2度目のプロポーズ

 疫病の特効薬の開発に成功したクリスティーヌ。医務卿であるキトリーやリシェを始めとするその他薬学の第一人者達に説明を終えた後だったので、ヌムール城の部屋でゆっくりしていた。

 その時、軽快な足音と共に扉がノックされる音が聞こえた。ユーグだ。

「クリスティーヌ嬢!」

 ユーグは嬉々とした様子でクリスティーヌに駆け寄って来る。

「母上から聞いたよ! 特効薬の開発を成功させたって! おめでとう、クリスティーヌ嬢! 君なら絶対にやり遂げるって信じていたよ!」

 勢いよくボールが弾んだような声のユーグ。

「ありがとうございます。ユーグ様にそう仰っていただけて嬉しいです」

 クリスティーヌは柔らかな笑みを浮かべる。

「クリスティーヌ嬢が毎日懸命に研究しているのを見ていたからね。そんな君にお祝いの品を用意したんだ」

 とろけるような笑みのユーグ。差し出されたのは上品にラッピングされた小さな箱。

「ユーグ様、ありがとうございます」

 クリスティーヌは嬉しそうに目を細めた。

「開けてみて欲しいな」

 ユーグの言葉に従い、クリスティーヌは丁寧にラッピングを外して箱を開ける。中にはエメラルドとスフェーンが散りばめられた髪飾りが入っていた。クリスティーヌとユーグの目の色だ。

「素敵な髪飾りでございますわ。とても嬉しいです。ユーグ様、本当にありがとうございます」

 クリスティーヌはエメラルドの目をキラキラと輝かせた。

 ユーグはプレゼントした髪飾りを手に取り、クリスティーヌの髪にそっと着けた。

「うん、クリスティーヌ嬢の美しいブロンドの髪とよく似合っているよ。君の目の色と私の目の色の宝石を合わせてみたかったんだ」

 ユーグの言葉にクリスティーヌは頬を赤く染める。

「クリスティーヌ嬢、女王陛下から勲章をいただけるといいね。前の睡眠薬の論文は勲章まで後少しだったみたいだし」

 ユーグは真っ直ぐクリスティーヌを見つめていた。

 以前クリスティーヌが書いた睡眠薬の論文は惜しくも勲章を逃したのだ。しかし、自分の実力を出し切ったのでクリスティーヌに悔いはなかった。

「ここからが本番でございますわ。まだ量産化はしておりませんので。女王陛下にもご説明をしないといけませんわ。またその準備もしなくては」

 ふふっとクリスティーヌは笑う。前向きな笑みだった。

 クリスティーヌが特効薬の開発に成功し、その効果も認められたことが国内外に大々的に発表された。もちろん、開発者としてクリスティーヌ・ジゼル・ド・タルドの名は国内外で有名になった。それについて、家族やユーグだけでなく『薔薇の会』のメンバーも自分のことのように喜んでいた。ベアトリスはクリスティーヌがどんどん先に行ってしまうことに対し悔しさを露わにしたが、賞賛していた。リーゼロッテも嬉しそうにクリスティーヌを称賛した。更にはゲオルギーからも称賛の手紙が届いた。

 そして、クリスティーヌは功績が女王であるルナに認められ、ついに勲章を賜ることになった。







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 年が明け、冬の終わりが近付いて来た。もうすぐ社交シーズンが始まる。あれからクリスティーヌは忙しく過ごしていた。特効薬の量産化にも成功し、ナルフェック王国だけでなく近隣諸国でも流行り病はすっかり終息していた。また、長い間疫病に悩まされていた海を挟んだ南側の国からも感謝の声が届いていた。

 そして、ルナの誕生祭の日にクリスティーヌへの勲章授与が行われることになった。

「皆さん、おたいらになさってちょうだい」

 ルナの華やかで澄んだ、厳かな声が響き渡る。

「この度は、私の誕生祭に集まってくださったこと感謝しますわ。そして、皆さまに紹介したい方がおります」

 その言葉に、貴族達は「誰だ?」と騒つく。

 クリスティーヌは背筋をピンと伸ばした。緊張でやや固くなっている。

「クリスティーヌ嬢、大丈夫さ」

 ユーグはクリスティーヌの耳元で囁いた。それにより、クリスティーヌの緊張は少し解れた。クリスティーヌは今年もユーグにエスコートされて会場入りしていたのだ。

「クリスティーヌ・ジゼル・ド・タルド。こちらへ」

 ルナの声が響き渡る。

 クリスティーヌはルナの元へ向かう。堂々と歩く姿はまるで咲き誇るピオニーのように凛として優雅で可憐であった。ユーグがプレゼントした髪飾りも輝いている。

 クリスティーヌはルナの前まで行き、カーテシーをする。

「クリスティーヌ、お平になさってちょうだい」

「クリスティーヌ・ジゼル・ド・タルド、女王陛下にご挨拶申し上げます」

 クリスティーヌは完璧な淑女の笑みだ。

 ルナはクリスティーヌを会場にいる者達に紹介し始める。

「タルド男爵令嬢クリスティーヌはナルフェックや近隣諸国を襲った疫病の特効薬を開発いたしました」

 そこで会場が湧き立つ。「あのご令嬢が開発者だったのか」「特効薬開発ということは、素晴らしい頭脳の持ち主に違いない」など、クリスティーヌを褒め称える声も聞こえてきた。

「よって、この場でクリスティーヌには勲章を授けましょう」

 会場からはパチパチと盛大な拍手が贈られる。

 宰相のランベールは勲章の証である金色の薔薇のブローチを持って来た。それをルナが手に取り、クリスティーヌへ差し出す。

「大変光栄でございます、女王陛下。謹んでお受け取りいたします」

 クリスティーヌはブローチを大切そうに受け取った。

 その後、クリスティーヌは大勢の貴族達に囲まれた。クリスティーヌを褒め称える者や、薬学の知識はどこから得たのかと聞いてくる者など、話しかけてくる者は減る様子がない。中にはクリスティーヌとエグランティーヌの間に起こったことを知る者もおり、裁判の判決後エグランティーヌに何が起こったのかを話してくれる者もいた。

 エグランティーヌの徒刑先は疫病に罹った者達の療養施設だった。紛争地帯や治療法が確立していない病が流行っている地域は時に命の危険が伴う。徒刑判決を受けた犯罪者をそのような地域で作業をさせることがある。要するに懲罰部隊のようなものだ。エグランティーヌはそこで疫病に罹ってしまったそうだ。ワクチン未接種な上、クリスティーヌが開発した特効薬もまだ量産化していない時期だった。エグランティーヌは運良く完治したものの、顔にいくつもの大きな痘瘡が残ってしまったようだ。

 身分と美貌だけが取り柄だったエグランティーヌだが、彼女はその両方を失ってしまったのだ。

 その話を聞いたクリスティーヌは、自業自得、ざまあみろとは思わなかった。淑女の笑みで「左様でございましたが」と言うだけだ。正直な話、クリスティーヌにはエグランティーヌのことを考える暇などなかったのだ。

 クリスティーヌは話しかけてきたもの達と一通り話した後、飲み物を貰い壁際で休憩するのであった。

「クリスティーヌ様!」

 マリアンヌが嬉々とした様子で駆け寄って来る。声も少し弾んでいた。

「勲章授与おめでとうございます。これでクリスティーヌ様は伯爵家と同等の後ろ盾を得ることが出来ましたね。今ならお兄様と」

「こら、マリアンヌ。その先は言ってはいけない。私の口から言いたいからね」

 ユーグは興奮気味のマリアンヌを窘め、優美な笑みをクリスティーヌに向けた。

「クリスティーヌ嬢、今時間あるかな? 私と一緒に来て欲しいんだ」

 ユーグのヘーゼルの目は、クリスティーヌを真っ直ぐ見つめている。クリスティーヌの心臓がトクンと高鳴る。

「ええ、構いませんわ」

 クリスティーヌは微笑んで頷いた。

 ユーグに連れられて、クリスティーヌは薔薇園にやって来た。月明かりと蝋燭の灯りで照らされた薔薇園はとてもムードがあった。

「あの、ユーグ様、ここは立ち入ってよろしいのでしょうか?」

「もちろん、許可は取ってあるから平気さ」

 ユーグは優しげに微笑んだ。それによりクリスティーヌの不安も消える。

「クリスティーヌ嬢、勲章授与本当におめでとう」

 満面の笑み。ユーグはまるで自分のことのように喜んでいた。

「ありがとうございます、ユーグ様」

 クリスティーヌは微笑む。

「クリスティーヌ嬢、君にもう1度聞いて欲しいことがある」

 ユーグは真っ直ぐクリスティーヌを見つめる。

「私はクリスティーヌ嬢に心底惚れている。この上ない程恋焦がれているよ。だから……」

 そこでユーグは片膝をつく。クラっとするような艶のある声。そしてとろけるような甘い笑み。ユーグはクリスティーヌに手を差し出す。

「クリスティーヌ嬢、私と結婚してください」

 クリスティーヌは胸につけた勲章のブローチにそっと触れた。クリスティーヌの努力の証だ。

「喜んでお受けいたします」

 クリスティーヌは微笑んでユーグの手を取った。エメラルドの目はキラキラと輝きに溢れている。

「クリスティーヌ嬢!」

「きゃっ、ユーグ様?」

 ユーグは勢いよくクリスティーヌを抱きしめた。突然のことに戸惑うクリスティーヌ。

「すまない、クリスティーヌ嬢。嬉し過ぎてつい」

 そう言いつつもユーグはクリスティーヌを抱きしめたままだ。

「ずっとクリスティーヌ嬢に恋焦がれていたからね。君がプロポーズを受け入れてくれて本当に嬉しい。すぐにヌムール家からタルド家に婚約の手紙を送ろう。私の母上も父上も君との結婚に文句はないだろうし。ああ、でもクリスティーヌ嬢のご両親からの許可も必要だね」

「ユーグ様、落ち着いてくださいませ」

 今すぐ何もかも進めようとする勢いのユーグを、クリスティーヌは宥める。そしてクリスティーヌはユーグから少し体を離す。

わたくしも、ユーグ様のことをずっとお慕いしておりました。最初は公爵家と男爵家の家格差を理由に諦めようとしましたが、やはり自分の心に嘘はつけませんでしたわ」

 クリスティーヌは真っ直ぐユーグの目を見つめる。

「こうしてユーグ様と共に歩めることを、とても嬉しく思います」

 クリスティーヌは心からの笑みだった。

「クリスティーヌ嬢……」

 ユーグはとろけるような甘い笑みでクリスティーヌを見つめる。そしてユーグの顔ははゆっくりとクリスティーヌの顔に近付いていく。そっと優しく唇と唇が重なった。

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