第34話 観覧車

 人生初の観覧車へ、いざゆかん。


 クリスマスということもあってか、観覧車は混んでいた。仕方なく列に並んで順番を待つ。


 目の前にはカップル。後ろにもカップル。右にも左にもカップル。


 今日はクリスマス。つまりそういうことである。確かに、クリスマスに遊園地デートで観覧車なんて定石だろう。もしヨウに恋人がいたらそうしていたかもしれない。恋人なんて作る予定はないけれど。


 順番が回ってきて、ようやく観覧車のゴンドラに乗りこむ。バタンと扉が閉じらる。外界と遮断されたような、なんともいえない不思議な気持ちになった。


 事実、二人っきりのゴンドラはひどく静かだった。遠くから遊園地特有の楽しい音楽が聞こえてくる。学校の渡り廊下と同じだ。


「……今更だけどさ、シノ。本当に彼氏と来なくてよかったの」

「ええ、勿論。そもそも彼氏なんていませんし」

「いい人もいないの?」

「いませんね」

 即答だった。恋愛面に関してシノは思ったより無関心だった。青春恋愛ドラマの主人公でもしていそうなのに。

「ドライだねー」


「だって、恋なんて面倒なだけですよ。どうせ私に告白する人はきっと私の内面なんて見ていないんですから。そもそも私は学校で素を曝け出したことなんてほとんどないんです。そんな”綺麗なシノ”ばかり見て告白されてもね……。私は、”私”を見て受け入れてくれる人がいいですね」


 さっきまではしゃいでいた少女とは思えない、冷めきった物言い。あんなに爛々と輝いていた瞳は、今はもう感情を映さない瞳に戻っていた。

 まるで情緒がジェットコースター。


「まあ、確かにね。でもね、多分普通の中学生は素のままで生きている人間が多いよ。だからすぐ喧嘩も起こすし、綺麗に振る舞うことを知らない。だからシノが綺麗に振る舞っていることもわからない。子供は大人になる過程で、だんだんと対人用の自分を身に着けていくんだから」


 いわゆる仮面ペルソナというやつだ。人はいろいろな顔を持つ。先生に対する顔、親に対する顔、友達に対する顔、年少者に対する顔、兄弟に対する顔。


 その使い分けを学んでいくのが義務教育だとヨウは考えている。だから、中学生にしてそれが完璧にできるシノは大人だ。


「シノはきっと内面も綺麗だと思うよ。ある程度はそうじゃないとそこまで綺麗に立ち回れないからね。いつかボロが出る。だから、シノは綺麗だよ。少なくともヨウはそう思う」

「……ヨウは優しいですね」


 シノは困ったように苦笑した。多分いつものシノなら、ありがとうございます、なんて言って美しい笑顔を浮かべて流すのに。もしかしたらシノの弱いところを突いてしまったのかもしれない。


「お世辞じゃないって。ヨウはお世辞なんていう性格じゃないからね。それに、」


 言葉を紡ぎながら外を見る。もう観覧車は高度を上げていて、下で小さな子供がはしゃいでいるのが見える。隣で中学生くらいの集団がバカ騒ぎしているのも見えた。


「それにシノを見ていると、周りの中学生が幼く見えるよ……」


 頭にあったのは球技大会でヨウに絡んできたクラスメイト、それから告白してきた男子。みんな自分に必死だった。それが普通。それが当たり前。別に悪いことではない。そうして子供は大人になってゆくのだから。


「いいえ、そんなことはないですよ。私だってこどもですから。ただのこども」


 こどもにしては達観した表情を浮かべるシノ。また、あの儚い表情。このまま消えてしまいそうな表情。違う、そんな表情をさせるつもりはなかった。


「まあ、確かにさっきのはしゃぎようはこどもだったねー」

 わざと茶化して見せる。

「あらお恥ずかしい」

 あはは、と二人して笑う。狭いゴンドラでは声が良く響いた。


「でもヨウとだから、私はこどもに戻れたかもしれませんね。年齢相応なこどもに。少し大人のフリをするのは疲れたかもしれません」

 

「じゃあ、今だけこどもに戻ろうよ。さっきみたいに。遊園地は夢の世界なんだから、大人だって子供に戻れる世界なんだって。子供がこどもに戻るのは普通でしょ」


「それもそうですね」

 ようやくシノはいつものような輝かしい笑みを浮かべた。


 観覧車はいつしか頂上を過ぎていた。

「あっ、頂上見逃した!」

 バカみたいに、こどもみたいに驚いてみせる。ヨウだって、こどもでいられた時間は少なかったのだから。

「あら、そうでしたか。私は見ましたけど」

「ちょっと、教えてくれたらよかったのにー」

「ふふふ。私たちこどもみたいですね」

 バカ上等だ。貪欲であれ。バカであれ。これを言ったのは誰だったっけ。


 ――段々と、思い出せないことに寛容になってきている自分がいる。前は思い出せないことに恐怖すら抱いていたのに。

 それよりも、過ぎ去っている今この瞬間が大切になったのだ。過去の記憶に囚われるようでは、何も前に進まないと割り切れるようになってきたのかもしれない。


 観覧車は回る。回る。時計も回る。観覧車は逆向きには回らないし、今日という日はもう帰ってこない。だから今が一番輝く。


 過去の記憶はいくら大切といえど、記憶でしかない。いつか忘れてしまうかもしれないし、ヨウが生きているのは今だった。だから今が一番大切だった。



 そうしてヨウは、そしてシノも遊園地を満喫したのだ。

 ジェットコースターをあれから二回も乗ったのは少し予想外だったけれど。流石に三回目が終わったあとはギブアップを唱えたが、それも含めて良い思い出だった。


 ♢


 帰りのバスにて。久しぶりにはしゃぎ疲れたのかシノは寝入ってしまった。いつもとは違う年相応なシノの顔。寝顔は思ったよりもあどけない。寝顔もきれいで羨ましいなんて場違いなことを思った。


 シノを取り巻く環境なんてヨウは知らない。でもきっとヨウと同じ、無理やり大人にさせられた被害者。

 なら、こんな時くらいこどもに戻って遊び尽くせばいいのだ。そうやってうまく大人になっていくしかない。だから遊園地なんてものがあるんだと思った。


 遊園地は、確かに夢の世界だった。明日からは日常が待っているのだから、このバスは夢と現実の境目かもしれない。

 日常があるから夢がある。夢があるから日常がある。


 だから日常が幸せだった。


 バスが静かにヨウたちを日常へ運んでゆく。適度な揺れがヨウに心地よい眠気を誘う。このまま寝入ったらさぞかし気持ちがよいだろうなあ。身を委ねるように目を閉じる。


 そこはもう夢の世界だった。

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