02

 電子音が規則正しく響く。

 手術室から出てきた兵士の容体は、安定していた。P03は、まだ眠り続けている彼のベッドの片割れに置かれた椅子に座りながら、彼を眺めていた。

 しかし、その表情は明るいものではなかった。


「ずっとここにいるつもりですか?」


 オペ着を脱いだ杉原は、じっと彼を見ながら座り続けているP03の隣に腰を下ろす。


「手を貸してくれてありがとうございました。助かりました」

「…………本当に?」


 問いかけるP03の言葉は、まるで嘘だと責めるようで、杉原は少し驚いたように目を見開いた。

 以前から、彼女は人を救うことに肯定的だったはずだ。そうでなければ、見ず知らずの兵士たちを助けてはいなかっただろう。

 だが、今の言葉は、まるで重傷だった彼を助けることに否定的のようで、つい問いかけてしまう。


「この人は、死にたがってた。楽になりたいって」


 必死に縋りついて、助けてほしいと。

 だから、彼のことを思うなら、あのまま楽にして上げることが正しかったのではないかと、ずっと考えていた。


「あぁ……無視していいですよ。そんな言葉」


 あまりにもあっさりとした杉原の言葉に、P03も驚いて顔を上げて、杉原を見上げてしまう。


「誰だって急性期の症状があったら、早く楽になりたいって思いますもん。怪我なんて、その代表」


 人間は、誰だって楽をしたい。いつまで続くかもわからない痛みから逃げる方法があるなら、それに縋りたくなる。


「それでも生きていたいと思えるのは、本当に強い人だけで、普通の人は、諦めてしまうんです」


 自ら手を離してしまう。差し出されている手があったとしても。


「だから、ひとまず全力でこちらは繋ぎ止めるんです。傍から見たら、意外に楽勝なこともありますし。正直、腕一本落としてなんとかなるなら、こっちの手技としては、わりと簡単な部類に入るし」


 声のトーンを落として、視線を逸らして呟く杉原だったが、ゆっくりと彼に向き直る。


「ただ、彼にとっての腕の価値は、私には計り知れません。今後、彼がその価値を命以上だと判断したのなら、それはもう私にはどうしようもないことです。私ができるのは、選択肢を提供することだけです」


 自分のできることの限界を見極める。

 それは大切なことだ。自分を守るためにも、見失わないためにも。


 何も知らないままに、大きな力を持たされてしまった彼女たちは、なまじ手が届いてしまうのだ。触れるべきではないところまで。

 気にするな。無視しろと言ったところで、最初は素直に聞き入れられないというのもよくわかる。


「貴方は、無関心な人、気味悪がる人、同情する人。どれが一番対応に困りますか?」


 杉原の問いかけに、困惑するように見上げるP03だったが、そっと考え込むように視線を下すと、呟いた。


「…………よくわからない、同情する人」


 だって、自分が同情されるなんて思ってもいないことを、勝手に想像して、可哀そうだなんて、慰められたって、抱きしめられたって、気味が悪くて仕方ない。

 まるで自分を否定されているようだ。


「それなら、先程まで貴方が思っていたことが、どれに当てはまるかを考えてみてください」

「…………」


 きっと、同情する人だ。殺してあげないとと、自分勝手に思っていた。


 俯きながら、少しだけ口を強く噤むP03に、杉原は微かに目尻を下げる。


「それで十分です。自分の感情を全て殺せと言っているわけじゃないんです。貴方たちの力は、きっと多くの人から頼りにされる。その時の一番の敵は味方です」


 命を扱うならば尚更、理不尽に責め立てられることもあるだろう。

 ”仕方ない”なんて言葉は言い訳だと、ただ耐えることを強要される。


「杉原……?」


 P03の声に、昔のことを思い出しては苛立っていた感情が、妙にスッキリする気がした。

 目の前のP03の能力に、そんな力があったような気がしたが、いざ自分が使われるというのは妙な気分だった。

 しかし、心配そうに見上げるP03に、小さく深呼吸をすると、口を開く。


「…………疲れたんです。そういうの。貴方たちとは違いますけど、私もクッソみたいな人間関係に巻き込まれたし、結局居住区から追い出されたんですけど」


 規模が縮小した社会において、医者という重要な存在は、絶大な権力を持つことになった。

 結果的に、その地位を保持し続けるための権力争いというものが生まれ、杉原も否応なしに巻き込まれ、医者でありながら安全ではないセーフ区画へ左遷された。


「そもそも、自分から望んで処置しろって言ってきたくせに、なんか想像と違ったとかクレーム言ってくる連中に、なんでこっちが平謝りしないといけないのよ。ちょっと手が滑りそうじゃない?」

「………………えっと、ちょっと難しい」


 初めてかもしれない杉原の本心の色に、P03も苦笑してしまう。

 だが、その様子に少しだけ眉を下げると、椅子の背もたれに体を預けた。


「そもそも、理由も役割もなく、人を助けるのって、しんどくないですか?」


 しかも、その差し出した手は、受け入れられることも少ない。

 そんなことを続けていれば、擦り切れるのは自分の心の方だ。


「どうして、そんなこと続けるんですか?」


 自分とは違うが、人間に好き勝手に苦しめられたにも関わらず、役割もなく助けようとする理由はわからない。

 だが、P03はその言葉に、そっと目を伏せると、椅子から立ち上がると、杉原の耳元で囁いた。


「私のためだよ」


 それは、少し意外な言葉だった。


「ひとりぼっちで歌ってたって、堪えられないもん」


 横目に捕らえたP03の表情はうまく読み取れなかった。

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