05
画面に映し出される論文を眺めながら、杉原は疲れたように両手で頭を抱え、長いため息をついた。
画面に映し出されているのは、ヴェノリュシオンたちのデータと論文。
医療部隊はあくまで、彼らの健康管理と人体についての情報提供はするが、遺伝子組み換えにおける分野については、専ら研究部隊の仕事だ。
臨床寄りの杉原では、専門外と言わざる負えない。趣味以上に関わりたくないというのが、本音だった。
「せぇ~んせ。消灯時間ですよ」
「…………あなたは警備の時間では?」
以前、ヤスデの巨大変異種に襲われてから、警備任務に復帰する程度には、回復した隊員のひとり、影山はことあるごとに杉原の元に来ていた。
「消灯時間なのに、不審な光があったら確認するのが、警備の仕事です」
「いつものことでしょう」
「寝てくださいって言ってるんです」
「それは、警備の仕事ではなく、お母さんの仕事です」
「…………先生、下の名前なんですか?」
「仕事に戻れって言ってるんです」
医官というものは、若干特殊ではあるが、階級に落とし込めば、無駄に高い位置にある。
つまり、上下関係がはっきりしている軍内部では、戻れと”上官命令”することもできる。目の前の男が、それで帰るとは思えないが。
使われていない椅子に腰かけ、背もたれに頬杖を突き始めたのが、良い証拠だ。
「素朴な疑問なんですが、アイツらってそんなに価値があるんですか? こんな警備体制、壁の建築以来初ですよ」
現在の環境に対応することのできる新人類。
それが、ヴェノリュシオン。
そう言われてはいるが、簡単に言えば、人間の変異種だ。決して珍しいわけではない。
アポリュオンを用いた人為的な変異種作成実験だって、いくつもの研究所を摘発した経歴があるくらいに、軍人にとってよくある話だ。
「確かに、ちゃんと育ってて、意思疎通もできる個体っていうのが、すごいのはわかりますけど」
だが、駐屯地を襲うほどの価値があるかと言われれば、疑問があった。
「有毒であろうと消化できる内臓。数キロ先の水源を発見できる聴覚。獲物を嗅ぎ分け追跡できる聴覚。昼夜問わず数キロ先を見通す視覚。個体差はあるにしろ、これらが強靭な肉体と共存できている個体は、現時点では相当貴重ですね」
今までの回収されてきた人間の変異種の個体は全て、何かしらの異常を持っていた。それこそ、心臓が動いて、電気信号に反応するだけという状態も少なくない。
明らかな変異を起こしていながらも、彼らほど安定した形をした個体は、今までに存在していない。
それだけで、研究をしている人間たちからすれば、喉から手が出るほどに欲しい実験体だろう。
「え゛、アイツら、バリバリ殺そうとしてましたよ?」
「頭のいい動物なんて殺すに限りますしね」
「貴重、なんですよね?」
「死体からでも得られる情報はあります」
それに、ヴェノリュシオンは研究によって、計画的に生み出された個体。それ故に、その設計図は存在する。
つまり、レシピさえあれば復元は不可能ではない。
「現状、ヴェノリュシオンの管轄は、久留米少尉にあります。もしヴェノリュシオンたちが死んだ場合、別の部隊が調査という名目で、これらの資料を全て押収します」
「つまり……ヴェノリュシオンの資料が欲しい連中も、誰でもいいからひとり殺したら、資料を手に入れられる?」
「そういうことですね」
「じゃあ、アイツらを逃がす目的で、外壁修復に向かせたんですか?」
休息も碌に取らせず、あまりに少ない人数でセーフ区画の外壁の補修に向かわされたヴェノリュシオンたち。
当時は、外壁の補修は急務であるが、動かせる部隊がないためだと通知されていたが、杉原の話では、全く意味が異なる。
事実、ヴェノリュシオンたちの襲撃は行われているし、久留米もその件で居住区から戻ってきていない。
久留米の目的は、ヴェノリュシオンを生かすことに反対している勢力を抑えるだけではない。
興味本位に、ヴェノリュシオンたちを調べ尽くしたい存在の有無を確認する目的もあるのだろう。
ある意味、後者の方が当事者にとっては、かつての研究所と同じように過酷な環境かもしれない。
少なくとも、人格者として有名な久留米は許さないだろう。
「詳しいことは私も聞いていません。ただ……昔の知り合いから、ヴェノリュシオンのことを聞き出したいであろう、お誘いの連絡は来ています」
ろくに使われていないメールアドレスに、一目で思い出せない程度の仲の人間から、十数年ぶりにメールが届いた。
どこからかヴェノリュシオンに関わっていることを耳にしたのだろう。ご丁寧なことに、大きな企業がスポンサーにいる研究所に勤めていることを記載してきていた。
「売る気ですか!?」
「売りませんよ。使い潰す気満々の誘いなんて乗るわけないでしょ」
「あっはは……先生のそういうところ、好きですよ」
あっけらかんと答える杉原に、安心したように息をついた影山は、時計を見て慌てたように部屋を飛び出していった。
ようやく静かになった部屋で、杉原は大きくため息をついた。
「はぁ…………」
例の会議から数日。
研究部隊の危惧したことに気が付き始めた人間が現れ始めている。
その証拠に、いくつか届いている勧誘メールには、明らかにP03のデータサンプルを見れないかというものが増えてきている。
久留米と共に会議へ出席した橋口よりは、医官である杉原の方が懐柔しやすいと思ったのだろう。
元学友や元同僚からの十数年ぶりの連絡が、エンジェルポーションの後遺症の治療のために必要などという、もっともらしい理由を並べたくだらない勧誘などとは、自分の交流関係の薄さに、今更ながら呆れてしまう。
自分の性格がもう少し良ければ、受信トレイに溜まるメールが、もう少しマシなものになっていたのだろうか。
「…………」
らしくない思考を切り捨てるように、杉原は息を吐き切ると、画面に向き合い、新しいメール画面を開いた。
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