第4話 私が海妖対策士を目指した理由。

「エンテちゃんって、どうして海妖対策士になろうと思ったの?」


 すっかり日も暮れて、オレンジ色と紫色の混ざった空に一番星が光る頃。

 シュエットさんが私にそう訊ねられました。

 船医であるシュエットさんは毎日一日の初めと終わりに健康チェックをしてくださるのですが、今日も問題なしと太鼓判をもらったすぐあとでしたので……急に違う話を振られ、すぐには返事ができずポカンとしてしまいます。


「あっ、いや……いきなりゴメンね! その、女の子の海妖対策士は珍しいし……何がきっかけだったのかなと思ってさ」


 苦笑いしながらあたふたとカルテをしまうシュエットさん。

 遅すぎるにも程があるのですが、ここでやっと私の頭の中で思考の糸が繋がってくれました。アクイラさん相手だったら「いつまで間抜け面を晒してるんだ」とか言われていたところですね、危ない危ない。


「いえ、謝ることないですよ! 仰る通り、海妖対策士は八割……いえ九割が男性です。冒険者の航海に同行するには専門知識の他に体力も気力も必要ですからね」

「だよね。だからほら、港で初めて会ったときはアクイラも……俺たちもびっくりしたよ。華奢でちっこい子が来るんだもん。一緒に来てもらって大丈夫かなって心配でさ……でも、第一級海妖対策士だなんてなあ。すごいよね、確か海妖対策士のランクって初級入れて四段階くらいあるよね?」

「はい。初級から始まって、三級、二級、一級ですね。単独で冒険者に同行できるのは二級からで、初級と三級は現場に出るときは必ず二級以上の先輩同伴です。なお、私は去年一級免許を取得いたしました!」

「てことはまだ十六歳のとき⁈ エンテちゃんはすごいなあ……」


 そう言ってふんわり笑うシュエットさんは何だかすごく……包容力というか慈愛というかそういうのに満ちていらして、実家のような安心感があります。うっかりお兄ちゃん飛び抜かしてお母さんとか呼びかけてしまいそうなくらいには。

 どこぞの船長様にも見習っていただきたいくらいですが、それはさておきまして。

 シュエットさんが聞きたいのは、どうして私が海妖対策士になりたいか——でしたね。診察室として使われている船室の、ちょっと古びた椅子に姿勢を正して座り直します。


「実は私には、歳の離れた兄がいるんですが……行方不明なんですよね。かれこれ十年ほど前から」

「えっ?」

「冒険者さんたちが増え出して、海妖対策研究所が発足する少し前のことだったと思います。兄も冒険者見習いとして先輩の航海について行って……そのままずっと、帰って来ないんです」


 記憶の中にある懐かしい兄の姿を引っ張り出すと、つい何だか遠い目になってしまいます。

 この時代ありふれたこととはいえあまり明るい話ではないので、眉が下がってしまったシュエットさんには申し訳ないでしかないのですが……せっかく久しぶりに兄を思い出したので、このまま喋らせていただくことにしました。


「世界の果てには何があるのかとか、自分たちと全然違う姿をして全然違う生活をしている人たちがそこにはいるんじゃないかとか、人間はそもそもどこからきたのかとか……とにかく何でもかんでも知りたがりの兄でしたね。だから、まだ誰も知らない世界を求めて冒険者になりたかったんだと思います」

「エンテちゃん……」

「あっ、いえ分かってはいるんですよ! 冒険に出た人がこれだけ長く帰って来ないというのがどういうことか。実際……同じ船に乗っていた方が一人だけ戻って来られましたし」

「……一人だけ? それはいったい……」

「木片に掴まって漂流してるところを運良く他の冒険者さんの船に見つけてもらえたみたいです。その方曰く、乗っていた船は沈んだんだそうです。海妖に襲われて」


 大きな海妖が船にまで上がってきて、それからあっという間に沈没。

 状況をあとから分析するに、おそらくは出航の直後からセラステス・ミクロスに船を食い荒らされていたと予想されます。でなければいくら大型の海妖がよじ登ってきて暴れたからといって、あっというまと形容されるほどすぐに冒険船が沈んだりはしないでしょうから。

 ——兄がどうなったのかを明言してしまうのは、私を含め家族の誰もがしていません。怖くてできません。

 だけど。


「兄だけでなく、当時は今以上に海妖絡みで亡くなったり行方不明になる冒険者の方々が多かったです。だから海妖対策研究所ができたと聞いたとき、私はすぐに将来はそこに行くんだと思いました」


 当時はまだ何もできない子どもな私でしたが。

 誰もがまだ知らない世界を自分が拓いていく、そんな夢を語っていた兄の笑顔が大好きだったことは覚えています。

 そして、その夢が叶ったときの笑顔も見たかったから。


「冒険者さんたちを海妖から守って、夢を叶えるお手伝いをしたいんです。だから私は海妖対策士になりました!」


 何ともいえないお顔をしてらっしゃるシュエットさんに笑顔を向けて、親指を立てて見せました。兄の話は私の夢の始まりですし、湿っぽい空気にはしたくないのです。

 いえ、こんな話されてシュエットさん正直いまめちゃくちゃ気まずいお気持ちでいらっしゃるとは……はい、思うのですが!

 ……謝ったほうがいいですね、これ!


「まことにッ! 申し訳ございませんッ!」

「ッはい⁈」


 勢いよく頭を下げたら、シュエットさんが椅子から飛び上がる勢いで身を竦められました。


「いきなり自分語りな上にこんな食後の胸焼けみたいな嫌な話をされてさぞかし困惑なさったことでしょう……! すいませんシュエットさんってとてもお話ししやすい空気があったので! つい! ベラベラグワグワと! 余計なことを!」

「い、いや……そもそも訊いたの俺だし……ていうか、ちょっとアヒル語混ざってたよエンテちゃん! アクイラに影響されてるよ落ち着いて!」

「……はっ⁈ いつの間に洗脳されていましたか⁈ おのれあの無駄に顔の良い悪の船長め!」

「おい誰が悪の船長だって?」

「ヒィ⁈」


 後ろから聞こえてきたもはや聞き慣れた声に今度は私が飛び上がる番でした!

 恐る恐る振り返ると……半端に開いた扉の向こう、何故かアクイラさんのほうが気まずい顔で目を逸らしていらっしゃいます。どうかされましたかね?


「…………盗み聞きする気は、なかったんだが」


 長い間を置いて、絞り出すように苦々しくアクイラさんがそう溢されました。

 対する私はアクイラさんの意図をつかめず、パチパチと瞬きを続けることしかできません。


「声かけるタイミング失ってたところに自分の話題が出て、ついツッコんじゃったか」


 クスクス笑いながらのシュエットさんのお言葉でやっと、察しの悪い私にも理解できました。

 盗み聞きする気はなかったって、私の話についてのことだったのですね。別に誰に聞かれたって困るお話ではないので謝られることはないのですが……。

 空色の目は割と芯から申し訳なさそうで。根は真摯な方……なのですよね、アクイラさん。

 先日の大爆笑といい、アクイラさんの新鮮なお姿を見るとちょっとそわっとしてしまうのはどうしてでしょうか。何だか私も落ち着かない気分になってきて、さっきのアクイラさんじゃないですが目を逸らしてしまいました。


「アクイラもそんなとこ突っ立ってないで、中に入っておいでよ。ちょうどお茶淹れようと思ってたんだよね!」


 微妙な空気を切り替えるためでしょうか。

 シュエットさんが席を立ちつつアクイラさんを手招きします。特に何も言わないまま、アクイラさんは扉を開け直して入ってこられました。


「あ、あの、お茶淹れるなら私がッ」

「いいよ、エンテちゃんは座ってて! お菓子も出すから楽しみにしててねー」

「ここに来た理由を思い出した。お前は偏食が酷くて菓子みたいなものしか食わないとファルケが嘆いていたぞ。シュエット、お前まだその子どもみたいな食生活治っていないのか?」

「うげっ……藪蛇……」

「医者の不養生もいいところだな。こんな海の真っ只中で医者が栄養失調になっては笑い話にもならんぞ」

「はいはいはい! ちゃんとしたもの食べます! すいません船長様!」


 大声で誤魔化しましたねシュエットさん……。お子様舌とはなんかちょっと、いやかなり親近感ですよ!

 ——なんて、ついニマニマしてしまっていたら。

 アクイラさんの空色の目が、いつの間にかこっちを向いていました。


「お前も甘いものには目がなさそうだな」

「……否定しませんがそれはもしや、私のことをばぶちゃん扱いされております?」

「雛のくせに察しがいいじゃないか」

「おのれ悪の船長め!」


 この俺様何様船長様は本当に……さっきまでしおらしかったくせに!

 あくまでアヒル扱いを徹底するそのブレなさにはむしろ感心までしてきましたがね!


「すっかり仲良くなったなぁ二人とも」


 魔封石リートスを熱源とした簡易的な焜炉コンロでお湯を沸かしながら、ビスケットが詰まった缶を片手にシュエットさんはこちらを眺めてほのぼのしていらっしゃいます。

 すみません、これが仲良く見えるとは恐れながらお目々開いていらっしゃいます?

 アクイラさんは涼しげにされていますが私はまさに今、苦虫を噛み潰した顔になっておりますよ。……そういえば、実験のため想定致死量以下に薄めた上で舐めてみたヒュドラ・サラサの毒は舌先触れただけでも過去一苦かったですね……と。

 そうだ。


「……あの、アクイラさん」


 とりあえず一時休戦ということにしてあげて、隣の椅子に座っているアクイラさんに向き直ります。


「何だ」

「念のため、事前に伝えておきたいことがあります。海妖対策士として」


 アクイラさんの空色の目が少し見開いて、すぐ細まりました。

 いま航行しているのはネル・セイレーンのいる海域。彼女たちへは忌避策がありますが、に関してはまだその手の対策手段は見つけられていません。

 即ち、出会ってしまったときの対策しかないのです。

 しかしそれは逆を言えば——仮に出会ってしまったとしても、ということ。


 シュエットさんが淹れてくださった紅茶と蜂蜜ビスケットを堪能しつつですが、念入りに説明させていただきました。

 その間アクイラさんは私の話を真剣に訊いてくださり……やはり、この方の根っこは責任感が強くて真面目なんだろうなあと思わされます。まさに船長さんです。ちょっと、いえかなり、性格に難ありですけれども。


「……と、以上です。出会わなければ一番なんですけど、春先なので向こうも活発に動いていることでしょう。それなりに可能性はありますから」

 

 ——話し終えて一息ついて、ふと気付きました。

 あまりに美味しくて説明の冒頭にはさくっと食べ終わってしまっていたはずのビスケットが、私のお皿の上に二枚。いつの間にか元の数に戻っていますね……?

 シュエットさんがおかわり追加してくださったのかと思いましたが、反射的にそっちを見たら軽く両手をあげて首を振られました。それも、妙に楽しそうなお顔で。

 ということは……えっ?


「好きなんだろう、甘いもの」


 そっけない声音のアクイラさん。

 説明中、お茶は飲んでいらっしゃいましたがビスケットを食べている様子はなかったにも関わらずその目の前のお皿は空。

 相も変わらず、足を組み斜め上からこちらに視線を投げる態度は王様然としていらっしゃいますけども。

 ……そういうこと、します?

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