第2話 天才と厄日

 曲がりなりにもヨウは学生である。それも、中学三年生。つまり受験生。

 公立中学に通っているヨウには避けて通れない道だ。

 そして、受験よりも先にやってくるのが定期テストなるものだった。


 うん、ごめんだけどこれは楽勝。教科書を暗記さえすれば満点だって余裕だ。

 なぜなら、一度見たことは忘れない頭脳を持っているから。


 教科書と違う問題が出ても勿論大丈夫。頭の中の教科書を検索したら幾らでも類題が出てくるはず。どうしてそれが出来ない人がいるんだろう。ヨウには理解できない。


「テストマジでヤバい」

「テストが消え去ればいいのに」

「何で勉強しないといけないのかな」


 校内を歩いていると、様々な声が聞こえてくる。でも、どれも共感出来なかった。テストは簡単なのに。みんな、話のネタがなくて最終手段にテストを使っているのだろうか。だとしたら可哀そうだ。中学校、それも公立中学校のテストなんて、大したものじゃないのに。


 参考書にしがみついている優等生と呼ばれている人たちの行動も、本気で意味が解らなかった。アイテムなのかな? 

 ……いや、それは流石に言い過ぎかも。勉強をしている人を尊敬こそするものの、貶すわけがない。何かに熱中できる人間は素晴らしいのだ。


 とはいえ。やっぱり自分は天才なのかもしれない。

 確信するに至るには、意外とすぐだった。


 ♢


 中間テスト前、自宅にて。

「お姉ちゃん、定期考査中なのに勉強しなくていいの?」


 妹のアオは中学一年生であるから、初めての定期テストに必死に勉強をしている。うん、可愛い。シスコンフィルターがかかると、何をしていても可愛く見えるのだ。頑張れ。なんて思いながら返事をする。


「うん、しなくても大丈夫ー」

 そう言いながらそのへんにあった辞書を読み漁る。


 辞書は大好物だ。いろんな言葉が踊っていて楽しい。知識の宝庫だから好きだ。まあ、辞書に載ってる八割の語彙は知らなくても日常生活を送るうえで全く困らないのだろうけれど。

 それでも人に知られない単語をすくい上げるのがたまらなく好きだった。


 ヨウが辞書を読む。

 これがアオにとっては余りにも見慣れた光景だったから、辞書を読んでいるヨウが遊んでいるように見えたのだろう。

 ちょっと異常。でも異常も続けばやがてそれが通常になる。恐ろしいね、当たり前って。


「何で勉強しなくていいの? その秘訣は?」

「教科書に目を通したらいいんだよ。一通り頭に入れたらあとはもうおしまいじゃん」

「一通り頭に入れる……?」


 アオがぽかんとした表情でこちらを見てくる。どうしたのだろうか。

「え、だから、教科書を一周ぱらぱら見ておいて、頭に入れておけば大丈夫ってこと」

「教科書ってそんな簡単に暗記できるものなの?」

「一回みたら覚えない?」

「覚えない、覚えないよ!」

「えー」

 これは共感が得られなかったことに対する不満の声だ。


「お姉ちゃんって、天才だよね」

「天才? ……そっかあ、ヨウ、天才だったんだ」

「おお、天才の発言だ」

 あははと二人で笑った。こんな他愛無い日常が愛おしかった。


 ♢


 自分は天才だったらしい。


 というわけで、中間テストは息をするように終わった。毎度のことながら非常に簡単だった。素点は五百点満点中五百点。

 ごめんね、天才で。だって、ミスる場所がなかったんだもん。

 ただ今回ばかりはテストが終わった後が少し厄介だった。


「ねえ、今回から成績上位者の掲示が出るんだって。中三だから受験勉強しろよってことなのかな?」

 誰かが言うのが聞こえてくる。はっとする。


 本当に、成績上位者の掲示なんてするんだろうか?公立中学校は順位なんてつけることはないと高を括っていたのに。


 自分の素点は五百点。つまり、まごうことなき成績上位者だ。他に500点満点の人が10人ほどいればまだ自分の存在感は薄れるが、そんなことはまずないだろう。ああ最悪。


 取り敢えず、ことの真偽を確かめに掲示されているだろう場所に赴く。


 掲示の前は生徒で人だかりができていた。ざわざわと囁く声が少しだけ鬱陶しい。その中で、自分の名前が呼ばれるのはよく聞こえた。つまり、やはり成績上位者の掲示の情報は正しいのだろう。


 最前列に行き、ポスターを確認する。背が低いと、こういう時不便だ。



 成績上位者

 1位 ヨウ 五〇〇点

 2位 シノ 四九五点

 3位 ……


 ああやっちゃった。こんなに目立つはずじゃなかったのに。


 絶望的なものをみるとかえって落ち着くらしい。周囲のざわめきが一言一句よく聞き取れるようになってくる。


「ちょっと信じられない。シノさんが負けるなんて」

 ――誰だよ、シノさんて。


 否、シノという少女は誰もが知っている。だって彼女は今の生徒会長だ。容姿端麗で頭脳明晰、おまけに運動神経抜群という伝説が出回っている。どこまで本当なのやら。噂には尾ひれがつきがちだし。


「五百点てやばくない?」

 ――やっぱりやばいのか。ごめんね、天才で。ちょっと調子に乗っちゃうよ?

 ……くだらない。小学一年生のテストで満点をとっても嬉しくないと同じ理論だ。


「シノさんと間違えたんだよ」

 ――そんなわけないって。ヨウはこの掲示の存在自体間違っていると思うけど。


「ヨウって、あのヨウ?いつもヘラヘラしてる」

 ――失礼な。全部聞こえている。


 パッとあたりを見回すと、じろじろとこちらを見てくる視線を感じた。ここは居心地が悪い。


 早足でその場をあとにする。


 ああ、失敗した。こんな狭いコミュニティでは、出る杭は打たれてしまうのだ。ヨウみたいな天才は出る杭だからね。


 あは、自己肯定感は高くいかないと。ヨウが悪いんじゃない。周囲がヨウを理解できないのが悪い。解ってほしいとも思わないけど。


 ああ、早く大人になりたい。学力の関係ない、社会人に。早く働いて大金持ちになりたい。そうして妹のアオと二人で幸せになるのだ。さっきと言っていることが矛盾しているのはご愛嬌。


 そんなこんなで考え事をしながら歩いていると、何かのはずみに制服の胸ポケットに入れていたシャーペンが飛び出して床に落ちた。それから次のステップで見事に踏みつける。


 バキッ


 嫌な音がしてシャーペンが壊れた。ああ、高くはなかったけどお気に入りだったのに。まあ、安物だし踏みどころが悪かったら壊れるか。つい先刻までシャーペンだったものを集める。飛び出して踏まれなければ、このシャーペンは今日も明日もこれからもヨウの胸ポケットにいられたのに。


 うん、今日は厄日だ。

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