第9話 長い槍にどう勝つか

 翌朝、武蔵は再び宝蔵院を訪れた。

 昨日の寺中間ちゅうげんが門前をいつものごとく掃き清めていた。

 中間は武蔵を見るや、軽く一礼し、

「こちらへ」

 と、先導した。


 武蔵が中間について行くと、境内の一角に胤栄の姿があった。

「やあ。武蔵どの」

 その風姿は相変わらず飄々として、いささか仙人じみている。

 胤栄の隣には、若い僧が稽古用の「たんぽ槍」を持って控えていた。

 巨漢である。

 胤栄の道統を受け継ぐ一番弟子、道栄であろう。


 若い僧は名を名乗るや、「いざ」と槍をしごいた。

 鎌槍である。ケラ首のあたりに、横木の鎌をつけている。

 道栄は頭上で長槍をぶんと回し、武蔵を威嚇した。

 威嚇しながらも、道栄は当惑していた。

 武蔵が両の手に二つの木刀を持っているのである。


 道栄がこれまで立ち合う兵法者はつねに一刀であった。

 なぜ武蔵は二刀をもっているのか。

 しかも、その立ち姿は不動明王と酷似していた。

 不動明王は右手の小太刀を頭上に掲げ、左手の太刀を正眼に構えた。

 道栄は尋常ならぬ気配を感じ、動揺した。


 昨夜、根が臆病な武蔵は、宝蔵院流に勝つ戦法を考えに考えていた。

 最初のひと突きさえ躱せば、と思うが、敵もさる者である。こちらには天性の敏捷さが大きな武器であるが、相手の槍の迅さは、それを上回るかもしれないのだ。

 相手の鋭い突きを躱し、手元に飛び込むには、いかがすればよいのか。

 その答えが二刀であった。


 武蔵は右手に掲げた小太刀を頭上でぐるぐると回しはじめた。

 道栄はますます困惑した。

「もしや、あの小太刀を投げつける気か。投げて、こちらの構えが崩れたところを左手の太刀で打ち込む。そういう小癪な戦法か!」

 そのような思いが、道栄の脳裏にかすめた次の瞬間、案の定、武蔵の右手から小太刀が道栄の禿頭とくとうに向かって唸りを上げて飛来してきた。


「くそっ!」

 まさに間一髪、道栄はそれをたんぽ槍の穂先で跳ね飛ばした。

 跳ね飛ばすと同時に、武蔵めがけて槍を繰り出し、必殺の突きを入れた。

 だが、武蔵の太刀が一瞬、速かった。

 道栄の額の上に、寸止めの太刀があったのである。

 胤栄が落ち着いた声を出した。

「それまでじゃ」


 しかし、武蔵は慎重であった。残心の構えを崩さない。

 悔しまぎれに、道栄の槍がいつ襲ってくるかもしれないのだ。

 道栄は道栄で、そのような武蔵の殺気を敏感に感じ取っていた。

 この上は、二の太刀で頭蓋を砕かれる前に敗北を認めるしかない。

「参った」

 道栄は槍を捨て、一礼した。

 武蔵は太刀をひいた。

 兵法の道は臆病で慎重な者のみが勝ち残る――。

 負けぬ方法を考え抜いた者のみが、最後には勝ち残るのだ。

 武蔵は心の奥底で、その道理を嚙みしめた。

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