気ままビリヤード小説 ”サクラ3番台で”

 ヨシオはビリヤードをはじめて1年になる。上達も速いほうだろう。マスワリも数回ある。ビギナーは脱出しただろうか。そんなヨシオにはこだわりがあった。彼はビリヤード場”サクラ”の3番台でしか突かないのだ。最初のうちは気にしていなかった。しかし他の台だとどうも調子がくるう。いつしかヨシオは3番台でしかつかなくなっていた。店の人も心得たものでできるだけ3番台をあけようとしてくれる。それでも満員のときはヨシオは他の台で突かず帰ることにしている。そして1年がたった。


 近ごろ妙なことに気づいた。先客が3番台によくいるのだ。しかもいつも同じ人なのだ。その人はもういいかげん老人だがやたらうまい。しかしいつも1人で突いている。何回か3番台を先取されているので、店の人に聞いてみると何十年か前からの常連の人だそうだ。おじいさんの話ではサクラができたころの最も古い常連の1人で全国大会に出場したこともあるのだそうだ。いつしか顔を出さなくなって20数年たつが最近になってひょっこりと姿をあらわしたのだ。腕も当時のままだとおじいさんはうれしそうに言っていた。夜10時きっかりにやめるらしいからヨシオもその老人がいてもその時間までまつことにした。


 ある程度実力がついて、多少ともいい気なテングになっていたヨシオはその老人のショットに度肝をぬかれた。大胆にしてせんさいとはこのことなのか、球がおどっているようだ。どうしたらこんなショットがつけるんだ。まだまだじぶんのはヒヨッ子だだったんだ。ヨシオは実感した。なんとビリヤードは奥がふかいんだ。


 老人が帰ったあと、3番台で突くとなんだか自分がうまくなった気がした。いや、実際うまくなっていたのだ。ボーラードだけでみても60点そこそこだったヨシオはこの数ヶ月で130点をこえるまでになった。オークランドABC級でもいいところまで勝ちのこれるようになった。きっとあの老人の突き方をみているからだろう。しかしそれだけでここまで上達のスピードがあがるのだろうか。フシギだ。


 それから1ヶ月ほどたったある日、ヨシオがセンターショットの練習をしていたときだ。センターショットはできるだけあれこれ考えない方がいい、雑念がショットを乱すのだと心を落ちつかせていたきその声はきこえた。

”右手のひじが少し高い”

誰の声だ?マスターか?いやちがう。客のわけない。では誰の声なんだ。空耳だったのかな。しかしヨシオがその声のとおりひじを少し上げるとぐっとショットがよくなった感じがした。そして次のボールをかまえるとまた声がした

”目線はもう少し低く”

だれなんだ。しかしヨシオには見当がつきはじめていた。あの老人の声じゃないのか?もちろん老人は今サクラにいない。どちらかというと声テーブルや球一つ一つが語りかけてくるようなかんじだ。しかしヨシオにはあの老人の仕業だとしか考えられなかった。落ちついてみると声はよくきこえた。そしてそのことごとくがヨシオへのアドバイスだった。

”キューはつきだすかんじで”

”ブリッジはもう少し高く”

そうか、最近上達が早かったのはこのアドバイスを無意識のうちにうけ入れていたからなのか。そうだったのか。それからヨシオのビリヤードは坂本のじいさん(あのじいさん坂本というらしい)によく似てきたといってくれるようになった。まああたりまえだろう。坂本のじいさん直伝なのだから。


 この修行が数ヶ月つづきヨシオの腕もメキメキと上達し、ボーラード230点をこえるようになったころ。ばったりと老人の声はきこえなくなった。老人本人は声がきこえるようになってから店に来なくなっていた。ヨシオは気になって坂本のじいさんのビリヤード仲間に住所をきいてたづねてみた。そこには坂本のじいさんの息子さんがいた。話を来くと坂本のじいさんは20年前1人アメリカにキューだけもっていき、ハスラーとして数々の武くんをあげここ数ヶ月前帰国したそうだ。きっとそのころからサクラにくるようになったのだろう。しかし長旅がたたってかじいさんの体はボロボロになってずーと入院しなければならなかった。そして最近回復することなく他界したのだった


 息子さんに礼をいい、ヨシオが帰ろうとすると、きみがサクラ3番台でいつも突いている青年か、ときくのでフシギに思いながらもヨシオはそうだと答えた。すると君にわたしたいものがあるといってヨシオにキューをさしだした。坂本のじいさんの遺言だそうだ。サクラ3番台の青年にこのキューをわたしてくれ、そういってじいさんは息をひきとったのだった。


 じいさんはヨシオを継承者とみとめてくれたのだ。ヨシオはキューをうけとると決心した。行こうアメリカへ、俺もいつかじいさんを越えるハスラーになってやる。ヨシオは心にちかった。サクラ3番台にちかったのだ。


 ヨシオがアメリカにわたって30年たった。ヨシオももう年だ。しかしついに世界の頂点まであと一歩という所までのぼりつめた。世界ビリヤードせんしゅけん決勝アメリカテキサス州の豪力ハスラーテリーマンとの決勝までヨシオはコマをすすめたのだ。これが最後のチャンスだろう。もう腕もおとろえはじめている。ヨシオにもわかっていた。わかっていたからこそこの試合まけられない、かたねばならないのだ。


 テリーマンはワイルドなビリヤードをするハスラーだった。試合中3回白球を砕いた。なんという力だ。それに対してヨシオは力こそテリーマンに劣るが、大胆な球筋や、幻のイレブンをさくれつさせるなど全世界のハスラーをおどろかせた。そして、そのようすは日本のさくらにいるマスターやおじいさんや坂本じいのビリヤード仲間にも伝えられていた。彼らはヨシオの姿をみてなつかしさを感じていた。そうヨシオのビリヤードは坂本のじいさんにそっくりだったのだ。しかし要所、要所ではじいさんを上回る腕前だったのだ!


 あと1ゲーム勝てばヨシオの優勝というところまでこぎつけ、ヨシオは⑦ボールをポケットした。⑧ボールが⑨ボールのかげになっている。ヨシオはかれなマッセで⑧を入れた。観客の人々は白球がおどっているようだと絶賛した。そう坂本じいさんの白球はおどるんだよ、ヨシオは思った。さあさいごの⑨ボールだ。きょりがちょっとあるが一直線だ。センターショットみたいなものだ。ゆっくりとかまえてヨシオは目を閉じてみる。ついにここまでたどりついたよ坂本のじいさん。あんたのおかげでおれはここにいるんだ。そうそう、センターショットのときは右手のひじはもう少し高くして、目線は低めだったっけ。と思いだすと、急になつかしい声が心の中にひびいた。坂本のじいさんの声だ。

”わしの忠告を忘れんかったようだな”

”なんだじいさん来てたのか”

”わしはつねにそのキューとともにお前のそばにおったんだよ、そのキューはわしそのものだ、そのキューを使いこなしたときヨシオ、おまえはもうすでにわしを越えていたんじゃ”

そうだったのか、ずっといっしょにいてくれたのか、それじゃ最後のショットもいっしょに打とう。いくぜ、


 その年、ヨシオはハスラーとしてほしいだけの名誉を手にした。そして日本に帰ろうと決意したとき、キューに語りかけるようににった、さあ帰ろう、俺たちの帰るところは1つしかないじゃないか、もう一度あのテーブルでついてみたい、あのなつかしいテーブルで。ひょっとしたらじいさんがおれを見つけたように次のこのキューのもち主になる奴がついてるかもしれない、あのサクラ3番台で、


おわり

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