第6話:僕の本にはオチがない

「先輩、今度はやり逃げですか」


「ちょ、ちょっと待って! どういうこと⁉」


 なんか物騒な単語が助手の口から飛び出した。言葉の刃が鋭いのは彼女のアイデンティティの一つと言える。それにしたって今回のは酷い。


「僕は助手に何か酷いことをしたっけ?」


「そんな訳ないじゃないですか。ラノベです、先輩のラノベ。いや、『ラノベもどき』を読ませていただいたのですが」


 もどきって! 彼女の言葉の刃の切れ味が益々鋭い。誰がここまで研ぎ上げたというのか。そいつ連れて来い。


 さて、僕のラノベがどうしたというのか。


「異世界物を書くのは良いと思います。転生して女神さまからチート能力をもらうのも。流行りですから」


 そう、流行りなのだ。その流れに乗っかるのも作家としての手腕ではないだろうか。


「話題の物を取り込むのはいいと思います。でも、途中でやめちゃって他のお話を書き始めちゃってるじゃないですか」


 そうなのだ。流行りのお話を書きたいと思って書き始めたのだけど、途中でネタ切れになってやめてしまったのだ。


「エタっちゃってるじゃないですか」


「エタ?」


「エターナルです。エターナル。永遠に終わらないって意味です」


 やだ、ちょっとカッコイイ。


「先輩のことだから『カッコイイ』とか思っちゃってるんじゃないですか?」


 ついに助手が僕の心まで読み始めてきた。


「始めた時は面白くなると思って書き始めるんだけど、出オチになってしまって最後まで書ききれないんだ」


「控えめに言ってクソですね」


「ひ、酷い……」


 僕、涙目なんだけど。いくら何でも口が悪い。この整った顔立ちの口から出てくる言葉じゃなかった。助手は口を開けば毒を吐き、その言葉の鋭さは日本刀を超えると思っていた。それにしたってひどい。


「うーん。じゃあ。最初にゴールを決めておくのはどうですか?」


 助手が顎に一本指を当てながら考えて言ってくれた。こういう何でもない仕草すらかわいいとか反則だろ。1年の間で話題になっているのが頷ける。


 それにしても、なんで助手はこんな部にもなれていない「ラノベ研究会」に入ってくれたんだろう。僕がラノベ研究会の備品のノートパソコンで執筆している間、彼女は自前のタブレットPCで何やら書いているみたいだし。


 画面は絶対に見せてくれないけど、多分イラストじゃないかなぁ……


「先輩(怒)」


「あ、はい!」


 余計なことを考えていたら助手を怒らせてしまったようだ。助手から語気強めに言われてしまった。僕のために考えてくれているんだ。こっちに集中しないと。


「最初から終わりを決めておくと、バトルものなら次々新しい展開が書けそうだからいいけど、ラブコメの場合ハッピーエンドになったら終わりになっちゃうんじゃない?」


「私が読んでいる少女マンガとかだと、作者はあの手この手で二人の仲を進展させませんね。一歩進んで二歩下がったり、主人公を日和らせたり」


「酷い話だ……元も子もない」


「それが現実です。完結しないお話は面白いままずっと続くならいいんですけど、そのうちつまらなくなったり、途中で止まったりしたら、もう読者としては、もやもやしか残りません」


「そう……だよねぇ」


「富樫先生だって続き書き始めたんですから」


「助手は微妙にメタいところを攻めてくるね」


 僕は仕切り直しで紙とシャーペンを準備して机の上に置いた。僕の場合、プロットを練ったり、書いたりするときは紙とペンなのだ。PCやスマホなら行を入れ替えたりが簡単だと思ったけど、タイプやフリックしているうちにアイデアが霧散してしまう。


 多分、僕は無理してブラインドタッチしているのだろう。


 その点、紙とペンなら書きなぐりで早く書けるし、タイプやフリックにストレスを感じない。人によると思うけど、僕には紙とペンが最適だった。


「改めて構想を練ってみたいと思うんだ。助手、手伝ってくれないか」


「分かりました」


 こういう時は素直に言うことをきいてくれる。実に優秀な助手だ。彼女はすぐに僕のすぐ横の席に座って机を付けてきた。ちょっと待って。たとえ助手でも女の子にこんなに近づかれるとドキドキしてしまうんだけど……。


「先輩?」


 助手が首を傾げた。いつも無表情だからその感情は読み取りにくいのだけど、僕のことを心配してくれているようだ。


「ごめん。構想というか、プロットから考えたいんだ。一緒に考えて欲しい」


「分かりました」


「まず、主人公は高校生で男の子なんだ」


「はい」


「なんらかの方法でヒロインと出会って恋に落ちる」


「もう、交差点でぶつかる話にはさせませんからね」


「……その点は反省しています」


「『起承転結』の『転』でなんらかの事件に巻き込まれるけど、それを乗り越えて『結』のハッピーエンド……だと平凡すぎないかな?」


「まあ、平凡ですけどそれで読者は納得するというか、安心します」


「なるほど……」


「ハッピーエンドまでで1巻だとしたら、2巻以降はこのお話続かないよね?」


「そうなりますね。昔話のおじいさんとおばあさんの様に『めでだしめでたし』で終わります。その後のお話が語られることはありませんね」


「それだと、バトルものだと新しい敵が現れたらいいんだけど、ラブコメは不利ってことになるよね。ハッピーエンドなのに、新しいヒロインが出てきて、新しい恋をしちゃったら台無しだし」


「じゃあ、一回その二人を別れさせたらいいんじゃないですか?」


 ひどっ……助手には人の心がないのか……。


「どうなんだろう? 一度別れた男女がもう一度付き合うとして、うまくいくのかな?」


「そんなこと私には分かりません」


「元も子もないなぁ……」


「だって、私は誰とも付き合ったことありませんから」


 そ、そうなんだ! 助手は1年の間では可愛いとすごく人気だったけど、僕の部活に付き合ってくれたりと、誰かと付き合っている様には見えなかったんだ。


「先輩? どうしたんですか? お顔がすごく残念な状態になっていますよ? ニヤニヤして気持ち悪いです」


 今はなぜか助手の言葉の刃も僕の心を引き裂くことはできなかった。


「ぼ、僕も誰とも付き合ったことないから、ちょっと理解しにくいな……」


「じゃあ……先輩、私と付き合いますか」


「えっ⁉ いいの⁉」


 無意識に出た言葉だった。


 すぐ横の助手の顔を見たけど、いつもの様に無表情。半眼ジト目で冷静だ。それに対して、僕の心臓の鼓動が一気に16ビートを刻み始めた。


「はいっ。じゃあ、私達は今からカップルということで」


 助手が軽くパンと一つ手を打った。


 淡々としゃべる彼女をよそに、僕の心臓はもう一段階鼓動を速めた。血圧のmmHg(ミリ・エイチ・ジー)は軽く500を超えていたに違いない。


 助手が彼女……。

僕の彼女。

助手が僕の初めての彼女になってくれた。

彼女は僕のもの……。


色々な言葉が僕の脳髄の中を駆け巡った。


 さっきまで可愛いと思っていた助手に、更に輝きの脳内エフェクトがかかり始めた。一段と可愛く見えた。


「先輩?」


 その声はどんなハイレゾ音源よりも高音質で僕の心にグッサリ突き刺さる声だった。僕は彼女に触れてみたい。僕の初めての彼女に触れたい!


 隣の席に机を付けて座っている助手に無意識に手を伸ばした。


「はい、じゃあ、別れましょう」


「は⁉」


 パン、と助手がさっきと同じようにもう一度手を叩いた。


僕の世界の時間が止まった。僕のスタンドにそんな能力などなかったはずなのに。


「はい、これで先輩は『元カレ』です。振られた男の子の気持ちが分かるはずです。これで2巻に進めますね」


 僕はその場で机の上に崩れる様に突っ伏した。そういうことか。全てを理解した。助手は、僕に「分かれても男女は再び好きになるか」を教えようとしてくれただけだ。


「……先輩? どうしたんですか? 先輩?」


 僕はこの時、既にラノベのことも、プロットのことも完全に頭の中から消し飛んでいた。全身の力が抜けた。


 女子ってすごいな。僕達の交際期間は約30秒。僕の知っているラノベやマンガの中で最短だ。それなのに僕のこの落胆ぶり。


 女子が僕達男子に与える影響力って果てしない。


「あ、いや。なんでもない。ちょっとガッカリしたみたい。助手が僕に教えてくれようとしただけなのにね」


「え?」


 珍しく助手が驚いた顔をした。


「あ! 私……」


 助手が立ち上がって教室を駆け出て行ってしまった。少しだけ見えた横顔は赤かったような……。いや、そんな訳はないか。あんなことを気軽に言えてしまうってことは、僕はそういう対象じゃないってこと。


「はーーーーーっ」


 無意識にため息が出た。


 □ 日の活動報告


「はーーーーーーーっ」


「九十九くん? 先生の前でそんなに深いため息をつかないでもらえるかしら? これでも先生も20代の女性だから、生徒とは言え男子の九十九くんが私の目の前でそんなに深いため息をついていたら少し傷つくわ」


「はい。すいません」


「それでどうしたんですか?」


 西村綾香先生は、僕が提出した報告書を見ながら訊いた。


「ん? 今日、九十九くんと妹崎さんは付き合い始めたんですか?」


「……はい」


「それは、おめでとうござ……ん? それで今日別れたんですか?」


 西村綾香先生が報告書を目で追い続けながら続けて言った。


「はい。30秒の短い春でした」


「……それは残念でしたね」


 西村綾香先生は、最近の若いこの考えることは全然分からないわ、とでも言わんばかりの表情だった。僕にだって分からないんだ。


 僕は心の深くて大きな傷と引き換えに、男女における「付き合う」ということは大きなイベントだということを理解したのだった。


 そして、僕と助手は「元カレ」、「元カノ」になった。ああ、酷いオチだ。

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