10.こんな運命くつがえしてやる!

「さあ、僕を殺すといいよ」


 おれにナイフを無理やり握らせた後、そう言ってクラースは冷たく笑った。

 くらい緑色の目がじっとおれを睨んでくる。


 冗談なんかじゃない。クラースは本気なんだ。

 だって、こいつが今の運命から逃れるためには、白竜をと自分自身が救われるためには、命そのものを終わらせるしか方法がないのだから。


「きみが諦めるなと言うのなら、僕を殺せよ。そうすれば僕は今の状況から逃れられるんだ」


 諦めるな、だなんてクラースにとっては酷な言葉だったんだと思う。

 呪いという、見えないチカラが働くものに縛り付けられて、白竜をも巻き込んでしまって。囚われているだれかが目の前で弱っていく姿を見ていたら、おれだって諦めてしまうかもしれない。しかも自分のせいで、囚われている本人は逃げられなくなっているんだろう。


 それでもおれは、頷くことなんてできない。


「いやだ」


 おれはナイフを投げ捨てた。

 岩に叩きつけられたナイフは小さな音をたてて、転がっていく。どこにいったのかは分からないけど、クラースの手の届かないところならどこだっていい。


「おれはクラースを殺せない。殺せるはずないだろ!」


 キッと睨みつけて、おれはクラースに大股で歩いて近づいた。シミひとつないシャツの襟を左手で握って自分に近づけさせ、右手で思いっきりクラースの頬を殴る。

 突然のことだったせいか、クラースは傾きそうになったものの倒れなかった。おれがちゃんと逃げられないように掴んでいたからだ。

 ジンジンと手が痛くなってくる。構うものか。


「死ぬだなんて、そんなこと言うなよ! 逃げることは悪いとは思わないけど、死んだらぜんぶ終わりじゃないか!」

「なら、どうしろって言うんだ」

「……クラースは何もしなくていいよ」

「意味わからないんだけど」


 目をつり上げて、クラースはおれの手を払いのけた。


 きっと、こいつは答えを待ってる。どうすれば、こんな行き止まりみたいな道から抜け出せるのか。本気で分からないんだ。

 だけど、やっぱりおれは諦めて欲しくない。

 このままじゃクラースは救われない。


 絶望の闇にとらわれていたクラースを、地上の光へと引き上げる役目を持った誰かが必要なのだとしたら。

 このおれが、なってやろうじゃないか。


「こんな運命、このおれがくつがえしてやる」


 自信はなかったけど、決意は固まっていた。


 緑玉のような目が丸くなっていく。

 無理もない。剣も魔法も満足に使えない同じ年頃の子供ガキが、こんな突拍子なことを言い出したんだから。


「——は?」

「白竜がただ弱っていく未来も、クラースがずっとこんな島に縛り付けられるのもおれはいやだ。だから、おれがなんとかしてみせる」

「できるわけないだろう!? 何言ってるんだ。相手は国王陛下なんだぞ!」


 信じてもらえるとは思っていなかった。

 おれだって逆の立場ならたぶん信じない。そもそもそんなこと本当にできるのか、おれにも分からない。


 だけど、決めたんだ。だったらやるっきゃないだろ。


「——あっ。アサギ、急いで! 国王達がもうすぐここに来るよ!」


 顔を上げると、コハクは焦ったような表情をして右の洞穴を睨みつけていた。

 未来を読むチカラを持つこの子が言うんだから、間違いない。


「まずいね、これは。僕が結界を張っておこうか」


 背後にいるシルが歩み出て、片手を掲げた。

 魔力による風が辺り一帯に吹いたのか、銀色の長い髪がひるがえる。


 いにしえの竜なら、魔法が使えない場所でも力を奮うことができるんだな。

 おれたちの使う魔法と竜の使う魔法、一体どんな違いがあるのだろう。


 ——と、惚けていたら、シルはいつのまに終わったか腕を下ろしていた。透明な壁が目の前に出来上がっている。


「……そんなことしたって無駄だよ。陛下の前では障害にすらならない」


 横目で結界を少しだけ見て、クラースが吐き出すように言った。


「まだそんなこと言ってるのかよ」

「だってそうだろ!? きみ一人の力で何ができるって言うのさ! せいぜい僕みたいに呪いの材料にされて終わりだ」

「一人じゃない」


 心の声は伝わったらしい。


 何も言わずにコハクは隣まで来てくれた。

 彼女の自信に満ちた顔に頷いて、おれはそっと手を繋ぐ。

 体温のない精霊は、やんわりと力を込めて握り返してくれた。


 戸惑ったクラースの顔を、おれはまっすぐに見た。自然と笑みがこぼれる。


「コハクと二人なら、なんとかなる気がするんだ」

「そんな根拠もないこと……!」


 言葉の続きを、おれたちは聞くことができなかった。

 突然、パリンと何かが割れた音が、洞窟内に響いたからだ。


「……僕の結界が壊された」

「嘘でしょ? だって運命を司る銀竜の結界よ!? いにしえの竜あたしたちの中でもシル以外にこんな高度な結界を作れる存在なんて——!」


 顔色を失うシルと信じられないものを見るケイカ。

 だけど、不意に二人とも口をつぐんでしまった。


 割れた結界の向こうを、青ざめた顔で見ていた。まるで、子どもがお化けを見つけたかのように。


『こんなところに隠れていたんですね、逃亡者』


 おれは戦慄した。

 直接に頭に響いてくる、この声は。


『銀竜に月竜、あまり手間をかけさせないでください』


 そう言って目の前に現れたのは、竜だった。シルやケイカよりも小さな銀色の竜。

 ガラスが割れるような大きな音を立てて、入り込んでくるやいなや、鋭い目を向けてくる。


「……ルチル」


 ぽつりと、クラースが愕然とした表情で、そう言った。

 この竜の名前なのだろうか。


『クラース、よくやりました。時間稼ぎをしてくれたおかげで、ボクも陛下もあなたたちに追い付くことができましたよ』

「……え」


 もうこいつら追い付いてきたのかよ。だいぶ地下に潜ったと思っていたのに。

 しかも、王さま自ら地下に!?


「銀竜、妙な結界を張っても無駄だと言わなかったか?」


 抑揚の少ない低い声だった。


 コツコツ、と靴の音が反響して聴こえてきた。

 小さな銀の竜が端っこに下がって道を開ける。


 足首まであるマントをひるがえして、その人は現れた。


「……スロース国王陛下」


 名前をつぶやいたのはクラースだった。


 シワひとつない青い衣装を身につけた、父さんと同じくらいの年頃の男の人。

 おれたちを向ける瞳は海のような紺碧の色。短く切られた髪はキラキラした青みのある銀色で、耳は短く尖っている。


 セントラルの国王さまは、やっぱり魔族ジェマだったんだ。


「こんなところに入り込んでいたのか。私が何を言いたいのか、分かっているだろう? アサギ」


 その人は薄い笑みを浮かべて、おれに手を差し伸べた。


 もう、このまま逃げられないことは分かりきっていた。どちらにしろなんの策もなく、力任せでは白竜とクラースは救えない。

 みんなが助かる方法を探らなくちゃ、意味がない。

 自分だけ逃げるだなんて、いにしえの竜に理解の手を差し伸べる研究者ユークレースの息子として、絶対にあり得ない!


 だったら、捕まってやろうじゃないか。


「うん、分かってるよ。もちろん」


 差し出された手を掴んで握る。自然と笑みがこぼれた。


 心の声を聞ける精霊のコハクなら、きっとおれの決断を分かってくれる。

 なぜか彼女の顔を見なくても、そう信じられた。

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竜を追いかけてⅡ〜囚われの竜たち〜 依月さかな @kuala

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