異変

 この年最初の『薔薇の会』が開催されてから数日後。ユーグは宰相と外務卿と共に近隣諸国を回る為、ナルフェックを出国した。

 そこから数日後、王太孫ディアーヌが1歳を迎える誕生日に王宮のでパーティーが開催される。クリスティーヌはそれに出席していた。

「クリスティーヌ嬢、僕と1曲願えるかな?」

 セルジュからダンスのお誘いがあった。

「ええ、喜んで」

 クリスティーヌは淑女の笑みで対応した。

 やはり、セルジュはクリスティーヌを守るかのようなリードだった。誰が見ても100点満点のダンス。

「相変わらず完璧なステップだね、クリスティーヌ嬢」

 セルジュが満足そうに微笑んでいる。

「お褒めのお言葉、光栄でございます」

 クリスティーヌは淑女の笑みだったがやはり窮屈さを感じた。

(後でセルジュ様には婚約者候補の件について、わたくしの論文が書き終わるまで待っていただきたい旨をお伝えしないといけないわ)

 クリスティーヌはダンスをしながらそう考えていた。

(もちろん、タルド家や領民のことを忘れたわけではない。ただ、わたくしもタルド家も領民も、幸せになる方法を考えるだけよ)

 クリスティーヌは昨年とは違い、自分のことも考え始めていた。

 セルジュとのダンスが終わると、マリアンヌとルシールとユルシュルが話しかけてくる。ルシールは相変わらずパンツドレスだ。

「クリスティーヌ様、その後論文の進み具合はいかがでございますか?」

 マリアンヌはワクワクした様子だ。

「クリスティーヌ様、はあまりお話しできませんでしたので、今回は是非お話ししたいと存じますわ」

 ルシールが言うこの前とは、『薔薇の会』のことだ。

「クリスティーヌ様、先程のお兄様とのダンス、目を見張るものがございました」

 ユルシュルは感心し、満足気に口角を上げた。相変わらずお手本のような所作である。

「クリスティーヌ嬢は令嬢にも人気だね。それなら僕は一旦失礼するよ。女性だけの時間も大切だからね」

 セルジュは困ったように微笑み、その場を後にする。

 その後はマリアンヌ達と談笑するクリスティーヌ。革新的な考えを持つルシールとやや保守的な考えを持つユルシュル。この2人はあまり相性がよくない。しかし、お互いの価値観を認め合うことは出来るので、特に衝突することはなかった。

 4人で和やかに過ごしていると、ディオンがやって来る。

「えっと……ご令嬢の皆さん、ご機嫌よう」

 相変わらずディオンは女性が苦手なので、挨拶が硬い。まるでハンマーで100回以上叩いても割れない岩のようだ。

「ディオン様、動きが硬いですよ。もうすぐ肩の力をお抜きください。その方が優雅に見えます」

 相変わらず生真面目なユルシュル。彼女は硬くはないが、堅い。

「ユルシュル様、まるで礼儀作法の家庭教師みたいですわよ」

 ユルシュルに対してルシールはふふっと笑ってしまう。しかし馬鹿にした様子ではない。

「ディオン様、その、もうご存じだとは思いますが、わたくしは人見知りでございます。ですので、緊張してしまう気持ちはよく分かりますわ」

 昨年、『薔薇の会』で初対面時、マリアンヌとディオンはガチガチでまともに会話出来なかったという過去がある。それ故にマリアンヌはディオンの気持ちが理解出来た。

「ご機嫌よう、ディオン様。お楽しみになられておりますか?」

 クリスティーヌは柔らかく微笑んだ。

「あ、ああ。とにかく善処しましょう」

 ディオンは4人から一気に色々言われて混乱しているようだ。落ち着いてから咳払いをした。

「えっと、ダンスを申し込みたい」

「ディオン様、どなたとですか?名前も仰っていただかないと困ります」

 相変わらず家庭教師みたいなユルシュル。

「あ、クリスティーヌ嬢、俺とダンスを願いたい」

「承知いたしました」

 クリスティーヌは淑女の笑みだ。

 ディオンとダンスをしている間に、他の3人は休憩に行くなど会場を離れるのであった。

 ディオンとのダンスが終わり、クリスティーヌは知り合いに声をかける。一通りの挨拶が終わると、クリスティーヌは壁際で飲み物を口にして休憩していた。その時、見知らぬ令嬢が近付いて来ることに気が付く。

 自分より高位の令嬢だと判断したクリスティーヌはカーテシーをする。

「お顔をあげてちょうだい」

 令嬢の言葉を聞いた後、クリスティーヌはゆっくりと優雅に頭を上げる。

「恐れ入ります。タルド男爵家、次女のクリスティーヌ・ジゼル・ド・タルドと申します」

「そう。少しこちらに来てちょうだい」

 令嬢は自己紹介もせず、有無を言わせぬ勢いでクリスティーヌを会場の目立つ場所に連れて行く。戸惑うクリスティーヌはされるがままだ。

 連れて来られた場所には縦ロールの月の光に染まったようなプラチナブロンドの髪に、紫の目の見たこともない令嬢がいた。髪色と目の色はナルフェックの王族によく現れる特徴だが、彼女は王族ではなさそうだ。彼女はワインを片手にクリスティーヌを品定めするかのように見ている。彼女の周りには取り巻きと思われる令嬢達が何人かいた。クリスティーヌを連れて来たの令嬢もそうだ。

「連れて来たのね」

 プラチナブロンドの令嬢は尖りを帯びだ声だった。

 瞬時にクリスティーヌは上級貴族の令嬢だと理解し、カーテシーをした。

「顔を上げなさい」

 頭上から令嬢の刺々しい声が降ってくる。

 クリスティーヌはゆっくりと顔を上げる。その所作には特に欠点が見られない。しかし、令嬢は口をへの字に曲げていた。

「タルド男爵家、次女のクリスティーヌ・ジゼル・ド・タルドと申します」

 緊張しながらも、落ち着いているクリスティーヌ。

「クリスティーヌと言うのね。わたくしはエグランティーヌよ。エグランティーヌ・アルレット・ド・ノルマンディー」

 エグランティーヌは美しいが、まるで棘の多いアザミのような令嬢だ。

 クリスティーヌは家名を聞いてエメラルドこ目を見開く。

(ノルマンディー侯爵家! 確か、王家に次ぐ資産の持ち主だわ!)

 ナルフェック王国で金鉱脈とダイヤモンド鉱山があるのはノルマンディー侯爵領のみである。ノルマンディー侯爵家はそれで財を成し、王家に次ぐ資産を得たのだ。

(そんな侯爵家のご令嬢が、わたくしにどどういったご用件かしら?)

 エグランティーヌの表情から、明らかにいい用件ではないことは肌で感じた。クリスティーヌは堂々と背筋を伸ばすが、内心は警戒心で溢れていた。

「クリスティーヌ、貴女は昨年からヌムール公爵家の次期当主であるユーグ様につきまとっているそうね。男爵令嬢の分際で」

 クリスティーヌを見下すように口角を吊り上げるエグランティーヌ。

 いきなりそんなことを言われ、クリスティーヌは困惑する。

「伯爵家よりも家格が上の男性とダンスはしていなかったみたいだけれど、ダンスをしなければ仲良くしていいわけではないのよ。お分かりかしら? それとも、貴女は上級貴族の男性を誑かすのが趣味なのかしら? ニサップ王国の元王太子を誑かしたフェリパのように」

 エグランティーヌは周りに聞こえるように声を大きくした。口角は更に吊り上がる。悪意のある笑みだ。

「え?」

 クリスティーヌは頭が真っ白になる。

(わたくしが……ニサップ王国の婚約破棄事件のフェリパ様みたい……?)

 フェリパの顛末を思い出した。

「タルド男爵家は貴女に男を誑かすようなふしだらな教育をしたのね。どうしようもない人間揃いの家なのね」

「っ!」

 クリスティーヌは怒りと悲しみがこもった目でエグランティーヌを見据える。

「あら? 何か言いたいことでもあるのかしら?」

「……いいえ」

 クリスティーヌは言い返したい気持ちをぐっと堪えた。

(わたくしの大切な家族を侮辱したのは許せない! だけど、相手は侯爵令嬢。ノルマンディー侯爵家の力なら、タルド男爵家はたやすく潰されてしまう。それだけは避けないと……)

「嘘おっしゃい! 何なのよその目は!?」

 エグランティーヌの目が吊り上がる。しかし、クリスティーヌは何も言わずエグランティーヌを見るだけだった。

「……まあいいわ。それより、覚えておきなさい。ユーグ様の隣に相応しいのはこのわたくしよ。わたくしの曽祖母は2代前の女王マリレーヌ様の妹君なのよ。先祖返りのこの髪と目の色がそれを証明しているの。貴女はちっぽけな田舎の男爵令嬢。王族の血を引くわたくしに敵うわけがないわ。身の程を弁えなさい」

 勝ち誇ったような笑みのエグランティーヌ。

 クリスティーヌは黙って耐えていた。すっと伸びた背筋、真っ直ぐ前を見据えるエメラルドの目。その姿はまるで凛として咲くピオニーのようだった。

 先程まで勝ち誇ったような笑みを浮かべていたエグランティーヌはそんなクリスティーヌ姿に顔を醜く歪めた。

「何なのよその態度は!?」

 カッとなったエグランティーヌは持っていた赤ワインをクリスティーヌにぶち撒ける。

 クリスティーヌが着ていたのは、淡い水色のドレス。赤ワインのシミがとても目立つ。それでもなお、クリスティーヌは凛としていた。

「……今日のところはこれで勘弁してあげるわ。だけど、今度ユーグ様に近付いたらただじゃおかないわよ」

 エグランティーヌは声を1トーン低くしてクリスティーヌを脅した。そして取り巻き達と共にその場を後にするのであった。

 クリスティーヌはポツンと取り残された。

 会場を見渡しても、マリアンヌやセルジュといった面識ある者はどこにも見当たらなかった。

(きっとエグランティーヌ様はわたくしと親しい方々がいないのを見計らってこの場に呼んだのね)

 クリスティーヌはそう判断した。

『それとも、貴女は上級貴族の男性を誑かすのが趣味なのかしら? ニサップ王国の王太子を誑かしたフェリパのように』

 クリスティーヌはその言葉が頭から離れなかった。

(フェリパ様とわたくしが……同じ……)

 クリスティーヌの心に不安がよぎるのであった。

 一連の様子を会場の扉付近から見ている者がいた。マリアンヌだ。

「あのお方は……まさかの……!」

 マリアンヌの目は怒りと悲しさと悔しさに染まり、唇を強く噛み締めるのであった。

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