3章 セントラル城の地下にあるもの

1.チャンスは必ず訪れる

 外から聞こえるのは波の音だけだった。

 ジェパーグにいた時はたいてい朝になると鳥の歌が聞こえてきたものだけど、もしかしてセントラルには鳥がいないのかな。結界内にいるせいか、普段にぎやかな精霊の声も聞こえてこないし、シンと静かでなんだか落ち着かない。


 ぼんやりと窓から景色を見つつ、おれはそんなことを考えていた。そうしたら急に力強く、ぐいっと腕を引っ張られた。


「ちょっ、クルゥーメル! 痛いって」


 思わず不満をもらすと、おれの腕をつかんでいた目の前の女の子はにっこりと微笑んだ。


「ふふ、違うでしょ? 今日からコハクの名前はコハクだよ。アサギがくれた名前だもん。大事にしなくっちゃ!」


 名前をもらったのがすごく嬉しかったのか、うっとりとした顔でコハクはおれに引っ付いていた。細い腕をおれの腕に絡めて機嫌良さげに笑っている。


 まあ、それはいいんだけど……。


 おれの肩にあずけてくる夜空みたいな藍色の頭が目に入ってくる。

 彼女がかけてくる体重とか、触れてくる腕からは、やっぱり体温なんて感じないけどいい匂いがした。潮の香り、かな。


「ん? コハクの匂いがそんなに気になるの、アサギ」

「え!?」


 心臓が飛び出るかと思った。今もドクドクと激しく動いている。もう、驚かせないでよ。


 そんなおれの思いとは反対に、コハクは嬉しそうだった。キラキラと輝くきんいろの瞳がおれの顔をのぞき込む。

 さすが精霊。こっちの心の声は筒抜けってことか。


「ふふーん、そうだよ。アサギのことはなんでもお見通しなんだから」


 それはちょっと、こわいかな。余計なこと考えられないし。


「あっ。でも、いくらコハクでもアサギのことをなんでも知ってるわけじゃないよ? アサギの家族とか年齢とか」


 人の話を聞いてるのかな、この子。


「ねえねえ、アサギ。コハクの知らないアサギのコト教えて?」


 聞く気ないだろ、コハク。

 ただでさえ近いのに彼女はさらに距離を詰めてきた。きんいろの瞳が目と鼻の先まで迫ってきて、また心臓がどくんと波打つ。


「ちょっと待った! それ以上は近いって!」

「じゃあ、アサギのことを教えてよ。年齢は? 見たかんじ十二歳ってところだけど。でもアサギって人族で言うところの魔族ジェマみたいだから、もっと長い時間生きていたりするの?」


 年齢か……。そんなに人の歳って気になるものかな。


「十歳」


 やや投げやりな言葉になったけど仕方ない。だってコハクは精霊で、たぶん父さんや母さんよりもずっと長い時間を生きている。そんな彼女から見たら、十年しか生きていないおれなんてほんとに子どもにしか思えないだろう。

 まあ、おれは実際子どもなんだけどさ。


「——え?」


 あれ、おかしいな。おれが心の声だって聞き取れるのに、彼女の耳には届かなかったのだろうか。


「だから、おれは今年で十歳なんだよ。……がっかりした?」


 やっぱり女の子にとって、運命だと思える人は年上の方がいいに決まってるもんな。頼れるし、守ってもらえるし。背が高くて体格がいい父さんみたいなタイプが一番モテるんだと思う。


「うっそお! アサギ、十歳なの? コハクから見たら、どう見ても十二歳以上に見えるよ!?」


 予想外のリアクションだった。

 おれから離れて、コハクは真正面にまわって腰をおろした。じぃっときんいろの目で見上げて、細い眉を寄せておれを観察しているようだった。


「そんなに驚くこと?」

「うん、たぶんね。コハクは精霊だけど、人族の常識はちゃんと分かってる方だから」


 右手の人差し指をやわらかそうな頰にあてて、コハクは首を傾げる。動きに合わせて藍色の髪が少し揺れた。


「アサギは魔族ジェマについて、どのくらい知ってるの?」

「大体知ってるよ。家に本がたくさんあったし、知り合いの竜にも教えてもらったから」


 腕を組んで、おれは記憶の引き出しを開ける。


「魔術が得意な闇の民で、千年の寿命がある種族だろ?」


 彼女の顔色をうかがうと、コハクはクスリと笑った。右手を膝の上に戻した後、おれの言葉の続きはそのまま彼女が引き取る。


「そう。そして、キミたち魔族ジェマの見た目は精神年齢を反映したものになるの」

「……精神年齢?」


 おれのおうむ返しに、コハクはこくりとうなずく。


「やっと、コハクの言いたいことに気づいてくれたかな?」


 言いたいことって……。


「いや、分かんないけど」

「なんでかな!?」

「そういうの、ハッキリ言ってくれないと分からないよ。おれ精霊じゃないし」


 開き直れば、コハクは小さなほっぺたをふくらませて不満そうにした。


「もう、しょうがないなあ。じゃあアサギにも分かるように言ってあげる」


 彼女は細い指先をびしっとおれに突き付けた。……どうでもいいけど、人を指差しちゃいけないってコハクに教えるべきかな。


「つまり、アサギは十年しか生きてないのに、心の年齢は十二歳以上ってことなの!」

「それ、おれが大人びてるってこと? でもそんなにおかしなことかな」


 生活する分には支障はなかったわけなんだし。むしろ、早く育ったから父さんと母さんの役に立ってきたと言ってもいい。

 普通じゃないってことは、理解したけどさ。

 だけど、コハクは真剣な表情で頷いた。


「そうだよ。魔族ジェマの子は、ゆっくり時間をかけて育つものなの。アサギくらいの年の子は、人間族フェルヴァーで言うところの五歳くらいが普通なんだから」

「ご、五歳!?」


 彼女が驚いたワケがだんだん分かってきた気がする。

 つまりおれみたいな十歳の子どもは魔族ジェマだと、大抵はもっと小さいのが普通だってことだ。

 だからと言って、おれが五歳くらいの見た目に戻るわけにはいかない。そもそも、そんなこと不可能だしさ。


「理屈は分かったけど、おれはおれだもん。今さらどうしようもないよ」


 ごろりとベッドの上に寝転がる。高い天井の上には、今まで見たこともないようなシャンデリアがキラキラと光っていた。


「コハクも分かってるよ。だから、アサギが今までどんな生活を送ってたのか気になってね」


 横になっているおれの近くまでコハクは移動してきた。

 きんいろの瞳が真上から覗き込んでくる。細い肩から彼女の長い髪が、さらりと滑り落ちた。


「……ど、どんな生活って、フツーだよ。家の掃除とかごはん作ったり」

「え。アサギがごはん作ってたの?」


 目を丸くしてコハクが聞いてくるものだから、おれまで驚いてしまった。そんなビックリするようなことかな。


「うん、そうだよ」

「親はいなかったの?」

「もちろん、いるよ。でも父さんは一日中仕事で家にいないし、母さんは研究で忙しいから」

「それ、やっぱり普通じゃないよ」


 細い眉を寄せて、コハクは断言した。


「そうかな?」

「うん。コハクは精霊だから、キミたち家族のあり方とか分からないけどね。でも、それ絶対おかしいと思う。コハクが見てきた家族は、子どもの仕事は家の手伝いなんかじゃなくて外で遊ぶことだったもん」


 そう、なのかな。


「でも、おれの家では違うよ。そもそも母さんを台所に立たせられないもん」

「どうして?」


 首を傾げるコハクを見つつ、天井を仰いでおれはため息混じりに話す。


「……前に、おれがもっと小さい頃の話なんだけどさ。母さん、台所でごはんを作ろうとして爆発させたことがあったんだ」


 ちら、と様子を見ると、案の定コハクは目を丸くしていた。


「ばく、はつ……?」

「うん。ドッカーンとね、大きな音だったよ」

「キミのお母さん、何したの?」


 それについてはおれも知りたいところだ。


「さあ、知らない。とにかく、あれ以来母さんは台所に立ち入り禁止なんだ。それにキッチンを壊されるくらいなら、少しは料理ができるおれが作るよ」


 おれを覆っていた陰が遠ざかる。どうやら、コハクは少し距離を取ったらしい。


「アサギって、大変な生活を送ってたんだねえ」

「別に、そんな大変ってほどじゃないけど。父さんは困ってる人を助ける仕事をしてるし、母さんは竜と人が手を取り合うためのすごい研究をしてるんだ。二人とも立派なひとだよ」


 そうだ。だから、おれは帰らなくちゃいけない。

 父さんも母さんも心配しているにきまってるし、おれも早く二人に会いたい。

 今はのんきに、こんな身の上話をしてる場合じゃなかった!


「コハク、きみはおれの運命を切り開く手伝いをしに来たって言ったよね?」


 起き上がって、おれはベッドから下りた。そしてすぐ近くに立っていた精霊だと自称する彼女に近づく。


「うん、言ったよ」

「嘘じゃないよな?」


 まだおれの中で彼女に対する警戒心は残っていた。成り行きで名前をあげたとはいえ、クルゥーメルっていう精霊なんて知らないもの。


 彼女はたぶん、そんなおれの心の声を読み取っていたんだと思う。

 コハクは目をそらさなかった。まっすぐにおれを見た後、夜空に浮かぶ星みたいな輝いた微笑みを浮かべて、言ったんだ。


「もちろん。精霊は嘘をつかないんだよ」


 その言葉を聞いた途端、おれの中にあった不安はすっかり消えてしまった。

 目に見える根拠なんてなかったのに、なぜかコハクは信頼できると思えたんだ。


「分かった。おれはコハクを信じる」

「ふふ、ありがと。じゃあ、とりあえずアサギにいくつか質問したいんだけど、いい?」

「うん、いいよ」


 首を縦に振ると、目の前の女の子は楽しそうにきんいろの瞳を細めた。


「アサギの望みって、何? このお城から逃げ出すこと?」


 正直、おかしなことを聞くんだなと思った。精霊は人の心が読めるって言ったのは、コハク自身なのに。


「もちろん、ここから逃げ出して父さんと母さんのもとに帰りたい」


 でも、それだけじゃない。

 頭に浮かぶのは、いつも隣にいてくれた家族の顔だ。笑顔を絶やしたことなんか見たことない優しい銀色の竜シルヴェストル。


「もし、おれと同じようにシルが捕まってるのなら助け出した上で、一緒に逃げたい」


 そうだ。置いていけるはずがない。


「……そう思う、けど」


 はっきりと口にしてから、おれは後悔した。いたたまれなくなってコハクから目をそらす。


 弱音を吐きたいわけじゃなかった。でも頭を冷やして、現実に目を向けなくちゃいけない。

 おれはなんて無謀なんだろう。

 もともとおれ一人で逃げるのだって不可能に近いのに、シルを助けて逃げるなんて無理に決まってるじゃないか。


「わかった」


 凛とした声が、沈鬱な空気を切り裂いた。

 顔を上げると彼女は笑っていた。腰に手を当て、得意げに胸をそらして。まるで不安な要素なんかひとつもないと言わんばかりに。


「地下に囚われている銀竜を助け出して一緒にお城から逃げる。これがアサギの望みなんだよね?」

「う、うん……」


 それはそうなんだけど。どうして彼女は自信たっぷりに笑っていられるんだろう。

 いや、それよりも。


「地下!?」


 思わずコハクの細い腕をつかむ。

 彼女は最初から、シルが捕まっていてどこに閉じ込められているのか、ぜんぶ知っていたんだ!


「そうだよ。銀竜は地下に囚われている。まず目指すなら、城の地下だね」

「コハクは簡単にそう言うけど、どうやって部屋を出るのさ!? ドアには鍵がかかかってるし、部屋の前にはきっと見張りの兵士だっているんだよ?」

「大丈夫!」


 人差し指を立てた手を、そのまますぐ目の前に突き出してきた。びっくりして押し黙ると、彼女は手を引っ込める。

 続けて視界に飛び込んできたのは、きらりと輝くきんいろの瞳。


「チャンスは必ず訪れる。アサギが考えているよりも、ずっと早くね」


 どうしてそうハッキリ言い切れるのか、まるで分からなかった。

 だけど次の瞬間、鍵がかかっていたはずのドアがひとりでに開いた時。彼女が確かに嘘をついていなかったことをおれは思い知ることになった。

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