刃をあてそっと滑らせる。

 女は甘く甘く。他の女では感じ得ることのない種類の、Royaltyな甘い香りを放つ。挑むように放たれる香りが男の鼻腔をくすぐる。


 確かに「美人」と呼ぶに相応しい、と男は思う。実際に口に出してそう言ってみる。再び男は刃を艶肌に滑らせる。最上級の優しさをもって。


 愛知県碧南市のブランド人参はたとえばそういう人参だ。その名は「へきなん美人」。

 男はピーラーで薄く薄〜くカットする。何枚も何枚も。夕暮れどきのキッチンに甘い香りが充満してる。

 もうメインディッシュの準備はできている。男はサラダに取り掛かっている。おそらく夏の終わり頃にたっぷりと陽射しを浴びた、10月中旬から出荷されるその人参は、太陽の光をソースパンでことこと煮詰めた色をしてる。その色に心を奪われる。


 彼女に美味しいサラダを食べさせたかった男は、今やその「へきなん人参」を彼女に着せたいと思い始めてる。

 まず、生まれたままの彼女の姿を想像した。それは男にとってまだ見たことのない姿だった。だけど男はそんなことはお構いなしに、彼女に「へきなん人参」を着させた。


「ピンポーン」チャイムが鳴ったが、男は妄想から覚めなかった。現実世界の彼女が玄関のドアを開けた。



 夏の終わりの陽射しのようなスポットライトをさんさんと浴びて、太陽の光を煮詰めた色したドレスを身に纏う彼女がそこに立っていた。甘い香りが充満する夕暮れどきのキッチンに。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

甘い香りが充満する夕暮れどきのキッチンに 阿倍カステラ @abe_castella

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ