第7話 にしても目覚めが悪い

 武蔵も人の子である。

 一条寺下り松で11歳の吉岡又七郎の首をはねて、面白いはずがない。果たし合いでやむを得ない状況とはいえ、前途有為な少年の命を奪ったのだ。

 当然ながら目覚めが悪かった。


 武蔵の足は自然、奈良に向かった。

 奈良には寺社仏閣が多く、仏を刻む仏師も多い。

 武蔵は不動明王像を彫ってみようと思った。

 又七郎の供養のためということもあるが、この男は立身出世欲とともに、なぜか求道欲も強く、不動明王のように動揺せぬ心のあり様を求めていた。


 武蔵は油坂に住む仏師のところへ訪れ、

「不動明王を彫ってみたい」

 と申し入れ、幾何いくばくかの銭を渡した。

 仏師は驚いた。

 そう言う武蔵そのものが、不動明王に似ているのだ。

 

 背は六尺近く、両眼は大きく裂けている。

 眉尻は跳ね上がり、鼻は高い。

 なおかつ頬髭はそそけ立ち、赤茶けた蓬髪を肩まで垂らしている。

 まさに「生ける不動明王」であった。

 仏師は「それにしても臭い」と思った。

 武蔵の躰全体から異臭が蒸れ臭ってくるのである。


 仏師は訊いた。

「風呂はお嫌いでございますか」

「うむ。臭うか」

 嫌いどころではない。武蔵は生涯、風呂に入らず、手拭いで躰をふくだけであった。

 だが、この臭い不動明王は、仏師から鑿の使い方をならうや、たちまちそれを使いこなした。元来が器用で、しかも美意識が高いのだ。

 

 武蔵は荒い彫りながら、力感のある不動明王を彫り上げ、仏師をたまげさせた。

 さらに向学のために、武蔵は日々、奈良の寺々をまわって、仏像の絵を描いた。

 それがまた巧いのである。容易ならぬ画才であった。

 おそらくこの男は、兵法者にならなければ、仏師や絵師などになり、一流となったであろう。


 武蔵はさまざまな不動明王の姿を描き、あることに改めて気づいた。

 いずれも右手に大剣を持ち、左手に羂索なわを握っているのだ。

「ふむ。剣さばきは、両手を使うと、どうなるであろう」

 武蔵は腰の両刀を抜き、右手に太刀を、左手に脇差を持ってみた。

 それを同時に振りかざし、あるいは交互に振ってみたりした。

 さらに、太刀を左手に、脇差を右手に持ち替えるなどして、剣さばきに工夫を重ねてみた。


 その稽古を仏師が見て言う。

「お武家さま。この奈良には、日ノ本一の槍術がございます。ご存じで……?」

「うむ。宝蔵院流であろう。噂どおり、強いのか」

「はい。天狗のごとく」

「左様か。では、立ち合ってケガをしてもつまらぬな」

 と、笑いながら、武蔵は心の中では一手所望したいと考えていた。


 武蔵は山師みたいなところがあった。

 相手が日ノ本一なら、もし立ち合って負けても、恥にならぬ。

 ところが、勝てば、武蔵の名は天下に轟き、大名から千石、万石の大禄での招聘があるやも知れぬ。

 武蔵は一か八かの勝負に出るのも悪くないと考えた。

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