箸休め(その弐):毎年悩む贈りもの
じめりとした重い空気が、身体全体に無意識に広がる六月某日。
慌ただしい四月があっという間に過ぎたかと思うと、気づけば六月になっている。
GW後の五月の記憶が、まったくない。
いったい、どう過ごしたのか。何を食べたのか。
自分にとって記憶のキーとなる朝ごはんの光景すらほとんど思い出せないくらい、日々忙殺されている感じだ。
六月も同じ、いや、それ以上の忙しさになることは目に見えている。
そんな中、久しぶりにゆっくりできる土曜日の午後。カレンダーを見ると、下の方に赤丸がついていることに気がついた。
六月の第三日曜日、父の日だ。
母の日に比べて、やや記憶が薄くなってしまう父の日。今年は、偶然にも早めに気づくことができた。
……しかし、何を贈ろう?
母の日に比べて、いつも贈りものに悩んでしまうのが、父の日だ。
ちなみに、自分自身の母の日は、毎年カーネーションが組み込まれた小ぶりの花束を買って玄関に飾り、寝ぼすけ坊主からホットケーキを焼いてもらうのが、ここ数年の定番となっている。
きつね色のムラのない、均一できれいな表面のホットケーキに、今年は特別にホイップクリームと真っ赤なつぶつぶのイチゴをのせてくれた。
年々、ホットケーキの焼き方は上達し、今年は特に抜群の出来だった。
フォークで一切れ、ホイップクリームと甘酸っぱいイチゴを一緒に口に入れると、ふわりとした香りとともに甘味と酸味という相反する味わいが舌へ、喉の奥へと広がっていく。
いつ食べても、ホッとできる味だ。
昔からホットケーキに関しては連れ合いの方が上手く焼くことができ、寝ぼすけ坊主の腕が上達しているのも、連れ合いからの指導の賜物だ。
おそらく寝ぼすけ坊主の今年の父の日への贈りものも、同じようなメニューが出てくることだろう。
……悩むのは、自分の実家の父への贈りものだ。
イベントごとがとにかく苦手な実家の父。
昔から、特別に何かを贈っても反応が見られない。
照れ隠しなのか、興味がないのか、とにかく、騒がしいことが嫌いな人なので、実家にいた頃は行事的なことをあまりやった記憶がないのだ。
数年前に、思いつきで贈った少し高級なコーヒー豆セットも、特に反応はなかったと記憶している。
嗚呼、本当に、どうしよう。
とりあえず、疲れすぎて何も働かない脳と身体に、優しい香りと深いコクを入れてから考えよう。甘さたっぷりのミルクティーを飲んで。
『ゆっくり、ホッコリ。いただきます』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます