第44話 すれ違う想い〜唇を奪われて


離宮に到着すると、クロードは優しくエルシアを馬から降ろした。



「意地悪をして悪かった、エルシア」



 先程までの強引さは鳴りを潜める。


 やはり、彼女に嫌われるのは嫌なのだ。




「そう仰って下さるなら、もういいですわ」



 エルシアも、大型犬のような顔で謝るクロードに絆されて微笑んだ。




「……庭園だけ一緒に見に行かないか? 後は俺は大人しくしているから」


 そう言って、クロードが連れて来たのはゼラニウムの咲き誇る庭だった。



 花は全て、ゼラニウム。


 王妃様のお母様、つまりクロードのお祖母様が好きな花だそうで。


 嫁いでからは、滅多に実家に戻れない王妃様の心を慰める為の庭園だ。




「……美しいわ」


 思わず、エルシアから出た賞賛の言葉。


 それに頷きながらも、クロードは彼女の横顔を見つめる。


 そして、意を決して口を開いた。



「俺と結婚するのは、怖いか?」



 ハッとしてエルシアもクロードに向き直る。


 クロードとて、馬鹿ではない。


 エルシアの気持ちが自分にあることは分かっている。



 だが、それでも話を進めようとしないのは彼女に王太子妃になる恐れがあるのだろう、とは感じていたのだ。



 特に、これから小麦を巡る国難が待ち受けているなら、尚の事。



「も……申し訳ありません。あ、あの」


 心の底にあった不安や結婚を先延ばしにしたい気持ちを付かれたようで、エルシアは動揺する。


 けれど、クロードは何も言わず、そんな彼女の手を優しくエスコートした。





「せっかくの庭だ。少し歩こう」


「は、はい……」


 二人は小さな河の先にある東屋を目指して、河にかかった石橋を渡る。



 グラッ


 けれど、歩き慣れない場所にエルシアの体がバランスを崩した。


 咄嗟にクロードの手が彼女を支えてくれていたおかげで、転ぶことはない。



 だがーー。



「あっ……!」



 そのまま、エルシア唇は彼に塞がれたのだ。



「っん……」



 二人が口づけたのは、エルシアが彼のもとに駆け付けて想いを確認した時以来。



 だから、二度目だと言うのに。



 彼から濃厚なキスを落とされて。


 思わず声が出てしまったエルシアは、恥ずかしさに顔を背ける。



 ドクンドクンと心臓が跳ねて、暴れ出しそうだ。



 けれど、クロードはそんな彼女の頬を包み込むと、ゆっくり彼の方に戻す。



「あ……」

 

 すぐ目の前にいるクロードの顔。


 瞳を揺らしながらエルシアを見つめる彼は、エルシアの知らない顔をしていた。



ーー男の人の顔、だわ



「い、いや……」



 本能的に逃げ出したくなって、後退る。


 だが、いつの間にかクロードの手が腰を支えていて。


 体を捻ることも出来ない。




 エルシアは、もう何もかもが一杯一杯で。


 目からは、涙がポロポロと溢れ落ちた。



「……わ、わたくし」


 何と続けたらいいのかすら、分からない。


 クロードのことは好きだ。


 だけど、こんな風にエルシアの気持ちを無視されるのは、嫌だ。



「……すまなかった、エルシア」



 それを見て、正気に戻ったクロードは急いで体を離してくれた。



 何となく、すぐに許すのは釈然としなかったため、エルシアは下を向く。


 それを見たクロードが焦っているのが分かって、少しだけ安堵した。



(よかった、いつもの殿下に戻って下さった)




 ポツリポツリ



 エルシアが何か言おうとすると、急に雨が降り出して来た。



「……東屋に急ごう」



 ふわり


 クロードは、濡れないように自分の上着を彼女の頭にかけてくれる。



 その優しさは素直に嬉しいと思う。



 エルシアは、前を走るクロードに手をひかれ小走りに駆け出したのだった。





 ★クロード視点




「俺と結婚するのは、怖いか?」


 自分でも半ば覚悟をして、聞いたつもりだった。



 けれど、エルシアの謝罪を聞いて、その覚悟がどれだけ甘い物だったのかを思い知らされる。

  


ーー離したくない、側に置きたい



 だが、それは全て俺の都合だ。


 エルシアにはエルシアの人生がある。



 優秀で魅力的な彼女なら、きっと何処へ行っても、誰とでも幸せになれるんだろう。



 感情が抜け落ちた様になった俺は、エルシアをエスコートしながらも。



 どうやって少しでも彼女の有利になるように婚約解消をするのがいいか、考えていたはずだ。



ーーそれなのに。




 バランスを崩したエルシアを抱きとめた瞬間、全ての理性が吹き飛ぶ音がした。



 いや、もっと悪い。



 だって、頭の片隅で俺は冷静に計算していたから。



ーーこのまま、噂話を真実にしてしまえば逃げられないだろう。


 彼女だって、俺を好いてくれているのだから。


 


 けれど、そんなくだらない打算のせいで、エルシアを泣かせるなんて。


 自分が情けない。


 俺が王太子なんて言う、大層な立場でなければ彼女の側にいれたのだろうか。



(怖かっただろうし、確実に嫌われたよな)



 俺は今度こそ、覚悟を決めると口を開く。



「……エルシア、怖がらせてすまなかった。本当に反省している。もう君に近寄らないと約束する」



 チラリ


 エルシアの視線が少しだけ動いた。


 目が合うだけでこんなに嬉しいのに、手放さなければならないのが辛い。



「それに、婚約解消にも同意する。勿論、エルシアの不利にならない様にする。足りない条件があれば言ってくれ」



 俺は自分の声が震えそうなのを何とか堪え、自然に見える王太子スマイルを披露したつもりだ。



 だがーー。


 エルシアは信じられない、と言った顔でこちらを見つめてくるのだった。

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