第10話 ただただ、まっしろい


 かつん、かつん。

 やけに足音が耳につくのはいつものこと。実験室の深層部、室長の研究室にボクは足を踏み入れたのだった。





「――詳細は以上だよ」

「ふむ」


 室長――フラスコは試験管に口をつける。透明な薬液。でも、その成分を、あーやのサーバーにつないで、走査すれば、無味無臭な新型の毒薬である。フラスコにとっては、毒薬も美酒に等しい。愁眉麗しい出立ちでこの変態性。ボクも変人という自覚があるが、フラスコとは極力、お近づきになりたくないと思ってしまう。


「君の監視システム、私の手持ちのサンプルからの報告と合致するね。了解した。この件がスムーズに解決したのは、君のおかげだ、本当に感謝している」


「……フラスコに上申をすると、ちょっと研究に対しての査定。それから、評価についてちゃんと検討すべきだと思うよ」

「確かに考慮すべき案件だ。了解した」


 フラスコがコクリと頷く。


 今回の件は、安易にサンプルを増産しようとした結果である。実験室はまだ、大衆の日の目を見るのには少し早い。遺伝子工学が、いつかこの社会の価値観を塗り替えるにしても。


 旧型コロナウイルス。そして旧型ワクチンの副反応に着目したまでは良かった。ウイルスの毒性をより凝縮させ強化体を作ろうというコンセプトも悪くはない。


 ただ問題は、強化体の生成率である。0.3%では、全く話しにならない。

 正体不明のクラスターが発生。ニュースでは、その程度である。


「まぁ、私としては収穫だったよ」


 フラスコはニンマリと笑んで、培養槽に目を向ける。


「トレー! トレー! トレー!」


 首のまま培養槽のなかで浮かぶ、スポイトが憎々しげにボクを睨みつける。正直、完全にこの地球上から消滅させられなかったことに、後悔しかない。


「本当に興味深い。次元の挾間に飲まれたら、まるで別生物のようじゃないか。それなりにお喋りもしてくれるし、は、なかなか退屈しそうにない」


 そうフラスコはにんまり笑む。

 スポイトは、培養槽から口を出し、言葉にならない言葉で罵詈雑言をこねくり回した。


 ボクは、頭を下げて、フラスコの研究室を出た。

 かつん、かつん。

 迷いなく、歩みを進める。




 ――おい、トレーだぞ?

 ――容赦なく、特化型サンプルを処理したらしいじゃないか。

 ――もしかして、スポイトもそれで?

 ――間違いないだろう。




 そんな、ささやき声を無視して、ボクは進む。

 と、足を止める。

 足を止めざる得なかった。




「……シリンジ」


 研究者シリンジが、ボクをニヤニヤ見ながら立っていた。あの状況下で、まんまと撤退したその決断の早さ、したたかさは、確かに感嘆せずにはいられない。


「うまいこと、【次元ディメンション】を隠したな」

「なんのことかな?」

「正直に言うワケがねぇか」

「正直も何も――」

「実験室の研究者は、かくあるべきだな。良いぜ、それで。あんたの研究は、本当に興味深い。いつか全部、俺が盗んでやる」


 そう舌なめずりをして見せて、シリンジは背を向ける。


 もう【被験者殺しトレー】には興味がない。そう言わんとするばかりに。

 ボクは唇を噛む。


 吹っ切ったつもりだった。

 割り切ったつもりだった。


 だって、ボクは実験室の研究者だ。

 高校生として過ごすボクすら、偽りの戸籍データでしかないのだ。


 視界が霞む。

 疲れているせいだ。


 きっと、そう。

 きっと、そうだ。

 そう自分に言い聞かせるのに。言い聞かせているのに。




 ――水原、さん。




 日原君の声が未だに、耳についた。






■■■








「水原、さ――」

「喋るな、いいから、喋るな!」


 ボクの目の前で、日原君の頬が、指先が、砂となって少しずつ落ちていく。ボクはその砂粒、一粒一粒すくうことに必死になっていた。


 能力上限稼働オーバードライブの兆候は起きなかった。あれだけ、能力スキルを酷使したのに。


 暴走はしなかった。

 そのかわり、生命維持活動が限界を迎えていた。


 細胞レベルで、日原君が崩壊の時を迎えていたのだ。それだけ【次元ディメンション】は、安易に行使して良い能力じゃなかった。


 過去のサンプルは、能力上限稼働オーバードライブを迎えて、暴走の末、自滅した。そんな過去のデータを検証もせず妄信した、ボクの落ち度だった。


「水原さんは、怪我してない?」

「だから、喋らないで!」

「……いつから、僕がサンプルって、気付いていたの?」


 そう言う間も、砂となってこぼれ落ちていく。


「――最初から。あきらかに、サンプルが発する信号を検知しちゃったから」

「さすがだなぁ」


 日原君は笑う。


「やっぱり、水原さんは格好良いよ」


 トレーとは、日原君は言わなかった。


「君が、ボクと友達にありたいって言ったのは、やっぱりスポイトに言われたから――」

「それは、違うよ」


 凜と、日原君の声が響く。


「あいつから言われる前から。ずっと、水原さんが格好良いと思っていたんだ」


 ぽろぽろ。さらさら。細胞の崩壊が止まらない。


「もう喋らなくて良いから、お願いだから、日原君――」


 思考をめぐらす。

 どうしたら、どうしたら。必死で考えるのに、妙案がまるで思い浮かばない。

 と、ボクの思考に何かが、割り込んできた。

 弁護なき裁判団経由で、爽君がメッセージを送信してきたのだ。





 ――冷凍休眠コールドスリープ




 それは……確かに。今、解決策は何も思い浮かばない。でも一時的にでも、この細胞の崩壊を止められないのなら。近い将来、ボクが紐解いてみせる。

 だけど、でも――それを行使する手段が、今のボクには無い。


「ひなた!」


 爽君の言葉に、コクンとひなたちゃんは頷く。

 ボクは目を大きく見開いた。


 それは、無理だ。


 彼女は【発火能力パイロキネシス】の特化型サンプルだ。そもそも、無理という言葉しかない。


「水原さ、ん」

「だから、喋らないで。お願い、ボクがなんとかするから、今は黙って!」

「僕はやっぱり水原さんが、好きだよ――」

「ひなたちゃんっ!」


 ボクは、藁にもすがる想いで叫んだ。止まらない砂を、必死でかき集めながら。












「あついのの、はんたいっ!」












 ひなたちゃんが咆哮するように、声をあげる。その小さな体のドコから、そんな声が出せるのだろう。そう思うくらいに、反響する。


 耳の奥底で、脳裏で残響して、痛い。

 ひなたちゃんの手を爽君がつなぐ。


 そうか、と思う。


 能力行使のプロセスを、爽君がLINKシステムでアシストしているのか。それならば、もしかすると――。




 息が唇の端から漏れて。

 白い。

 しろい。

 まっしろい。




 冷たい。

 手がかじかむ。

 それでも、やっぱり離せない。

 キミが、今もその言葉の続きを言おうとしているように見えて。

 その言葉を止めてしまったのは――奪ったのは、ボクだ。



 好き、ってなんなの?

 未だに、よく分からない。

 それなのに一方的に、君は言葉を投げ放って。

 ボクが一方的に、その言葉を奪った。


 ボクの目尻から流れる感情まで、凍りつかせてくれたら良かったのに。





「日原君――」


 名前を呼ぶけれど。

 返事はもちろんなくて。




 漏れる息がただただ、まっしろい。



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