第11話

「最後、ですか。どうして?」

「巨狼姿で大暴れしたからな。戦争賛成派が黙っていないだろう」


 戦争に漕ぎつければ異種族の婚姻などどちらの陣営も許しはないだろう。強行すれば離反に暗殺など、どう考えても酷い結末が待っているのは明らかだった。


「とりあえずここに黒幕がいますけど、殺しときます?」

「……い、いや、それはしない」


 思い切りの良すぎるアリシアの言葉にたじろぐアルフレッドだが、さすがに断った。

 未だに動けずにいるセドリックを睨みつけながらもアリシアのすぐ近くで伏せた。


「殺さずに済むものを殺せば、また余計な恨みを買うことになる。それでは人間と獣人との融和から遠ざかる」


 不機嫌そうに喉を鳴らす姿は本心を物語っていたが、理性でそれを押さえていた。


「そもそも、融和のためなら私を見捨てればよかったのでは?」

「お前……馬鹿だろ」

「なんですか、失礼な」

「好きな女を見捨てて講和なんてありえんだろう」

「私たち、それほどお互いを知らないと思いますけど」

「これから知っていけばいい」

「どこが好きなんです?」

「うるさい」


 そっぽを向いたことで好機を悟ったアリシアはここぞとばかりにアルフレッドの頬をつんつんする。


「ねぇねぇ。どこが好きなんです? ほら、言ってごらんなさいよ」

「……引かないか?」

「それは聞いてみないと──ああ、ウソウソ。引きません。引きませんから教えてください」

「匂いだ」

「……エッ」

「思いっきり引いてるじゃないかッ!?」

「だって初日の匂いフェチが……」

「そうじゃない! 俺の鼻は人のこころを嗅ぎ分けるんだよ! お前の心からは気高く清冽なのに甘やかな香りがするんだ!」

「こころ、ですか」

「これほどまでに発言とこころが一致しない奴は初めてだった」


 くすりと笑えば、アルフレッドは鼻をふすんと鳴らした。

 アルフレッドが無抵抗なのを良いことにアリシアは毛並みをたっぷりと堪能する。手を埋めて、撫でて、頬ずりして、顔を埋める。


「おい、はしたないぞ。それに、これで別れるのに未練が残るだろう」

「……ふふふ。未練に思ってくれるんですか?」

「女々しいと思うなら思え」

「いいえ、合格です・・・・。この状況を一緒に乗り越えましょう?」


 そして、アリシアは巨狼の鼻先にちょんと口付けた。



***



「聞きました? アリシアさんのこと」

「ええ、すごいですわよね。今度、歌劇になるらしいわよ」

「何の話ですか?」

「アリシアさんが誘拐された話です」


 ひそやかに。

 しかし楽しそうに、学園中を噂話が駆け抜けた。


「獣人の王家にしか懐かないはずの狼を獣王閣下が贈っていたんですって。狼は誘拐先を突き止めて大暴れ。あわや儚くなりそうだったアリシアさんを救ったんですって」

「アリシアさんをわざわざ救いに行ったってことは、獣王の伴侶として認めていたってことかしら」

「きっとそうよ」


 噂話が笑顔とともに語られるのは、誰一人として死んでいないからだ。


「アリシアさんを救った狼は、誰一人としてアリシアさんには近づけまいと必死だったみたいよ」

「アリシアさんの清らかさを感じ取ったのね」

「ええ。私は狼に乗ったアリシアさんを偶然見たんですけれど震えだすほどの大きさでしたわ」


 噂をすれば、正門に燃えるような毛皮の狼が現れた。パニックが起こらないのは、その背にアリシアが乗っているためだ。


「いい子ね、アル・・。帰ったら獣王閣下にお礼をお伝えくださいね」


 とてつもなく納得いかない表情の巨狼に抱き着いて頬ずりしたアリシアは、他の生徒たちに聞こえないよう、小声で呟く。


「ほら、アルフレッド様。演技して、演技」

「本当に、覚えておけよ……」


 アルフレッドも小声で応じるが、表立って反抗などできるはずもない。

 なにしろ、今はアリシアの飼い犬──もとい飼い狼の振りをしているのだから。


「しかし、よくあんな言い訳が通じたな……」

「国王陛下は私を実の娘と思うくらいに激甘ですもの」

「……絶対違うと思うが」



 あの後、騒ぎは王宮まで伝わった。

 獣人との融和がどうなるかの分水嶺であり、多くの貴族が詰めかける騒ぎになった。国王本人までもが足を運び、現場はてんやわんやだった。

 伏せたまま動かない巨狼と、その足元に転がるセドリック。

 そして何故か巨狼の背中で仮眠を取るアリシア。

 アリシアの救出や真相の究明、そして暴れてしまえば手に負えないであろう巨狼の捕殺が叫ばれたのだが、待ったをかけたのは騒ぎで目を覚ましたアリシア本人だ。


巨狼アルは私を助けに来てくれただけです。ほら、その証拠に脂がたっぷり乗ってそうなセドリック様を前にしてもよだれ一つ垂らさないじゃないですか!」

「お腹が減ってないだけでは……?」

「では牛を一頭用意してくださいまし! アルは生の牛くらいなら一頭まるまるペロリですわ。ええ、腹ペコですから丸呑みしてくれるでしょう」


 マジかお前、というアルフレッドの視線を無視してアリシアは言葉を重ねる。


「アルは私を助けてくれました。そもそもが私の護衛としてアルフレッド様が贈ってくださったんです。自らの任を全うしたアルを褒めることはあっても、危険視するなんてありえません」

「しかしなぁ」


 渋ったのは国王だ。


「とはいえ、暴れたのは事実だしなぁ……」

「ほら陛下。右手を出してみてください」

「? こうか?」


 国王が手を出した瞬間、アリシアが聞こえないように呟いた言葉に応じてアルフレッドは前脚を振るった。


 ――ズドンッ!!


 地響きとともに、国王のてのひらギリギリのところに前脚が振り下ろされる。

 まったく反応できていなかった国王が足元を見れば、肉球と爪の痕が大地に刻まれていた。


「ほら、人懐っこいでしょう? 頭が良いのでお手も完璧なんです」


 国王が顔色をなくしている間に、アリシアは笑みを深めて言葉を重ねた。


「ちなみにアルは本当に頭が良いので、皆さんがアルをどうしようとしているか、理解していますよ。殺処分なんてひどい人たちですねー?」


 わざとらしくアルを撫でれば、がるるるるる、と低い唸り声が響いた。


「か、可愛らしく雄々しい狼ですな! アリシア様を守ったのも天晴あっぱれ!」


 貴族の一人が保身に走れば、多くの人間がそれに続いた。


「いやぁ、精悍な顔達をしている」

「こんな素晴らしい狼を護衛にするとは、獣王閣下はアリシア様を本当に愛しているんですね」

「これなら成婚までアリシア様は安全ですなぁ!」


 ――味方が次々と消えていく。

 冷や汗を垂らしていた国王とアルフレッド。両者の視線がバッチリ合った。

 一〇秒近く堪えたものの、国王は視線を逸らした。


「り、利発な眼をしておる! アリシアを守った忠義と武勇も素晴らしい! 騎士に取り立ててやりたいくらいじゃ!」

「聞きましたかアル。国王陛下の近衛をめざしま──」

「ふ、不要じゃ! 儂のような老いぼれじゃなく獣王の寵愛も深いアリシアを守るのじゃ!」


 こうしてアリシアはアルフレッドの無罪を勝ち取ったのだった。

 ちなみにセドリックの一味は悪事が明るみに出たことで地下牢にぶち込まれている。戦争を企んでいた罪は重く、死罪は免れないだろうとのこと。

 ゴードンもあわや死罪というところだったが、殿下の(脅しの)お陰でアルを贈っていただけましたの、というアリシアの言葉でギリギリ無罪となっていた。



「んー、朝からいいモフモフでした。ではまた放課後にね、アル」

「ぐるるる」


 アニマルテラピーによってストレスを軽減させたアリシアに手を振られ、アルフレッドは唸りながら家路を辿った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る