第19話 マロウの秘密


「余計な抵抗をしたら、どうなるの?」

「手術時は意識がある方が成功率も上がるから、気絶させない範囲で手か足を折って、動けなくするのが定石セオリーかな。」

 物騒な返答を微笑みながらするケヤキ。吸血鬼は逃げ場を探して、辺りを見回す。


「シッ!」


 シスターがケヤキに向かって、天使を投げ飛ばした。舌打ちをしながら彼は、スイングバックで身を躱す。壁にぶつかった天使の身体の一部が裂け、鮮血が噴出した。鮮血はマロウの頭に降りかかる。

「嫌ぁ~!!!」

 吸血鬼は半狂乱になって、顔に着いた血を袖で拭う。女の子座りで蹲ってしまった。動かなくなったマロウに襲い掛かろうとした、天使をケヤキは人狼の方へ投げ飛ばす。そして吸血鬼の肩に右手を置いた。


「こんな事で失神しないで下さいよ。目を覚ますまで手術が出来なくなる」


 ケヤキの微笑みが凍り付いた。いつの間にかマロウの肩に置いた右手に、血で汚れた左手が重ねられている。肩を掴んで引き寄せようとした、吸血鬼の身体はピクリとも動かなかった。

 自分には百キロ以上ある巨漢でも、片手で投げ飛ばせる力がある。しかし今、四十キロあるか無いかの華奢な身体を、ピクリとも動かす事が出来ないのだ。


ミシリ……


 痛みを感じないケヤキの身体。その右手にマロウの左手が沈み込んだ。慌てて手を振り払おうとするが、彼の右手は微動だにしない。そして吸血鬼が顔を上げた。


 透き通るような白い肌。流れるような黒髪と、切れ長の目元。その瞳は頭から浴びた鮮血の様に真っ赤に変色していた。スラリと伸びた鼻梁の下の桜唇おうしんには、血がこびり付いている。

 その唇が開くと、青味を帯びた白い犬歯がギラリと光りを放つ。


 吸血鬼の異変に気が付いた人狼が、目を見開いた。手近の天使を蹴り飛ばすと、シスターの手を取り階段方向に駆け出した。

「おい! まだ天使たちの片が付いていないぞ!」

「それどころじゃない! 死にたくなければズラかるぞ」

 こんなに焦った表情の礼を見るのは、初めてだった。茫然とするケヤキを素通りして、階段に辿り着くと地下三階に退避した。長い階段の途中にある隠し扉を閉じると、人狼はその場に座り込んだ。


「マロウが生き血を呑んじまった。……これから荒れるぞ」



「一体、彼らはどうしたというのだ? 君を置いて出て行ってしまったが。まぁ、好都合か」

 ケヤキはスーツの内ポケットから、ギラリと光る手術用メス取り出した。右手は動かせないが、彼は全く気にしなかった。スーツのポケットには、延髄に埋め込む器具と定着促進剤が入っている。

「さて、下手に動かないで下さいよ。手元が狂うと失敗しちゃうんで」

 左手を振りかぶった時、ふと体が自由になり上体がバランスを崩した。


「……?」


 彼の右手は手の甲の部分で切断され、吸血鬼の身体から解放されていた。切り口は良く切れる刃物で、スッパリと切断されたようになっている。ケヤキは吸血鬼を二度見した。千切れた右手を抱えたマロウの両手は、剃刀の様な爪が伸びている。


「Guaaa……」


 低音の唸り声をあげながら立ち上がるマロウ。左手に持っていたケヤキの一部は、無造作に床へ打ち捨てられた。余りの迫力に言葉を失うケヤキ。彼は暫くして、ようやく呟きを漏らす。


「……君は一体」


 禍々しい疾風となった吸血鬼は、地下四階のフロアを縦横無尽に走り回った。天使たちの様に動くものを感知すると、当たるを幸いに必殺の爪を繰り出す。どんなに攻撃されても動きを止めなかった彼らでさえ、身体の中心から切り離された部位を動かす事はできなかった。


 五体の天使たちは動く度に、その部位を切り離される事になった。比較的無事なのは、右手を切断されたケヤキのみだった。この魔物は天使と同様に自我を失い、音を出すもの・動くものに反応して攻撃を加えている事に気付いたからだ。


 彼は同胞の天使たちに斬撃を与えている、マロウの背後に音も無く忍びよった。吸血鬼は怒りに我を忘れ、目の前の敵の殲滅に集中している。天使にするにしても、動きを封じなければ手術ができない。ケヤキは左手のメスを逆手に握り、必殺の一撃を繰り出した。


 ザン!


 殺気を感じたマロウは、間一髪で必殺のメスを躱した。しかし上体を捻った不完全な態勢で避けたため、首から腰までの衣服と皮一枚が切り裂かれた。吸血鬼のシャツがはだけ、胸に一本の赤い直線が走る。


「男じゃないか!」


 ケヤキが大声をあげた。しかも胸の切り傷は急速に塞がって行く。ここに至って彼は正体不明の人外を相手に、勝ち目のない戦いをしている事に気が付いた。身を翻し、階段へ避難を図るケヤキ。だが彼の足取りが急停止する。


 ガシュ!


 吸血鬼の重くて鋭い、グリズリーのような斬撃。マロウの右手にケヤキの首の肉が、二キロほど握られていた。その肉の中には人工ゾンビ器具が全て含まれている。彼は膝から床に崩れ落ちた。


「Ugaaaa!」


 吸血鬼の叫び声がフロアに響き渡る。ケヤキは自分の血で視界を塞がれながら、まだ動く左手でポケットを探った。スマホを取り出すと、側面の赤いボタンを押しこむ。

「残念、ここまでか。まぁ、最後に面白おかしく過ごせたかな」


 グシッ!


 薄っすらと微笑んだケヤキの頭部と歪んだ眼鏡が、マロウに踏み潰された。

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