家族

シンカー・ワン

やり直し

 昔のままの自室に社会人になってからの荷を収め終え、一息つこうと縁側に腰を下ろす。

 初夏の午後、湿度の高さをそよぐ風が緩和してくれているのはありがたい。

 物干しをふたつも置けばいっぱいになる狭い庭を眺める。ここも昔と変わらないままだ。

 きれいに手入れされている生垣の下からこちらをうかがう、いくつかの眼差し。見慣れない者へと向けられる警戒の目。

 "誰だ?" と言わんばかりの視線に、お前らこそ誰だよって言い返したくなる。じゃ俺の方が古株なんだぞ。

 ブチだの黒だの茶トラだの、こいつらに会うのは何度目か。

 最初はふた月ほど前、親父が死んだとき。

 棺に納められた親父が家を出ていくまで、庭からじっと家の中を見つめてた。鳴きもせず見送るように。

 初七日が済んで俺が向こうへ帰るまでの間、毎日やって来ては庭からうちの中をうかがっていた連中。

 四十九日のときも、やっぱりこいつらはやって来て、庭から居間の親父がいつも座っていた辺りをじっと見つめていた。

「お義兄にいさんが、餌をあげていたんですよ」

 庭の猫たちのことは、父の最期を看取った叔母が教えてくれた。

 高校を卒業して俺が家を出て行った後、庭に入ってくる猫たちを構いはじめたのだと。

 構いはすれど飼いはせず。庭で遊ぶことを許し、餌を与えるだけ。

  軒下を貸しているだけだとよく言っていたそうだ。飼っているのとどう違うんだ?

 どういうつもりでそんなことをしだしたんだか。

「――きっと、寂しかったんだと思います」

 寂しい? 俺が居なくなったから、なんの気兼ねも無くいちゃつけるようになったのに?

 からかうように言うと、叔母は顔を赤らめてから、小さく「……もぅ」と口をとがらせる。

 四十代だけど、こういう可愛らしいところは昔のままで変わらない。

 父との関係ことを大人の冗談としてかわせるくらいには、叔母と俺の関係も前を向いたのかなと思う。

 ……叔母が我が家で暮らすようになったのは、俺が中学に上がる頃。

 若くして結婚したが、子供ができないからと離縁された叔母を母が連れて来たのだ。

 母方の親はすでに亡く、ふたりきりの姉妹だったので親父も反対はしなかった。

 俺も幼い時から知っていることもあり、家族がひとり増えることに抵抗はなく、むしろ若くきれいな叔母と暮らせることを喜んでた。

 思春期に足を突っ込んでいた俺には、女の盛りを迎えようとしていた叔母は魅力的で、いけないと思いつつも淫らな気持ちを向けずにはいられなかった。

 もちろん手なんて出せるはずもなく、こっそりひとり励むだけだったが。

 母が突然病に倒れ、あっけなく逝ったのが中学三年の時。母亡きあとは、叔母が家事いっさいを受け持つようになり、形こそ少し変わったが俺たちは家族であり続けた。

 そして高校二年の夏。偶然、親父と叔母が男と女の関係なっていたことを知る。

 寝苦しさから目が覚めた真夜中、のどの渇きを潤そうと台所へ向かう際、叔母の寝室から聞こえてきたくぐもった声に気を惹かれ、声の漏れていた襖の隙間から見えたのは、常夜灯のほのかな明かりに照らされて浮かぶ裸で睦み合うふたりの姿。

 秘かに憧れていた――性的な対象オナペットにしていた――叔母が、犬猫のように腰を高く上げ、後ろから親父を受け入れ喜びの声をあげている。

 日ごろのつつましさからかけ離れた激しく乱れる姿に、ひどく興奮するのと同時に、俺の中で "家族" への何かが壊れた。

 憧れていた叔母の "女" を見せつけられた上に親父に奪われた。思いを打ち明けてたわけでもないのに奪われたはおかしいが、ぐちゃぐちゃな気持ちでいっぱいいっぱいに。

 それから、ふたりに対して遅い反抗期を演じ、きつい態度で当たるようになり、卒業後は遠い地で働くことを選び家を離れた。

 以来、なにかと理由をつけては帰省せず離れたまま暮らしていたが、一度だけ帰ったのは母の七回忌。

 法要を終えた後、三人だけになった時、何年も溜めていた怒り――と、悔しさ――の感情をここぞとばかりにぶちまけた。

 姉の夫と道ならぬ関係になってしまったこと、俺を騙していたことを、叔母は額を畳に擦り付け泣いて謝っていたけど、親父は弁解めいたことは何も言わず、ただ腕を組み目を閉じ黙って俺の罵声を受けていた。

 俺はふたりを罵るだけ罵って家を後にした。もう帰ってくるものかと心に決めて。

 ――なのに帰ってきた。久しぶりの帰郷の理由が、親父の訃報とか笑い話にもならない。

 とっくに縁は切ったと思ってた。けど気持ちのどこかに引っかかりがあって、それがなんなのかを確かめたかったんだと思う。

 あの時、もっと文句を言えばよかった問い詰めればよかった。――ちゃんと話をすればよかった。

 ……残ったのは後悔だけ。

 俺の罵倒に一言も返さなかった親父。返したところで言い訳に過ぎないとわかっていたからだろう。第一、あの時の俺と来たら、頭に血が上ってて話を聞き取れたか怪しいもんだし。

 ふたりがどうして男と女の関係になったのか、なぜそうなったのかを、俺は考えもしていない。

 ただ "家族" であることを裏切られたと一方的に責め立てただけ。

……叔母を抱いてた親父への嫉妬が混じっていたのは否定しない。むしろうらやましい憎らしいって気持ちの方が大きかったのかもしれない。

 家を離れ社会で揉まれてから、いろいろとわかり気づけた。

 ひとりで生きるようになって人生を重ねることで、親父や叔母のことを邪まな気持ちと切り離して考えられる "大人" になったのだと思う。

 初七日が済んだあと、今の仕事を辞めこっちに帰ることを決めた。  

 四十九日の時、叔母に告げたら驚いていたな。

 仕事を辞めてこっちに帰るのを決めたことと、長年の想いを告白したからなぁ。

 ……俺が向けてた想いには、うっすらと気が付いていたって返されたのには、参った。なんだバレバレだったのかよ。

 こっちで仕事を探して生活の基盤を作り、叔母との関係を修復する。――想いを遂げる。

 叔母が俺を受け入れてくれるかはわからないけど、なに時間はある。焦ることはない。

 たぶん、きっと、いや絶対、大丈夫。

 じ~っとこっちを見ていた猫たちが生垣の影から出て、のそのそと俺の足元に集まってくる。

 俺を見上げてニャアと鳴く。

 お前が新しい餌係か? さっさと餌をよこせと言わんばかりの態度。

 ……どうやらこの家の住人だとは認められたみたいだ。

 こいつらとの関係もこれから付き合っていけば、親父がどうして構いだしたのかもきっとわかるだろう。

「……ちょっと待ってろよ」

 一声かけてから俺は腰を上げ居間を横切り、夕飯の支度のため台所にいる叔母に猫たちの餌がどこに置いてあるかを尋ねる。

 振り向いた叔母は一瞬「えっ?」って顔をして、それから表情をほころばせ嬉しそうに餌の置き場所を教えてくれる。

 

 俺のやり直しは始まったばかりだ。  

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