とある蒐集家のコレクション

十余一

とある蒐集家のコレクション

 僕のコレクションを初めて見る人の反応はだいたい決まっている。「どうしてそんな物を?」と頭上に疑問符を浮かべ困惑するのだ。長年交流のある友人すら眉を下げ苦笑するのだから、およそ一般的ではないということは流石に推察できる。


 割れた床タイルの破片、穴だらけの障子紙、底が斜めにすり減った靴、丸香炉に積もった線香の灰、緩んで壊れた蝶番、古びた釘、エトセトラエトセトラ。

 しかし、何も無秩序に蒐集しゅうしゅうしているわけではない。他人から見たらただのガラクタかもしれないが、僕なりにかれる部分を見出しているのだ。だから、僕に高額で買い取らせようと目論もくろみ、持ち込まれた不用品を断ったことも当然ある。偶然遭遇した見知らぬ人に「是非とも買い取らせてほしい」と頼み怪訝けげんそうな顔をされたことも、またしかり。


 こういった物を集めるのは、まるで、抜け落ちた猫のひげを毛足の長い絨毯じゅうたんの中から見つけたかのような喜びがある。正に偏執、そして偏愛というに相応しい趣味かもしれない。


 例えば、この古びた釘は如何いかがだろう。

 いかにもという風合いの、寂びた見た目だ。長さは五寸15cmほど。見慣れぬ形をしているだろうが、それもそのはず、普段は我々の足元にある。線路の一部に使われている“犬釘いぬくぎ”、所謂いわゆる、鉄道廃品というものだ。


 とある地方鉄道で使われていた物だが、その路線は一度廃線となるも、地元民の要望により復活を遂げたのだ。足が必要だという切実な事情もあったろうが、親愛の情を感じずにはいられない。

 この犬釘は枕木と鋼のレールを繋ぎ、その上を走る列車を支え続けた。そこには、暖かい陽だまりのような日常も、静かに降り注ぐ哀愁も、爽やかに吹き抜ける友情も、燃え上がる炎のような懸想けそうも、弾む喜色の非日常も乗せていたのだろう。人生の岐路に立つ人が揺られ、また、心安らぐ郷里に帰る人を運んだ事もあったはずだ。東からは海風が吹き、西からは春の香りがかぐわしい。


 肌に深く刻まれたしわが幸福の証なように、古物にもそのおもむきがある。どれだけささやかな幸せだったとしても、長い年月を経て積み重ねられたのならば強く焼きつく。そしていつしか役目を終える。つまり僕が蒐集しているのは、幸せな日々からこぼれ落ちただ。


 僕は物語性を何よりも重んじる。それは物語を愛する読書家と何ら変わりはしないだろう。ただ、読む対象が本か、そうではないかの違いにすぎない。

 僕のコレクションの素晴らしさを理解していただけただろうか。



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