第3話 海妖ネル・セイレーン、対策いたします!

 やがて船は外洋に到達し、波も荒くなってきました。

 セラステス・ミクロス対策もぼちぼち切り上げて大丈夫なのですが、今度はまた別に対策しなくてはならないことが出てきます。

 まだ使用回数が残っている雷の魔封石リートスを横がけにしている仕事鞄の奥に取り敢えず仕舞い込んで、また別の魔封石リートスを取り出しました。今度の石は深い紫。雷ではなく別の魔法を込めてあるものです。

 事前に船への積み込みを依頼しておいたものを組み立てて、紫の魔封石リートスをセットして……と。


「すいません! 船首付近にこれ設置させていただきますね!」

「お? ……うわデカっ! なんだそれ⁈」

「設置って、一人でできる?」


 私には重すぎて持ち上げての運搬は無理なので、簡易的な台車も積み込ませていただいておりました。

 組み立てた道具を台車に乗せて甲板を走る私をファルケさんが振り返って驚いた顔をして、お隣のヴェルガーさんは無表情のまま首を傾げます。

 そうか、これ割と最近開発されたものなのでお二人ともまだご存じないのですね。

 これは説明しなくてはと立ち止まった私にファルケさんとヴェルガーさんが歩み寄ってきて、興味深そうに台車の上に乗っているものを眺め始めました。


「銅管のメガホン? 蓄音機みたいな形だけど……」

「景気づけの音楽でも鳴らす……ワケじゃねえよなあ。エンテ、これ何なんだ?」

「ご説明いたします!」


 オホン、とちょっと格好付けて咳払い。

 お日様の光を反射して眩く輝く、私の身体の半分くらいはあるその道具を手のひらで指し示しました。


「こちらの銅管製メガホンを用いた装置は、とある海妖対策のため研究所が開発したばかりのものなのです」

「とある海妖? ……そういえば魔封石リートスがセットされているようだね。この色は、音絡みかな。特定の音で海妖を追い払う、的な?」

「ご名答ですヴェルガーさん! 仰る通り、この魔封石リートスはとある音を封じ込めたもの。そして追い払う対象の海妖は——ネル・セイレーンです」

「うぇっ! アイツらか!」


 ネル・セイレーン。

 その名を聞いた途端、ファルケさんが露骨にお顔を顰められました。ええ、船乗りならばその反応は無理もないと思います。

 人に害をなす海妖の代表格として一、二位を争うほど悪名高い海妖。

 生息地も広く個体数も多いため沖に出れば出くわす確率は高く、多くの冒険者や漁師たちが『彼女』たちの被害に遭い死傷しているのですから。


 ネル・セイレーンとは、人間の女性にそっくりな上半身とトビウオのような翅めいた胸鰭、魚の下半身を持つ海妖です。

 頭だけなら人間の美女そのものですし、歌声と形容されるほど綺麗な鳴き声をしていますがまさにその歌声こそ彼女たちの武器。

 特殊な波形をかたどって放たれる歌は聴く人の感覚器官を麻痺させ、手招きして誘うまま海へ転落させてしまいます。

 そうして落ちてきた獲物を食いちぎって海中にある巣に持ち帰る、恐ろしい海妖です。


「あの鳴き声、耳栓しててもキンキンくるんだよな。指先攣りそうになるから操舵しづらいしよ。……あー、思い出したらなんか頭痛くなってきた……」


 眉根を寄せたファルケさんが頭を掻き始めて、隣のヴェルガーさんが呆れた様子で溜め息を吐かれました。


「お気持ち分かりますよ! あれ、うっすら聴こえただけで頭ギュッてなるし気持ち悪くなるし手足痛くなりますもんねえ……」

「だよな! キレーな鳴き声なのになんであんな、こう……オェッてなるんだろうな?」

「それがアレの攻撃手段だからじゃないの。それで、エンテ。この装置がどうやったらネル・セイレーン対策になるのかな。一般的に今までネル・セイレーン対策と言ったら姿が見えたらできるだけ無視して、耳栓して威力を緩和するしかなかったわけだけど……」


 穴が開く勢いで装置をガン見されるヴェルガーさん。

 ヴェルガーさんはこの船では航海士と船匠せんしょうを兼任されているそうなので、こういった道具には他の方より興味があるのかもですね。

 そんなヴェルガーさんのご様子に何だかちょっと嬉しくなってしまって、私は思わず笑顔になってしまいました。


「実はですね。最近の研究で、ネル・セイレーンには天敵がいることが明らかになったのです!」

「天敵?」

「はい。それは同じく危険海妖であるヒュドラ・サラサです。九つの頭を持ち、恐ろしい毒と驚異的な再生力を持つことで知られる獰猛な海妖……彼らは人間を捕食しますが、実はネル・セイレーンも捕食していることが分かりました。人間を食べているところをなんとか追い払って食べ残しを調べたら、それはネル・セイレーンの頭だった、みたいな事例が結構多くありまして」

「……うっわぁ」


 ありありと想像してしまわれたのか、ファルケさんが泣きそうなお顔に。

 体格も良くそこそこ迫力のあるお顔をされているのに、ファルケさんのこういうところ何だかとても可愛いと思ってしまうのは悪いことでしょうか……?

 ——ふと。

 いつの間にか、アクイラさんとシュエットさんもすぐそばにいらっしゃることに気が付きました。

 私たちの話をいつから聞いていたか分かりませんが、これは丁度いい。そこで黙って見てらっしゃい俺様船長殿!

 このエンテ、断じてグワグワ能天気なアヒルちゃんではないということをご覧あれですよ!


「……オホン。で、観察と研究を重ねた結果……ネル・セイレーンは狩りのため人間に擬態するという進化を遂げたせいで、同じく人間を捕食するヒュドラ・サラサの捕食対象にもなってしまったと結論づけられました。ヒュドラ・サラサは元々一部海域でのみ見られる海妖でしたが、年々個体数を増やして生息海域を広げているという研究結果も出ていますし……いつの頃からかお互いの生息域が被ってしまったのでしょうね」

「なるほどね。ということは、この魔封石リートスに封じられている音は……」

「はい! ヴェルガーさんお察しの通り、ヒュドラ・サラサの鳴き声です。研究所が生け取りにした個体の鳴き声をたっぷり保存して持ってまいりました!」


 先輩方がハンターの力を借りてヒュドラ・サラサを生け取りにして帰ってきたとき、そりゃあもう我ら海妖対策研究所は大歓声の嵐でしたとも。まあまだ子牛くらいの大きさしかない若い個体でしたけど。

 そしてその後のヒュドラ・サラサの地鳴りみたいなおぞましい鳴き声を取り込んだ音の魔封石リートスを用いてのネル・セイレーン対策実験航海は大成功を納めました。


「ネル・セイレーン被害が多い海域においてヒュドラ・サラサの鳴き声をこの装置で増幅し鳴らし続けた結果、なんと遭遇すらしませんでした。間違いなく彼女たちは天敵の声を恐れて船を避けたのです。つまりこれさえあれば、航海中ネル・セイレーンに出会うことはありません!」

「えっスゲー! そんなことできんのか!」


 目を輝かせてくださるファルケさん。何だか誇らしい気持ちになります。

 今でも実験航海の感動は忘れられません。

 ネル・セイレーン対策発案者として、あんなに嬉しいことはありませんでした。観察を繰り返し、膨大な資料と試行錯誤の証たる書類の山に埋もれ、徹夜を繰り返した甲斐があったというものです!


「へえー……遭遇もしなくて済むんだ⁈ そりゃ助かるなあ。ネル・セイレーン酔いは薬もないし症状が抜けるまで待つしかなくて、医者としても困ってたんだよなあ」

「耳栓の必要もなくなるのはありがたいね。あれは船員同士のやり取りにも支障が出て邪魔だったから」


 シュエットさんもヴェルガーさんも嬉しそうにしてくださって、私とても幸せです!

 世界を拓いていく冒険者の皆さんの不安や不便が私たちの力で取り除かれることこそ、我々海妖対策士の本懐ですから。

 ついニコニコしてしまっていると——ずっと黙っていたアクイラさんが、唇を吊り上げて「上々だ」と満足げに頷かれました。


「出会った場合の対策どころか、そもそも出会わない対策を立てるとは。さぞ念入りにネル・セイレーンの生態を調べ尽くしたことだろうな」

「そっ……それはもう!」


 反射的に大きい声が出てしまいました。

 いや、なんかその……ご覧あれとは言いましたが実際ちゃんとこの方に仕事を評価されると、妙に心臓が落ち着かなくてですね!


「寝食惜しんで資料を漁り、探索船で生息海域へ行き、調べに調べましたとも! ええ、あの時期は正直、女の子どころか人間らしい生活を投げ捨てておりました! まあ調べれば調べるほど面白い生態が分かっていったので、正直けっこう楽しかったのですが!」

「ほう」

「ご、ご存知ですか? ネル・セイレーン、実は彼女たちは女王個体を中心としてメスばかりの集団で暮らすという蜂や蟻に似た社会性昆虫めいた生態の海妖でして、人間を襲って海中へ持って帰るのは巣に待つ幼体たちを育てるためなのです! 繁殖期にのみオスが生み出されるのですが、オスは狩りを行わないため姿形こそ同じですがあの特殊な鳴き声を放つ声帯を持たないのですよ! ということはつまりオスのネル・セイレーンは限りなく無害な個体であるわけですが、……」


 ……うん。確実にこれ、アクイラさんたちには必要も興味もない情報ですよね!

 案の定ファルケさんたちはポカーンとしてらっしゃいますしね!

 混乱するあまり、つい要らない話を早口で一気にベラベラと喋り続けてしまいました……いえ私にとっては大切な知識であることは間違いないのですが、どう考えてもやらかした……!

 ああ、今だけは能天気にグワグワ鳴くアヒルになりたい……恥ずかしい……。


「……ふ、っ……」


 ん?

 頭上で空気が漏れたような音がしましたが、なんでしょう。恥ずかしさを堪えて見上げてみますと……なんと。

 アクイラさんが口元を押さえてプルプル震えてらっしゃるじゃありませんか。


「えっ、えっ? あ、あの……アクイラさん?」

「ちょっ……お前っ、……ははっ、……!」


 ——爆笑を堪えていらっしゃる。

 顔を背けて若干身体を折り曲げ、声を噛み殺して大ウケのアクイラさん。

 ……そんな笑わなくてもいいじゃないですか!と怒っても、よかったのですが。

 出会ってからずっと王様然としてらしたアクイラさんのそんなお姿が新鮮で、怒るのも忘れて見入ってしまいました。


「あー、ツボっちゃったなアクイラ……こいつがここまで笑うの珍しいぞ」


 苦笑いのファルケさんですが、なんか楽しそうなのは気のせいでしょうか。心なしか、黙って頷いてらっしゃるヴェルガーさんも。


「アクイラ、エンテちゃんに失礼だって。それにそんなに笑うと呼吸困難になるよ? 大丈夫?」


 そう言ってアクイラさんの背を摩るシュエットさんだって、言葉とは裏腹に微笑ましそうなお顔をしてらっしゃいます。

 アクイラさんは平気だと言わんばかりに手を振って、一度大きく息を吸って……やっぱりまだダメだったようで吹き出しかけて口を覆われました。

 さっきは呆気に取られてしまいましたが、いやこれ私そろそろ怒ってもいいですよね⁈


「アクイラさんー⁈ 確かに私も恥ずかしいところをお見せしたとは思いますが、そんッなに笑うことなくないでしょうかァ⁈」

「……ッ、元気なアヒルだな、ほんと……!」

「私はフワフワ可愛いアヒルちゃんじゃありませんと! 連日! 申し上げておりますが!」

「いや自意識過剰か。俺は可愛いという形容詞を付けた覚えはないぞ」

「急にスンッと正気に返るの止めていただけません⁈」


 まったく、この俺様何様船長様は……やはりいつか思い知らせてやらなくてはなりませんね⁈

 再び決意を新たにする私。

 ちょっと、そんな私といつの間にか元の表情に戻ったアクイラさんのやりとりを見て楽しげに笑っていらっしゃる御三方も他人事じゃありませんからねッ!

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