第12話 情報交換
注文してからすぐに、銀の器に入ったカレールーと、平皿に盛られたライスが運ばれて来た。スプーンは紙製ナプキンで包まれ、付け合わせに福神漬けとラッキョウが添えられている。
粉うことなき純喫茶のカレーを前に、ヤマさんは手を擦り合わせた。ユリアも胸の前で小さく十字を切ると、スプーンに手を伸ばす。
「どうです、ここのカレーは?」
「美味しいです。日本においてカレーライスは、洋食という区分のはずですよね。幽かに和食の雰囲気がする」
「さすがはシスター!」
このカレーには鰹節とチョコレートが、隠し味に入っていると話してヤマさんは微笑んだ。疲れた風貌の中年男と、金髪碧眼の美女がカレーをつつき合うという、奇妙だが和やかな時間が流れる。
二人は三分で食事を終えた。食器を下げて貰い、珈琲を手に取った所でヤマさんが口を開く。
「お忙しいバチカン市国調査員の方が、ただ定型書類を提出に来た訳では無いですよねぇ」
「貴方の迷惑にならない範囲で、情報交換がしたい。可能でしょうか?」
「一体、何がお知りになりたいので?」
ヤマさんはカップを置いて、苦笑した。
「……なるほど、犯人は山口俊彦という男なんですな。アメ横のスナックと神父殺害も同一人物であると」
「恐らく間違いありません。推測の元になるデータ一式は、後程指定されたアドレスに送信させて頂きます」
中年男はポケットからスマホを取り出すと、肩を竦めた。
「どうにもITですか、苦手でしてねぇ。この携帯にデータを送ってくださいな」
ユリアは携帯を受け取ると、手早くデータを送信する。
「今風の電子機器の取扱にも、精通されとるんですなぁ。ここが
ヤマさんはため息を付く。シスターからスマホを受け取ると、画面を確認する事も無くポケットへ戻した。
「上野近辺の東京都内だけでなく、日本全国で本件と同様の事件は起きているでしょうか?」
「今の所そんな報告は、受けておりませんな。名古屋支社や大阪支社の知り合いにも聞いておきますよ」
中年男に微笑みながら、シスターは肩を竦める。
「我々の情報網は、日本全国には浸透してはおりません。極地ではなく全体情報は貴方がたの方が信頼できます。それからこれは、お願いになるのですが……」
「イヤイヤ、ご謙遜を。お願いとは何でしょうか」
「今晩、ユグドラシル同盟のビルに潜入調査を行おうと考えています。そちらで今日中に、立入検査などを行う予定は、あるでしょうか?」
疲れた中年男は、フルフルと首を振った。それから恨めしそうに彼女を見つめる。
「分かっているとは思いますが、この国では調査権の無い私人が令状無しに踏み込むのは違法です。まさかそれを見逃がせって、云うんじゃないでしょうねぇ? 私にそんな権限はありませんよ」
「いえ、あくまでも確認です。そちらに予定があるようなら、私達の潜入は中止します」
ヤマさんはテーブルに置かれた、今時置いてある事が珍しい、灰皿を引き寄せ胸ポケットを探った。禁煙中であることに気が付き、苦笑する。
「我が社は色々制約が在りましてねぇ。そんなに迅速に動けないんですよ。ユグドラシル同盟に対する調査令状は申請していますが、
個人的見解ですがと、中年男は呟いた。ユリアは立ち上がり、ニコリと微笑んだ。
「貴重な情報をありがとうございます。恐らくユグドラシル同盟から、被害届等は出ない筈ですが、ご迷惑をおかけしない様に注意します」
席を離れようとするシスターに向かってヤマさんは、ウインクしながら今まで彼女が座っていた場所を指差した。小首を傾げながらユリアは席に戻る。
「ここからは独り言です。私が所属している刑事部の他に、我が社は様々な集団があります。交通部や生活安全部などが一般的ですが、スパイや国際犯罪など、一般犯罪を扱わない公安部という組織をご存知ですか?」
独り言に相槌を打って良いのか悩みながら、ユリアは小さく頷いた。
「最近、公安部で各国の諜報機関との接触が、これまでにないほど多くなっているんですよ。アメリカ、ヨーロッパ、中国や南米の諜報員が蜂の巣をつついたように飛び回っています。
その公安部から、私達の所に問合せがありましてねぇ」
疲れ切った中年男は目をショボショボさせる。演技も入っているだろうが、実際睡眠時間も足りていないに違いない。いつもならエリートぶって自前の部署だけで調査を行い、得た情報を絶対に外部に流さない公安が協力を求めて来た。と呟く。
「ユグドラシル同盟に関する情報を全て渡せと来ました。同盟は全世界展開しているのですよねぇ。
恐らく四十八時間以内に、同盟ビルには二十四時間体制の監視が付く事。七十二時間以内に、公安部が超特急の捜査令状をもぎ取る事。その際には大規模な交通規制や報道機関のシャットアウトが予定され、機動隊まで動員される事等を呟いた。
「そんなに貴重な情報を何故私に?」
「我々の部署は公安嫌いが多くてねぇ。かく言う私も、その一人なんですが。私の勘ですが、彼らに仕切らせるよりも貴方にお願いした方が、被害も少ない様な気がするんです」
あくまでも独り言ですが。と中年男は呟く。シスターは深く頭を下げ、席を立った。ヤマさんはフニャリと笑って、ポケットから携帯を取り出した。
「明日の朝まで、携帯は
中年男は片手を挙げてウィンクする。シスターは、もう一度深く頭を下げると、居心地の良い喫茶店を後にした。
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