3.やっぱり、やめちゃおうか?

「さて、ノクト。僕たちも行こうか」


 考え込み始めたら長くなる彼の性分を知っている僕は、ノクトにそう声をかけた。

 僕のひと声にハッとしたらしく、彼はアイスブルーの両目を僕に向ける。


「そうだな」


 歩き出すと、ノクトは先ほどのようにやや後ろの位置を守ってついてきた。

 なんとなくその位置取りが不満で歩くスピードを緩める。そして彼と肩を並べると、ノクトは速度を緩めて後ろへ。

 このままじゃイタチごっこみたいだ。


「前から言いたかったんだけどさ。せめて隣に並ぼうよ、ノクト」


 結局、また立ち止まって僕は振り返って文句を言う羽目になった。そして、僕の言うことに彼が素直に頷かないのも想定内だ。


「何を言っているんだ、ノア。おまえはノーザンの王子、俺はおまえの護衛。立場も身分も全く違う」

「分かってるよ。でも、別におおやけの場以外では友人らしく一緒に歩いたっていいじゃないか」


 腕を組んで、僕は唇をとがらせた。自分でもひねくれ者の自覚はあるだけに、今回の僕はやけに素直に言葉にしたつもりだ。

 だけどノクトってば、僕の不服な言い分を聞いた途端、吹き出して声をあげて笑い始めたんだ。


「なんだよ。笑うことないだろ」

「ああ、悪い。ノアがあまりにも子供っぽいことを言うものだから」


 普段からそれほど感情的なタイプではないノクトは、笑ったのは少しの間だけだった。すぐに落ち着きを取り戻して、僕に向き直る。


「そうだな。公の場以外では以前のように振る舞うとしよう。俺もノアと距離感を開けるのは、なんだか寂しいしな」


 そう言って穏やかに微笑むノクトは、どこか嬉しそうに見えた。

 ノーザンは彼にとっては故郷ではないし、いまだによその国なのかもしれない。どうせ真面目な性格のノクトのことだ。身分の違いとか城内での自分の立場とか。そんな難しいことを考えて我慢していたんだろう。


 遠慮なんていらないのに。


 ——と思うけど、僕が逆の立場だったら、たぶんノクトと同じように遠慮してしまうだろう。


「そうだよ。調査する上でノクトの意見も聞きたいしさ。セントラルって東大陸にある国だから、僕より詳しいだろうし」


 イージス帝国の隣に位置するセントラルは、僕たちがいるノーザン王国とは大陸が別だ。

 海を隔てている上に帝国と比べれば小国だからか知名度は低く、セントラルに関して僕の持っている情報は少ない。

 だけど同じ東大陸で育ったノクトなら、もしかすると僕よりなにか知っているかもしれない。


「確かに。俺の国は東大陸にあったからな」

「シャラール国の王子だったきみの目から見て、セントラルはどう?」


 十五年前、帝国は隣の人間族フェルヴァーの国シャラールを侵略した。常ならば殺されているはずの王族の一人がこうして生きながらえているのは、幸運のおかげなのかもしれない。


 両親を失い、国を失い、さらに帝国の者の手によって種族まで変えられてしまったノクト。でも生きてる。死にたくなるくらい辛いことや悲しみの涙を乗り越えて、今ではようやく僕の隣に立って笑うようになったんだ。

 これからは自由に、そしてしあわせに生きていって欲しい。


 そんな思いを込めて僕は、そばにいる青銀の髪の剣士を見上げる。ノクトは顎に手を添えて思案しているようだった。


「以前からセントラルは他国との交流はなかったから、俺も詳しくは分からない。なにしろセントラルは北、シャラールは南の国と離れていたしな。間に帝国が入っているせいで国交がしづらくて、当時は父も悩んでいたよ」

「そっか。そうなると、やっぱりルーエルの連絡を待った方がいいかもしれないね」


 止めていた足を再び進める。時々すれ違う城の女中や兵士に挨拶を返したり笑いかけたりしていると、ノクトは僕に声をかけてきた。


「これからどうするんだ?」

「とりあえず城の図書室で調べものをした後、さらわれた子どもの両親にもう一度話を聞いてみようかな。彼らもさすがにこっちに全部投げっぱなしっていうわけでもないだろうし」

「……そうか」


 声のトーンが、沈んだ。


 もう一度足を止めて振り返るとノクトは顔を俯いていた。いつも穏やかなアイスブルーの両目が揺らいでいて、その様子が彼の心境を物語っているかのようだった。


「どうかしたの、ノクト」

「……いや、なんでもない」


 絶対、嘘だ。

 そっと目を閉じた今のノクトの表情は、痛いのを我慢しているかのようだ。とても見ていられない。


 歩み寄って、彼の顔を覗き込む。まあ覗き込むと言っても、ノクトは僕よりも背が高いからどうしても見上げるという形になってしまうんだけど。

 じっと見ているとさすがに視線が感じたのか、彼は再びアイスブルーの目を開いて、僕の方へ向けた。


 ノクトがなにか言うよりも先に口を挟む。


「なんでもない、という感じには見えないけど?」


 彼の目を見返して、僕は穏やかに笑ってみせた。


「気がかりなことがあるなら、遠慮なく言ってよ。そんな顔されたら心配するじゃないか」

「……ノア」

「僕とノクトは、王子とその護衛という関係じゃない。きみは大切な友人でまた家族なんだ。そうだろう?」


 血がつながっていなくても、ノクトは十四年前に出会ってからずっとかけがえのない存在だ。弟たちと変わらないくらいに大切な家族だ。少なくとも僕は心からそう思っている。


「そうだな。俺たちは家族だ」

「そしていつの日か、帝国に奪われたノクトの故郷を取り戻す。それが僕らの目標だろ?」


 フッと笑ってみせると彼は力強く頷いた。結局のところ、それがノクトが生きる理由になっている。


「それで、どうかしたの?」


 腕を組んで尋ねると、今度は素直に答えてくれた。


「あの夫婦のことなんだが……」

「ああ、さらわれた子どもの両親のことだね」


 騎士風の男と、カミルの手紙を放置しておいたというあの女。城に駆け込んできた途端に厄介事を持ち込んだだけに、第一印象はよろしくない。

 彼らに対して持っていた苦々しい感情が、きっと顔に出ていたのだろう。ノクトは僕の顔を見るなり苦笑した。

 けれどそれは一瞬だけで、彼の笑みはすぐにかき消える。


「そうだ。夫の方がシェダル、妻の方がユークレースという名だ」


 穏やかなアイスブルーの瞳が曇る。


「俺は直接会ったことないが、あの二人を知っている」

「……どうして?」


 聞く前からすでになんとなく分かってしまっていた。


 以前にユークレースという人物について、カミルから大まかな情報を聞いていたからだ。

 海歌鳥セイレーン魔族ジェマで、女性。どうやら国にいた時はそれなりの地位にいた貴族だったとか。そして出身はイージス帝国。


「帝国が攻めてくる直前まで父と交渉していた軍師が、ユークレースという女性だった。そして、シェダルは当時の騎士団長。二人とも帝国がシャラールへ攻めてきた時、戦争の最前線にいたんだ」


 やっぱり、そうなのか。

 でもまさかあの夫婦が帝国による最後の戦争、シャラール侵攻に関わっていたなんて。

 いわば彼らは、ノクトの両親や国を奪ったかたきみたいなものじゃないか。


「ノクトは本当に、ユークレースとシェダルに会ったことがないの?」


 今の僕は、きっとひどく怖い顔をしているに違いない。

 でもノクトはどんな僕を見たって怯えたりしないし、態度を変えることはない。ただ、僕の質問に対して、首を横に降っただけだった。


「ユークレースは父と手紙のやり取りだけしかしてなかったし、戦争の時には姿を見なかった。だから俺や俺の両親がどうなったのかは知らないと思う。シェダルも騎士団長だったはずなのだが、なぜか見覚えがないんだ」

「だけど、二人の名前は知っていた。そういうことだよね?」

「ああ。だが、俺の父と母を殺したのは、イージスの国王だ。だから気にするな、ノア」

「シャラールの国王と王妃に直接手を下したのがあの二人じゃないとしても、きみの仇には違いないよ!」


 叫んだ途端、辺りがしんと静まり返る。

 偶然にも、その時は誰も通りかからなかったのが幸いだった。家臣や女中がいたら、ビックリさせたり怯えさせたりしたかもしれない。


 深いため息をひとつ吐いて、組んでいた腕を解く。自嘲気味に笑って僕はノクトに言った。


「やっぱり、やめちゃおうか?」


 ちらと見上げたら、彼は戸惑った顔で尋ねてくる。


「……何をだ?」

「あの夫婦に手を貸すことさ」


 くるりときびすを返す。そんな僕の背中に、当然ノクトは声をかけた。


「ノア、なにを今さら」


 咎めるような口調だった。

 だけど僕の心には響かない。実は子供好きで案外とお人好しなカミルと違って、僕は優しくないから。


「だって、そうだろ? あいつらは間接的には、ノクトの両親を殺した仇だ。どうして、僕たちがそんなヤツの手助けをしないといけないのさ」


 よくよく考えれば、助けてやる義理なんかないんだ。

 そう、初めから分かりきっていたことだった。いにしえの竜の力はたしかに必要だけど、ノーザンにだって眠っている竜はいるんだし。なにも銀竜にこだわらなくたっていい。


 自分に言い聞かせるように、僕はそう考えた。けど、ノクトは違ったみたいだ。


「俺が彼らの顔を初めて見たのと同じように、彼らも俺の顔は知らないんだ。今の俺は魔族ジェマになっているとはいえ、今まで会ったこともなかった。だからお前が気にすることはない」

「気にするよ。帝国がきみになにをしたか、忘れたわけじゃないだろう!? あいつらはきみの人生を狂わせた元凶にも等しいじゃないか。それに——、」


 背中に集中する視線に耐えかねて、僕は振り返ってノクトを見上げた。

 氷みたいな薄青の瞳が、不安定に揺れていた。


「あの夫婦が子供をさらわれたのは自業自得だ。狙われやすい無属の子供と銀竜を二人だけにして周囲の警戒を怠った。セントラルという国を相手取って、ノーザンが手を尽くしてやる理由はないんだよ」


 冷たいようだけど、これが僕の本心だった。国が相手ならなおさらだ。方法次第じゃ戦争にもなりかねない。


「——それでも」


 眉を寄せて、ノクトはぽつりと言った。僕から目をそらさず、真剣な顔で続ける。


「それでも、カミル国王は助けると決めたんじゃないのか」

「……それは、そうだけどさ」


 実に見事な切り返しだった。

 罪悪感に似たものを感じて、胸がズキリと痛む。


「ノア、国王が決めた意向に逆らうのは良くないことだ。カミル国王がシェダルとユークレースに手を貸し、無属の子供と銀竜を奪還することに決めたのなら従うべきだ」


 くそ、言い返せない。ノクトの言葉は正論だった。


 ノーザンの現国王はカミルなのだから、彼の指示に従う方を優先すべきだ。僕だって、そのくらい分かっている。どんなに不満を抱く理由があろうとも。


「そういうことだ、ノア。俺のことなら気にしなくていい。確かに帝国が俺にしたことは許せないが、恨みを抱いてはいないんだ」

「分かったよ」


 納得はしていないけど。

 とりあえずは、カミルの指示には従うとして。シェダルとユークレースをあのままにしておくつもりはないんだからな。


 考えていることが顔にそのまま出ていたのだろう。ノクトは分かりやすく話題を変えてきた。


「そんなことよりも、親から無理やり引き離された子供を救うことを考えるべきだ。魔族ジェマで言えば、十歳の子どもはまだまだ幼いだろうに」

「あのルーエルも、見た目はまだまだ十歳に満たないかんじだもんね。あの子は五十年は生きてると思うんだけど。たぶん」

「そうか。ルーエルでそうなら、アサギという子どもはどのくらい小さいんだろうな」

「そうだね……」


 両親がそろっている上に銀竜の子守りつきなら、きっとゆっくりと毎日を過ごしてきただろう。だから、きっと。


「見た感じが五歳くらいの子どもなんじゃないかな。僕も十歳といえばそんなものだったし」

「そうなのか」


 そっか。僕と違って、ノクトはもともと魔族ジェマじゃないからな。


「ある年齢になれば成長が止まる妖精族セイエスと違って、魔族ジェマの見た目って精神年齢に依存するんだよ。だから大抵の魔族ジェマの子どもはゆっくり時間をかけて成長していくわけ。寿命も長いしね」

「なるほどな。しかしそれなら、その子は怖くて震えているかもしれないな」

「そりゃそうだよ。魔族ジェマで十歳の子どもなんて、僕たちからみればまだまだ赤ん坊みたいなものなんだから」


 だからカミルも必死になる可能性が大きいんだけどさ。変なこと考えてないといいなあ。


「そうか。なら早く助けてやらないとな。さて、手始めに図書室で調べ物だったか。早く行こう、ノア」


 そう言って、ノクトは嬉々とした表情で僕の手を取って歩き始めた。引っ張ってずんずん廊下を歩いていく彼に、僕は乾いた笑みを浮かべる。


 まったく、もう。普段からクールで、滅多にはっきりと笑ったりしないくせに。


 今回の件で僕が乗り気じゃないのを分かってるんだろう。

 ルーエルをセントラルにお使いに出してしまったことだし。これは、本腰を入れて頑張るしかなさそうだ。

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