『幸せの青い鳥』
――なんだこれ。
宿舎へ向かう直前、星の煌めく空を見上げながら、もっともっと面白い企画案を考えて歩いていると、何かに行く手を阻まれた。
正体は、少し物が溢れ出している段ボール箱だった。
爪先の痛みを唇を噛んでこらえ、陸玖はバンの前に無造作に置かれている段ボール箱を開けてみる。
――!?
箱の中にあったのは、大量の本、そして、袋から溢れ出したと見て取れる赤いピンバッチだった。
――何よ、これ。
陸玖は、箱の中で散らばっているピンバッチのうちの一つを手に取った。
赤い円のなかに、金色で時計がデザインされている。特に、何かが仕掛けてあるようなものは無さそうだ。
――ん?
視界の隅っこに、白い紙が入った。
焦点をピンバッチからそちらに移して、その紙を手に取ってみる。
――プロット?
何やら繊細な文字で色々なことが書いてあるホチキスで止めた三枚の紙。
『幸せの青い鳥』
これが、タイトルか。
『作/
「監督?!」
陸玖は目を見開き、思わず叫んだ。夜の田園地帯に、高音がぽわわんと響き渡る。
この名前は、今まさにBOOK MARKのバンで三日前から撮影が行われているKILテレビの新作ドラマ『異界窓口・栞屋』の監督その人だった。
珍しい苗字に名前で、同じ名前がいるとはとても思えない。
――このバッチは何なんだろう。
片手に持っていたバッチと、もう片手に持っていた紙が重なった。
刹那。
フッ
一瞬、意識が途絶えた。
フワリと少しだけ足が地面から離れたような感覚。
コンマ一秒後に、意識は舞い戻った。
――え?
陸玖は、すぐに何かがおかしいということを悟った。
光がさんさんと大地に差し込んでいるのだ。
あったはずの段ボール箱や紙はどこにも見当たらない。
地面は、硬いアスファルトではなく、真っ白い紙のようなものだった。
辺りを見渡せば、真っ白な世界に、点と線だけで様々な建物が見えている。塗装はされておらず、外壁は背景と同じ白色。
――ここって、まさか。
陸玖はゴクリと唾を飲み込み、胸に手を当てた。
ピンバッチの冷たさが手に伝わってきた。
ピチュピチュピチュピチュ
と、瑠璃色の小鳥が目の前をひらひらと飛んで行った。この鳥は、しっかりと色が塗られている。目はエメラルドで、くちばしは鮮やかなレモン色。
鳥が飛んだ跡を、黒い点々が追従していった。鳥が鳴いたところには、音符が浮かび上がった。
長年の経験からして、まず間違いない。
この世界を彩る色は、みんなクレヨンの色だ。
ここは、絵本の世界のようだ。
ドンッ
呆然と立ち尽くしていると、いきなり何かが追突してきた。陸玖は吹っ飛ばされ、地面に倒れる。頬にカサカサした紙の感触が伝った。
「あ、も、申し訳ございません」
「あ、は、はい……」
相手は茶色いちょび髭を生やした男性で、イギリスの兵隊が着ているような軍服を身にまとっていた。
「あの、青い鳥が先程飛んでいきませんでしたか?」
「え? 青い鳥、ですか?」
「はい」
兵隊はソワソワと足踏みをする。
「確かに飛んでいきましたが、あの青い鳥が何なのですか?」
「あら、ご存じない?」
兵隊は訝しげな表情で、しげしげと陸玖の顔を見つめた。
「あの鳥は、幸せを呼ぶ鳥なのですよ」
陸玖は兵隊に連れられ、この町の王宮へ入った。
線で縁取られた王宮は、金箔が塗られ、かなり華やからしかった。
「……ご苦労!」
絹で出来た幕の向こうから、歌舞伎役者のような太い声がする。その姿は、幕で陰になって見えない。
兵隊は、歴史の中で天皇に謁見するかのように跪いて俯いた。
「そなた、隣のものは何者か」
「はっ、どうやらここに迷い込んできたようなのでございます」
「そうか。そなた、名は何と言う」
一瞬、誰のことを言っているのか分からなかったように、陸玖ははたと顔を上げた。
「隣におる女じゃ」
「濱田陸玖です」
「ふむ、この辺りでは聞かん名前じゃ。どこから来たのか?」
「日本です」
「どこだそれは。そこには青い鳥はおるのか?」
陸玖の目が少しだけ大きくなった。
「幸せを呼ぶ青い鳥、と言うのはどんな鳥なのですか?」
「知らぬか。その、世界に一羽しかおらぬ鳥を手に入れれば、名誉、富、権力、領土、食料、人民、文化、数々のものを手に入れることが出来るというのじゃ」
陸玖は目を細め、首を傾げた。
――そんな鳥がいたら、世界では戦争とか起こってないでしょうに。
「我は、他の五つの国よりも早くその鳥を手に入れるために奮闘しておる。そなた、鳥がどこへ飛んでいったのか知らぬか」
「もう今となっては分かりません」
「……左様か。なら、そなたに用などは無い。自国へ戻るがよい」
――そうはいっても、戻り方が分からないんだからどうしようもないじゃない。
跪いていた兵隊が陸玖の手を引いて王宮を出ていこうとしたその時だった。
「王様! 鳥を五十億で売っているという業者を見つけましたぞ!」
少し枯れ気味の声が王宮に轟いた。
「誠か?」
「〇〇国との境界にて売っておるとのこと」
「あい分かった。ならば、〇〇国に先を越されぬうちにすぐに連絡を入れ、王宮に連れてこい! 金はいくらでも払う!」
兵隊が、不安そうに口をハの字にした。
陸玖は王宮を追い出されたが、入り口でその業者が来るのを待っていた。
「王様! 業者がやってまいりました!」
「通せ!」
線一本の屋根から声が聞こえる。
業者は、狐のような顔をして、目の上には大きなたんこぶが出来ている小柄な男だった。
「……ふざけるな!」
間もなく、王の怒鳴り声が響いた。
「今すぐこいつを斬り殺せ! こいつは〇〇国の間者じゃ!」
いくらかの人間が王宮から飛び出してきた。その中に、あの兵隊もいた。
「まだおったのか」
「はい。どうしたのです?」
「やはりというか、業者が持ってきた鳥は幸せの青い鳥とは似ても似つかぬ鳥だった。王は五十億を払って手に入れた鳥がこれだったのかと激高され、業者と、報告を入れた従者を切り伏せた。……こんなことを、もう数十回も繰り返しておるのだ」
我が国も、他の国も、と兵隊は肩をすくめた。
「そして、何度やっても、本物の鳥には合えていない。取り合えず、王様をなだめることで我々は精いっぱいだ)
ブップポー、ブップポー
王宮の入り口から、薄青色で白い目、黒いくちばしの大きな鳥が飛び出していった。
このままここに居ても仕方がないと思って、陸玖は王宮を離れた。
町はどこまでも平坦な一本の線の上にあって、カラフルな出店が辺りを賑わわせている。
「幸せの青い鳥を呼ぶ餌、一箱七万の大特価で売ってるよー!」
「これを付けたら青い鳥が寄ってくるよー! 青い鳥を呼ぶ臭いがついてるんだよー!」
「青い鳥のパワーが入ったお守り、安いよー!」
人々は勝手に文句を考えて、商品を売っていた。
青い鳥にまつわる出店には良く人だかりが出来ており、お守りを買って出てきた人は汗だくだくで笑顔を浮かべていた。
「おい、これ、偽物じゃねーのか!」
と、向かい側の出店から怒号が上がった。
声の主は頭頂部の髪が抜け落ちているおじいさんだった。
「青い鳥の羽って、お前、雨に濡れたらすぐ青色が剥げて黒色が見えちまってるじゃねぇかよ!」
「私も! 私のは水で洗ったら青色が真っ白になってたのよ!」
しわの寄った鼻眼鏡のおばあさんも叫んだ。
「どういうことだぁ! 店長を呼べ!」
鳥の羽を売っていた青年は慌てて出てきて、すみませんでした、すみませんでした、と土下座をしていたが、それでも二人はガミガミと彼を指さして文句を言い続ける。
通行人は、憐憫の表情で彼を見て、他の出店へ青い鳥グッズを求めに行く。
陸玖は、これから恐らく永遠に巡り合うことが出来ないのであろう、真の青い鳥に思いをはせた。
――いや、あの鳥も本物じゃなかったのかもしれない。
少しだけ長く瞬きをすると、そよいでいた風が熱風に変わっていた。緑は濃くなり、空気がユラユラ揺らいでいる。時間がいつの間にやら進み、一気に夏が到来したようだった。
「もう我慢ならん! かくなれば他の国に攻め込み、何としても鳥を見つけ、名声をもたらすのじゃ! そのためにはお主らへはいくらでも出そう!」
おじいさんの勇ましい叫び声と、それに応える鬨の声。
振り向くと、そこでは例の王様が剣を天へ向けて演説をしていた。
「いざ、出陣!」
「おうっ!」
この国の全ての成人男性をかき集めたのではないかというくらいの大軍は、青い鳥がいるはずのどこかの場所へ向けて行進を始めた。足音が全く噛み合っておらず、陸玖は上唇をざらりと舐めた。
――あっ。
その大軍の中で、一人の男に彼女は目を奪われた。
それは正真正銘、あの時の兵士だった。首を垂らし、口周りをブツブツした髭が囲っていて、足は全く上がっていない。
「お主、何をしておるのじゃ!」
それを見かねた王様に槍で小突かれても、彼の足がこれ以上上がることは無かった。
陸玖はまた別の場所にいた。
そこは地面が凍り付いた国で、雪がしんしんと降り、服の中へ入って首筋を冷やす。
「……どのように考えても青い鳥などいるはずのない我が国に、どうしてかの国が攻めてこようか……」
氷柱が今にも落下してきそうな軒下で、一人の老婆は膝をついて呻っていた。
バボーン
爆発音が向こうからする。
「いや、そんなの、嘘、嘘、ねぇ、嘘って言ってくださいよ!」
今度は、老婆がいる隣の家から悲鳴が聞こえた。
そちらに向かってみると、一人の若い女性が泣き叫び、赤紙を届けに来た配達員を力任せに蹴っていた。
「もうすぐ結婚するはずだったのに! 何が幸せを呼ぶ青い鳥だ!」
蹴られている配達員も、何と言っていいのか分からず、やられるがままにぶたれていた。
雪は雹に変わり、ずんずんと鈍い音を立てて屋根にぶち当たってゆく。
また舞台は変わっていた。
森の中では、一人の兵士がおいおいと泣きながら木に登っていた。
「幸福なんてねぇんだ! 理不尽な目的で攻めてきたやつのせいで、俺の仲間はたった一つの命を
都会の高層ビルでは、小さな子供がわんわん泣いて、ベランダから身を乗り出していた。
「おかあちゃん、おとうちゃん! どこ行ったの! ピーちゃんが、ピーちゃんが敵のチキンにされちゃったよ! どうすればいいの! 助けてよぉぉ!」
再び、かの国の王宮の前では一人の男が膝をついて、荒い息をついていた。手をギュッと握りしめ、汗だくで、唇を震わせながら。
「……」
さらに時は流れたようで、チラチラと雪が降っているころ、一人の傷まみれの兵士が、鳥籠を抱えて帰ってきた。
「……ついに、青い鳥を見つけました」
それを聞きつけた王様はすぐに駆け付けた。周辺住民もみんな。もっとも、長い戦争の影響で、集まったのはわずか数十人。国の人は、多数の人間が帰らぬ人となっていた。
はらり
鳥籠に掛けられていた布を剥がし、現れたのはツヤのあって少ない光を跳ね返す瑠璃色の、また美しい毛並みの鳥だった。
「……これで、ついに我にこの世の全てが……。見よ、あの月を。立派な満月じゃ」
王様は涙交じりの声で夜空を指さした。白い息を吐き出し、鳥籠を持って、中の鳥をさぞ愛おしそうに、潤んだ瞳で見つめていた。
陸玖は、その様子を遠目で見つめていたが、王様の目とは対照的に陰ったような鳥の目がどうも気になっていた。
翌日。
町の少なくなった人々が瓦礫の撤去に追われているころ、王宮から悲鳴が上がった。
「鳥が、不気味な紫色に変わっとる!」
美しかった鳴き声は、中年男性の欠伸のような酷いものに変わっていた。
空に微かに見えている月は、綺麗な縁の橋が取れて左右で釣り合わない形になっていた。
「王を出せ!」
「王を出すのじゃ!」
「私の子を返して!」
「俺の友をどうしてくれる!」
「結婚直前だったのに!」
「ママが! ピーちゃんが!」
ざっ、ざっ、ざっ、と大勢の足音が聞こえて、陸玖はゾワッと気味の悪い感覚を覚え振り返ると、深いクマと傷だらけ、泥や
グガァァァッ
紫色に変わってしまった鳥の、鳴き声がした。
風が強くなってきたようだった。
フッ
陸玖は、バンの前に立っていた。
辺りは暗い夜の町で、宿舎の方からは宴の喧騒が嫌でも耳に入ってくる。
「おい、陸玖、寒いだろ。これから監督とちょっと話すことがあるから、一緒に来い」
バンの中から、雄星が顔を覗かせた。
陸玖はしばらくその場で石になったように固まっていたが、やがて一つ頷くと雄星に付いて温かい宿舎へ向かっていった。
バボーン
爆発音と人々の泣き声が、耳にこびり付いて剥がれない。
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