波間に揺れる恋心 ⑨
一日が過ぎて、海の底に暮らす乙女たちの上にも、新たな一日がやって来る。
エーゲ海の底の輝く宮殿から、アムピトリーテは一人出かけようとしていた。
誰もいないと思えた宮殿の廊下を歩いていたが、しかし、
「見ーつーけーたー!」
「ひゃあっ!?」
突然、間近に声が上がると同時に両腕をがっちりとつかまれて、アムピトリーテは悲鳴を上げる。
左右を見ると、どこから現れたのか、姉たちの二人が怖い顔をしてアムピトリーテの左右の腕をしっかりと取り押さえている。
「まぁた黙って出かけようとして!」
「本当に何度言ってもわかんないんだから、この末っ子は!」
「ちょっと! 放してよ!
あたしがどこに出かけようとあたしの勝手でしょ!?」
かみつくようにして抗議の声を上げるアムピトリーテに、姉二人は少しだけ表情を和らげて言う。
「出かけるのはいいけれど、一言断ってから出かけなさいよって言ってるの」
「いつの間にかいなくなってたら心配するでしょ?
ほら、せめて出かける前に、お母さまにあいさつしてから出かけなさいな」
やんわりと諭すように言われて、アムピトリーテは不承不承うなずく。
そのまま姉二人の引きずられるようにして、アムピトリーテは母ドーリスの部屋へとつれられていった。
香炉からただよう煙が薄く満ちる魔女の部屋に、ドーリスとネレイスたちが集まっている。
姉妹たちがのんびりと思い思いに過ごしているのを尻目に、アムピトリーテは玉座に着いた母の前に進み出る。
「おはよう、母さん」
「おはよう、アムピトリーテ」
「これから、ちょっと出かけてくるから。夕方までには戻る」
「あら、珍しいこと。きちんとあいさつしてくれるなんて」
深い色をした瞳に微笑みをひらめかせてドーリスがそう言うのに、アムピトリーテはふくれっ面をしてそっぽを向いた。
その様子に、すぐそばで談笑していた姉妹たちが、ふと会話を止めて、顔を見合わせてクスクスと笑う。
「今日も今日とて、ねえ?」
意味ありげなその様子に、アムピトリーテの水色の瞳がつり上がる。
「何が言いたいのよ」
「だって、アムピー、口ではポセイドンさまのこと馬鹿だのキモイだの言うけれど、ほんとのところはそれほど嫌いでもないんじゃないかしらって、ね」
「そんなことないわよ、大嫌いよ!」
「だったら、どうして馬鹿正直に、毎日宮殿から出かけていくの?
本当に嫌いで、会いたくなかったら、宮殿の中に引きこもってればいいのに。
なんだかんだ言いつつ、ポセイドンさまに追いかけられるのが楽しいみたい」
「そんなこと……ないわよ!」
姉の言葉に、反論が口から出る瞬間に突っかかる。
アムピトリーテは大きく息をつくと、
「あんな奴のせいなんかで、自分のやりたいことを我慢したくないだけよ」
平静な声を作ってそう言う。
姉妹たちはおかしそうな笑みを口元にはりつけて、
「ふうん? 物は言いよう、って感じ?」
「そりゃ、ちょっと気分いいでしょうよ。
海の支配者にあれだけ熱烈に追いかけられたら。
女冥利に尽きるってものよねぇ」
「目一杯、転がして、振り回してあげたくなっちゃうわよね。
アムピーったら小悪魔ー」
そうはやし立てるように口々に言って笑った。
――アムピトリーテさまは、ポセイドンさまのことがお嫌いですか?
昨日、老アザラシに問われたのが脳裏のよみがえる。
かっと顔が熱くなって、アムピトリーテは思わず声を荒げていた。
「そんなんじゃないってば! 勝手なことばっかり言わないで!
周りで好き勝手茶化しておもしろがって……いい加減にしてよ、迷惑なの!
どうして放っておいてくれないのよ!」
髪の毛が逆立たんばかりに怒った、ハリセンボンのような妹の様子を見て、姉妹たちは一様に驚いた顔をして口をつぐむ。
激昂したアムピトリーテ、呆気に取られるネレイスたちを見下ろして、玉座のドーリスがおもむろに口を開く。
「アムピトリーテ」
「……はい、母さん」
「潮の流れは行くべき場所を知っているもの。
その流れは、逆らうこともとどめることもできはしない。
アムピトリーテ、あなたの目は外ではなく内側に向けてご覧なさい。
自分の内側、心に目を向けるの。そこに流れの行き着く先が見えるでしょう」
肩で息をついて、アムピトリーテは母の瞳をじっと見つめる。
ドーリスは静かにその眼差しを受け止めて、おおらかな微笑みを浮かべた。
「いってらっしゃい」
「……いってきます」
ふてくされた顔をして、アムピトリーテはきびすを返す。
後も見ずに駆け出して、あっという間に部屋を出て行ってしまったアムピトリーテの背中を見送って、ネレイスたちはわらわらと玉座の母の元に集まってくる。
「ねえ、母さま、さっきのってどういうこと?」
「あの子、人から意見されるとすぐ意固地になって、素直になれないところがあるから。
人から言われるとつい反発してしまって、白と思っていることも黒と言ってしまうのよ。
だから、周りの雑音が入らないところで、自分の心と向き合ってみなさいと言ったの」
母の言葉に、ネレイスたちは感心した表情でうなずき合った。
「なるほど」
「さすが母さま」
「それに……ポセイドンさまがあの子のことを少しでも理解しているなら、そろそろ勝負のかけどころね」
ドーリスの意味深な物言いに、娘たちは顔を見合わせ、そしてぐっと身を乗り出してくる。
「つまり?」
「押して押して押しまくられて、最後にちょっと引いてみせられると、あっさりころっと転んでしまうものだから」
「母さま……そうやって父さまを落としたの?」
娘たちのその問いに、ドーリスはただ蠱惑的な微笑みを返した。
Symposion Ⅱ 宮条 優樹 @ym-2015
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